FM大阪 忌野清志郎の夜をぶっとばせ(49)1988.10.7 (61)1988.12.30 より
FM大阪 忌野清志郎の夜をぶっとばせ(49)1988.10.7 (61)1988.12.30 より
昨日の夜、余震が続いて眠れなくて、 ニュースを見たままの辛い不安な気持ちを消化できなくて苦しくて、 夜中に節電しつつ真っ暗ななかで描いた絵です。 Twitterにあげていたのを、あらためてこちらにのせてみました。 絵は仙台のベガッ太さんと、神戸のモーヴィと新潟のアルビくん。 今の気持ちを託すにはこの3人しかいないと思って。 同じくらいひどい状況の他の被災地を無視してるとか、 そういうことではありません。 むしろ、この3人の後ろには全てのクラブのマスコットが いるような気持ちで描きました。 今回の地震で、全ての被災地の方も、 それを心から心配する方も、 みんながすごくすごく辛い時期だと思う。 家族、親戚と連絡がつかない方や、 友達と連絡がつかない方、 いろんな方がいて、すごく苦しい。 でもそんな、 "誰かを心配する人"を"心配する人"、 そんな人までがたくさんいる。 日本の全部が、何かでひと
福島原発設計 元東芝の技術者 「津波全く想定せず」 (03/17 10:22) 東京電力福島第1原発を設計した東芝の元技術者、小倉志郎さん(69)=横浜市=が16日、東京の外国特派員協会で記者会見し「1967年の1号機着工時は、米国ゼネラルエレクトリック社(GE)の設計をそのままコピーしたので、津波を全く想定していなかった」と明かした。 三陸沿岸は津波の多発地帯だが、津波が比較的少ない米国技術が今回の被害の盲点となった可能性がある。 日本の原子力発電は英米の技術輸入で始まり、福島原発はそのさきがけ。小倉さんは1、2、3、5、6号機の冷却部分などを設計し「1号機は、日本側に経験がなく無知に近い状態だった。地震津波の多発地帯とは知っていたが、批判的に検討、判断できなかった」と話した。2号機からはGEの設計図を改良したが、「マグニチュード8以上の地震は起きない、と社内で言われた。私の定年が近くな
16年間J1の名門クラブを支え、日本代表でも活躍してきた男が、昨年11月、唐突に解雇を告げられた。失意を乗り越え、新たな戦いの場に選んだのはJFL。うっすらと雪化粧のほどこされた信州の山々を背に、偽らざる胸の内を赤裸々に語った。 お好み焼きをつついていると、おもむろに携帯電話が震えた。画面を見ると、松田直樹とある。数時間前、G大阪戦があった万博の競技場で別れたばかりだった。連敗を脱し、久しぶりに明るさを取り戻した松田の顔が浮かぶ。今は午後8時過ぎ。気分良く夕飯にでも繰り出しているはずの時間帯だ。何の用だろう。着信ボタンを押すと、何の前置きもなく、彼は言った。 「切られた」 電話口に恐ろしく無機質な声が響く。一瞬、意味を判別できないでいると、言葉が続いた。 「戦力外。さっき、会社から言われた」 2010年11月27日、それはあまりにも突然の通告だった。 それ以降、しばしの間、本人の記憶は混沌
臨機応変な物流に対応している輸送トラックは、世界中において物流の要となっています。 その中でも日本ではトラックへの依存が高い国で、トラック運転手の活躍無しに日常生活を送るのは困難と言われるほどです。 トラックによる物流の中心は大型トラックです。 大型自動車免許が必要な車両重量が5トンを超えているものが大型トラックで大型の荷物を運ぶのに適しています。 10トン車や20トン車などと呼ぶのは積載量では無くて、荷物を満載しての最大車両重量の事を指して言います。 街で見かける中型トラックは大抵が4トン車で、普通自動車免許で運転できることからニーズが一番高いです。 4トン未満のトラックは小型トラックに分類され、商店への配送や宅配便などの小口輸送に適しています。 前述のとおり、日本の物流はトラックが支えていると言っても過言ではありません。 運行している台数も多く業者間での競争も厳しさを増しています。 そ
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