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ブックマーク / fujipon.hatenadiary.com (6)

  • 「きっと何者にもなれない」あなたへ - 琥珀色の戯言

    参考リンク:先日、twitterでこういう言葉を拾いました。「きっと何者にもなれないオタクに限って、写真…カメラ極めようとするよね。」なんとなく同意するところなんですが、ここで質問です。自分を何者だと考えますか?(ザ・インタビューズ) この参考リンクの記事を読んでから、ずっと「僕は何者なのか?」と考えていた。 いやそもそも、何者になりたかったのだろうか? 僕の父親は医者だったのだが、仕事を終えたあとは飲みに外に出ることが多かった。 それで酔っぱらって帰ってきて、酒臭い息で説教されるのも悲しかったのだが、仕事のことではなく、「飲み屋での自分の顔の広さ」を自慢するのがすごくイヤだった。 「あなたは、何者なのだ?」って。 医者というご立派な職業についたからには、もっと仕事を熱心にやって、その世界で認められようとするのがスジではないか。 にもかかわらず、夜の街でのこと、「あんな人と知り合いなんだ」

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    qpq
    qpq 2011/09/29
  • 「患者さんを見捨てて逃げた」というのは誤報です。 - 琥珀色の戯言

    参考リンク:福島・双葉病院「患者置き去り」報道の悪意。医師・患者は患者を見捨てたりしていなかった - 絵文録ことのは - BLOGOS(ブロゴス) - livedoor ニュース この「医師・職員が患者を見捨てて逃げた病院」のニュースは、昨日、twitterでいろんな人がリツイートして広めていました。 僕は「当なのかそれ?」と信じがたい気持ちでいたのですが、ようやく「事実」がわかってきたようです。 双葉病院の医師・職員・そして他の患者さんたちは、けっして「患者を見捨てた」わけじゃなかった。 詳しい経緯は、参考リンクをぜひ読んでいただきたいのですが、もしあなたが同じ立場だったら、「それでも病院に残る」と言えますか? 退避を促されても誰かがその場に残ることを強行に主張すれば、全員の退避が遅れてしまう可能性もあります。 正直、僕も「見捨てたんじゃなくてよかった」と安心しています。 ただ、その一

    「患者さんを見捨てて逃げた」というのは誤報です。 - 琥珀色の戯言
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    qpq 2011/03/19
  • マンナンライフ事件は、やっぱり「事故」だと思う。 - 琥珀色の戯言

    参考リンク:マンナンライフ事件は事故なんかじゃない - 虚構組曲 この事故と訴訟についての記事を御紹介しておきます。 兵庫県の1歳男児がこんにゃくゼリーをのどに詰まらせ、昨年9月に死亡した事故で、製造会社「マンナンライフ」(群馬県富岡市)の対応に問題があったとして、両親が3日、同社などを相手に計約6200万円の損害賠償を求める訴訟を、神戸地裁姫路支部に起こした。 訴状によると、男児は昨年7月29日、兵庫県内の父親の実家で、半解凍状態だったとみられる「蒟蒻(こんにゃく)畑 マンゴー味」をしばらく触った後、口に入れてのどに詰まらせた。加古川市内の病院に搬送されたが、約2カ月後に死亡した。 両親の代理人の弁護士らは記者会見し、同社のこんにゃくゼリーは、大きさがのどをふさぐ程度で、硬さや弾力性がのみ込みにくいものとなっており、容器の形状を考えると設計上の欠陥があると主張。同社が事故を認識しながら、

    マンナンライフ事件は、やっぱり「事故」だと思う。 - 琥珀色の戯言
  • 九十九式の活動停止と「テキスト系サイト」の現在 - 琥珀色の戯言

    テキストサイト『九十九式』の歴史 ↑を読みながら、かなり感傷的になってしまいました。ああ、活動終了なんだ、『九十九式』。僕にとっての『九十九式』というのは、まさに「ザ・テキストサイト」とでも言うべき存在で、その更新様式とか語り口とかネタとか他のサイトとのつながり方とか、その「テキストサイト的なもの」のすべてにおいて、ひとつのゴールデン・スタンダードだったような気がするのです。 でも、その一方で、『九十九式』のこの「区切り」のエントリを読んでいて、閉鎖の寂しさというよりは、むしろ爽やかな「やり遂げた感」みたいなものが伝わってくるのは、まだこちら側にいる僕としてはちょっとせつなかったりもするんですよね。 ところで、僕がこのエントリを読んで、いちばん印象に残ったのは、この部分でした。 九十九式が事故に巻き込まれて真っ白になっていた空白期間に、「夏の自由研究」と称して、別の場所でブログをやってみた

    九十九式の活動停止と「テキスト系サイト」の現在 - 琥珀色の戯言
  • 琥珀色の戯言 - 「ネットを手段にする」という幻想

    世間には勘違いしている人が多いみたいなんだけど、「ネットを足がかりに作家デビュー」なんていうのは、全然「近道」でもなんでもない。当に作家デビューしたければ、ネットに自作の小説をアップして感想待ちとかするよりも、世間にたくさんある文学賞に片っ端から応募したほうがいいに決まっている。「文学賞は狭き門」なんていうけれど、そこにはネットよりもはるかに高い確率で「良い作品を探している人たち」がいるのだし、うまくいけばプロへの道だって開けるはずだし、その程度の狭き門をクリアできないようなら、プロとしてやっていくのは所詮厳しいのではなかろうか。もちろん、それが最初から一発でうまくいく可能性は希少だけれど、少なくとも「なんとなくプロ目指してるんです」とか言いながら、馴れ合いのような環境で「自作を発表」して、手ぬるい「批評」なんて貰って喜んでいるようでは、いつまで経ってもどこからも声なんてかからない。そう

    琥珀色の戯言 - 「ネットを手段にする」という幻想
  • 「才能」の墓場から - 琥珀色の戯言

    先日ある宴席で、同僚の女性にこんなことを言われた。「先生って、あんまり勉強しなくても成績良さそうなタイプですよね」と。そんなふうに実際に言われてみると、それはそれで悪い気はしない。もちろん、そういう言葉にはイヤミとしてのニュアンスが含まれている場合も多いのだが、彼女はそんな感じで言ったわけではなさそうだし。 そんなふうに言われて、むろん悪い気はしない。そうか、そんなに頭良さそうに見える?なんて、心の中でニヤついていたりして。 でもまあ結局、僕と彼女は似たような偏差値の大学を出て、一緒に働いているわけであり、僕としては、「いや、自分なりに勉強したつもりなんだけどねえ」なんて答えたのだけれど。 僕の学生時代は「勉強ができる人たち」と過ごしていた時期が長かった。「天才的にできる人たちばかり」という領域ではなかったけれど、「天才的から中の上くらいの偏差値」の人たちばかりが、僕の周りにはいたわけだ。

    「才能」の墓場から - 琥珀色の戯言
    qpq
    qpq 2006/04/15
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