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ブックマーク / number.bunshun.jp (11)

  • 背番号3を受け継いで…松本山雅の象徴・田中隼磨40歳が天国の松田直樹に捧げた現役最終戦「マツさんなら絶対、お前情けねえなって…」(二宮寿朗)

    J3・松山雅の田中隼磨(40歳)が今季を最後に22年間の現役生活に終止符を打った。横浜F・マリノス、名古屋グランパスではJリーグ制覇を経験し、オシム監督時代の日本代表にも選出。2014年からプレーした松山雅では松田直樹の背番号「3」を受け継いだ。度重なるケガと手術を経て”不惑”までプレーを続けた熱血漢が引退表明後に心境を明かした。<全2回の前編/後編へ> サッカーの神様は、粋な計らいをしたものだ。 11月20日、松山雅はホームのサンプロアルウィンにSC相模原を迎えた。1年でのJ2復帰がなくなり、失意のなかで迎えたJ3最終節。スコアレスで試合が進んでいくなか、残り時間わずかのところで田中隼磨がついに呼ばれた。 40歳のベテランは試合の3日前に、プロ22年のキャリアに終止符を打つことを発表していた。ケガを抱える右ひざの状態が回復せず、2022年シーズンは一度もベンチ入りできていない。前年

    背番号3を受け継いで…松本山雅の象徴・田中隼磨40歳が天国の松田直樹に捧げた現役最終戦「マツさんなら絶対、お前情けねえなって…」(二宮寿朗)
  • サッカー観戦とARは相性が良すぎ。松本山雅のスタジアム“拡張”計画。(茂野聡士)

    「何なの、そのゴーグル?」「ねえ、何が見えてるの?」 9月16日のJ2第33節、松山雅FC対ザスパクサツ群馬の試合前のこと。十数人のファンが見慣れないゴーグルを装着し、松拠地であるアルウィンのピッチの周りを闊歩していた。 試合の数時間前からスタジアムを訪れていたサポーターが、参加者に声をかけていたのだ。するとゴーグルをかけた参加者は、こう返していた。 「選手視点で、勝利後のあいさつの時にサポーターがどう見えてるかを体験してるんだよ!」 この日、クラブは1つの実験的なイベントを実施した。「アルウィン超体験ツアー」と銘打たれたもので、試合開始前のグラウンドなど普段は選手や関係者しか入れないエリアにサポーターを招待した。その目玉になったのが冒頭のゴーグルに搭載された「AR(拡張現実)」だった。 ここ近年「VR(仮想現実)」とともに、ARは様々な分野で採用されている。装着することで、まるで

    サッカー観戦とARは相性が良すぎ。松本山雅のスタジアム“拡張”計画。(茂野聡士)
  • J2MVPに輝いた田中、昇格までの決意と覚悟。~松本山雅で継いだ松田直樹の魂~(二宮寿朗)

    「多くのファンやサポーターに選んでもらえたことに価値があると思う」 Jリーグアウォーズ来場者の投票によって決まる「J2 Most Exciting Player」に選出された松山雅の田中隼磨(はゆま)は、喜びを強く噛みしめていた。 名古屋グランパスでレギュラーを張りながら戦力外通告を受け、悔しさを胸に秘めて出身地の松を新天地に選んだのが今シーズン。無尽蔵のスタミナとアグレッシブなプレーで「走る山雅」の象徴となり、J1昇格に大きく貢献した。得点を稼いだわけでも多くのアシストを記録したわけでもない。それでも右サイドのダイナモは圧倒的な存在感を放っていた。 こちらは雑誌『Number』の掲載記事です。 NumberWeb有料会員になると続きをお読みいただけます。 残り: 661文字 NumberWeb有料会員(月額330円[税込])は、この記事だけでなく NumberWeb内のすべての有料記

    J2MVPに輝いた田中、昇格までの決意と覚悟。~松本山雅で継いだ松田直樹の魂~(二宮寿朗)
  • 松本山雅の「3番」を受け継いだ男。田中隼磨、松田直樹の魂とともに。(二宮寿朗)

    松田直樹から引き継いだ3番を背負い、松の地で走り続ける田中隼磨。盟友は、彼の新たな地での活躍をどう見ているのだろうか。 「緑」は壮観な山々を、「白」はアルプスを覆う雪や混じりけのない自然をイメージさせる。重厚感ある松山雅のユニホームに、背番号3は実によく映える。 「山雅の3番」は2011年8月、急性心筋梗塞で他界した元日本代表、松田直樹がつけていたことで知られる。クラブにとって特別な番号であることは言うまでもない。欠番にこそしなかったが、一昨年、昨年とずっと「空き」になっていた。 2014年3月2日、J2開幕戦。 乗り込んだアウェー、味の素スタジアムのピッチに「山雅の3番」がいた。センターバックではなく、右ウイングバックに。 ポジションの違いもさることながら、威圧するオーラや圧倒的な存在感という意味でも松田とは異なる。だが、不思議と違和感はなかった。背番号3が思いのほかしっくり来ていた

    松本山雅の「3番」を受け継いだ男。田中隼磨、松田直樹の魂とともに。(二宮寿朗)
  • プレーオフ届かずも、包まれた拍手。松本山雅が熱烈に愛される理由。(飯尾篤史)

    大逆転のJ1昇格プレーオフ進出まで、あと数分だった。 しかし、彼らの手の届かないところで、夢の扉は閉じられてしまった。 松山雅が愛媛FCを1-0で下そうとしていたまさにそのときだった、遠く離れた鳥取の地でジェフ千葉が同点に追いついたのは――。 結果を知らない人たちもたくさんいたのだろう、試合終了後、緑のサポーターがかたずを呑んで、場内アナウンスに耳を傾けていた。 「鳥取対千葉は2-2のドロー、長崎対徳島は1-0で徳島の勝利。札幌対北九州は0-0のドロー。以上の結果をもちまして、松山雅の最終順位は……7位になりました」 直後に漏れた「あぁー」という深い落胆の声。だが、スタジアムはすぐに拍手に包まれた。それは、松山雅が決して敗者ではないことを示すものだった。 “山雅劇場”を見たいと思っていた。が、なかなか機会を作れずにいるうちに、'13年のJ2も最終節を迎えてしまった。 松山雅の順位は

    プレーオフ届かずも、包まれた拍手。松本山雅が熱烈に愛される理由。(飯尾篤史)
  • 松田直樹はなぜ、愛され続けるのか。~著者・二宮寿朗が語る「闘争人」~(Number編集部)

    『闘争人 松田直樹物語』(右) 『松田直樹を忘れない。~闘争人II 永遠の章~』(左) 二宮寿朗著 三栄書房 1524円+税(2冊とも) ――――『闘争人 松田直樹物語』から4年。“闘争人II 永遠の章”として『松田直樹を忘れない。』を上梓されました。松田選手が亡くなってから2年が経過したわけですが、二宮さんとしても、まさかこのような形で2冊目を刊行されるとは想像していなかったのではないでしょうか。 「僕の中では『闘争人』で松田選手のサッカーへの情熱や日本代表復帰への想いを、一度描き切ったと感じていたので、正直なところ2冊目という発想は頭の中にありませんでした。ただ、松田選手が亡くなって一周忌を過ぎた頃、編集者の方からお話をいただいて。ここは自分の出る幕じゃないのではないかと、悩んだのですが、やはり“松田直樹を残したい”という気持ちが芽生えてきて、もう一度彼の人生を辿ってみようと思いました

    松田直樹はなぜ、愛され続けるのか。~著者・二宮寿朗が語る「闘争人」~(Number編集部)
  • 勝ち負けや昇格だけが全てじゃない!JFLの“総統”が語るサッカー観戦術。(木崎伸也)

    対戦チームのゴール裏に乗り込み、“カギ”を片手に演説を行なうロック総統。かつては自ら株式会社ホンダロックで働きながら、週末に社員選手のプレーを応援していた。 「昔のJリーグって、下手なプレーを笑い飛ばすような雰囲気が あったと思うんですよ。でも、規模が大きくなるにつれて、 それがなくなってしまったような気がするんです。その理由は、 みんなが勝利至上主義になったからじゃないかと僕は考えてます」 ロック総統(ホンダロックSCサポーター) 世界中を見渡しても、こんな常識外のサポーターはいないに違いない。 日サッカー界の3部リーグにあたるJFLにホンダロックというクラブがある。自動車の鍵を製造するキーロックメイカー“株式会社ホンダロック”を親会社に持つ宮崎県の企業チームだ。基的に選手は同社の従業員。日常的にJリーグを見ているサッカーファンにとっても、知らない人の方が多いだろう。 だが、この地方

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  • 「アツいぜ!チケット」返金続出で考えさせられた“ファンのあり方”。(鷲田康)

    「最高のプレーをしても『金を返せ』と言われるんじゃ選手のモチベーションが下がるだけだよ」と語った中畑清監督。ただし、この企画のネタでスポーツ新聞の一面を飾るなど、宣伝効果は抜群だったという声も……。 スポーツ紙の記者になったころ、一番嫌だったのはナイターシーズンの内勤仕事だった。 ナイターをやっているときに、会社で細かいメモなどの原稿や写真のキャプションを書くのが役割だが、実はもっと大事な仕事が待っていたのである。 それは巨人が負けたときの苦情電話の処理係だった。 会社に入った当時は、まだ各部署がダイヤルインではなかった。代表番号(これが新聞には必ず載っているから始末が悪い!)にかかってくる電話を、交換台のお姉さまたちがつないでくれるシステムだった。ナイターで巨人が負けたときにはデスクの脇のいくつかの電話が“苦情専用”となって、試合終了直後からひッきりなしに鳴り響くのである。 「読者からで

    「アツいぜ!チケット」返金続出で考えさせられた“ファンのあり方”。(鷲田康)
  • 「悲劇を忘れずに」 プエルタ杯に込めた思い。~日本でも松田直樹を偲ぶ試合を~(豊福晋)

    松田直樹がこの世を去った8月4日、スペインのセビージャで毎年恒例となった親善試合が行なわれた。今年で4回目となるアントニオ・プエルタ杯だ。 かつてセビージャに所属したスペイン代表のアントニオ・プエルタは、4年前の8月、リーガ開幕戦となったヘタフェ戦の最中にピッチ上で意識を失い、帰らぬ人となった。 同杯はファンに愛された彼へ捧げるものとしてその翌年から始まり、これまでに同じアンダルシア州のマラガ、へレス、グラナダらと対戦している。 今年の試合が特別な注目を浴びたのは、対戦相手がエスパニョールだったからだ。エスパニョールも2年前の8月に主将のダニ・ハルケを心臓発作により失うという、同じ悲劇を経験している。 こちらは雑誌『Number』の掲載記事です。 NumberWeb有料会員になると続きをお読みいただけます。 残り: 571文字 NumberWeb有料会員(月額330円[税込])は、この記事

    「悲劇を忘れずに」 プエルタ杯に込めた思い。~日本でも松田直樹を偲ぶ試合を~(豊福晋)
    quantum_12
    quantum_12 2011/08/19
    やるとすれば、初回は山雅vsマリノスか?
  • <JFLでの新たな挑戦> 松田直樹 「死ぬ気で、ぶっ飛ばしてやる」(佐藤岳)

    16年間J1の名門クラブを支え、日本代表でも活躍してきた男が、昨年11月、唐突に解雇を告げられた。失意を乗り越え、新たな戦いの場に選んだのはJFL。うっすらと雪化粧のほどこされた信州の山々を背に、偽らざる胸の内を赤裸々に語った。 お好み焼きをつついていると、おもむろに携帯電話が震えた。画面を見ると、松田直樹とある。数時間前、G大阪戦があった万博の競技場で別れたばかりだった。連敗を脱し、久しぶりに明るさを取り戻した松田の顔が浮かぶ。今は午後8時過ぎ。気分良く夕飯にでも繰り出しているはずの時間帯だ。何の用だろう。着信ボタンを押すと、何の前置きもなく、彼は言った。 「切られた」 電話口に恐ろしく無機質な声が響く。一瞬、意味を判別できないでいると、言葉が続いた。 「戦力外。さっき、会社から言われた」 2010年11月27日、それはあまりにも突然の通告だった。 それ以降、しばしの間、人の記憶は混沌

    <JFLでの新たな挑戦> 松田直樹 「死ぬ気で、ぶっ飛ばしてやる」(佐藤岳)
  • Jリーグもスタジアム施設を充実させ、家族連れのサポーター増を目指せ!(木崎伸也)

    Jリーグの各クラブの練習がスタートし、新体制の記者会見が次々に行われている。1998年フランスW杯に出場した川崎フロンターレの相馬直樹新監督や、清水エスパルスに加入して復活を期す高原直泰など、サプライズを起こしそうな人材が今季もたくさんいる。 だが、まだ開幕までは時間があるので、今回は少しばかり地味ではあるが、スタジアムにおける“子供のためのサービス”について触れたいと思う。 Jリーグの観客数低下も家族連れファンの減少が原因!? 最近、浦和レッズのサポーターの友人が、こんなことを言っていた。 「子供が生まれて以来、スタジアムに行くのが難しくなった。Jリーグが創立して約18年。当時、学生だったサポーターも家庭を持つ年齢になり、自分の都合だけで応援に行けなくなっている人も増えていると思う。まだ3、4歳の子供だと、スタジアムよりも、遊園地に行きたがるからね……」 浦和の観客数が2年連続で減少して

    Jリーグもスタジアム施設を充実させ、家族連れのサポーター増を目指せ!(木崎伸也)
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