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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/hirochan1990 (57)

  • 雑誌『音楽文化』創刊号(「音楽芸術」の前身) - チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

    「音樂文化」創刊号の表紙です。昭和18年(1943年)12月号。 この雑誌、調べたら「音楽芸術」の前身なんですね。昭和21年2月号から名前を変えています。 いよいよ激しくなってきた戦局のもとでの発行のためか紙の質が悪く、ページをめくるハシからボロボロに崩れていきます。 ↓創刊の報告です。音楽雑誌も「統合」されたんですね。 裏表紙↓ レコードの宣伝広告は比較的平和です。ワルター似てね~。草間さんは安川さんですね。 ↓あぶないご時世に藤原歌劇団が歌舞伎座でフィデリオやってます。大東亜交響楽団とは!? ↓ここでも大東亜交響楽団。斎藤秀雄指揮。米英激滅大行進曲「闘魂」聴いてみたい! ↓厚生音楽って?山葉はヤマハか。 ↓いよいよ目次を見てみましょう。さらにイヤな気分になるかも。。 「如何にして音楽を米英撃滅に役立たせるか」。。。 とりあえずそれ置いといて、最も重要な記事は山田耕筰さんによる「國民音樂

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  • 『音楽の友』創刊号と第2号の間のミゾ - チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

    音楽之友創刊号(1941年12月号、右)と第2号(1942年1月号)の表紙です。 同じ絵を使い回しています。だから内容も同じようなもんだろうと思いきや全然違っていました。 ↓創刊号の目次。メインは「日交響楽団建設記」。「戦ふ軍楽隊」やら「音楽挺身隊(山田耕筰)」とか若干きな臭いですが、かろうじて平和に留まっています。 ↓創刊号の記事には日響の分裂の事情が書いてあってなかなか面白いです。近衛秀麿さんvs.山田耕筰さんの争い。 ↓同じく創刊号から銀座山野楽器の広告。 。。。ところが、第2号になると戦争の色が急に濃くなります! ↓第2号目次(途中省略)。どうしちゃったんでしょう?「音楽への敢闘譜」とか「国民総出陣の歌」とかクラシック好きには全然関係ないし楽しくなさそう。。 ↓あら~「屠れ!米英我等の敵だ」って。(この雰囲気を引き摺っているからこそいまだに日のクラシック界では米英の作曲家の作品

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  • 大正時代のSPレコード製造現場(1924年) - チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

    『国際写真情報』大正13年(1924年)3月1日号に日のSPレコード工場の写真と記事が掲載されています。 ↑「発明王エヂソン氏が蓄音機を発明してから未だ幾年にもならないが」だって。 ↑ 1.「オーケストラ、三味線を吹き込む時は室内の温度を適当にあたためて音波の伝播に都合のよいように調子をとるのがなかなかむずかしい。」 ↑左 2「吹き込み機械で、蝋板の上に音波を刻んでゆく。」 ↑右 3.「吹き込んだ蝋板を銅でメッキする。」 ↑ 4.「メッキされた銅板を更に銀メッキして、レコード複製用とする。これに銅板(一分位の厚さ)のものをシンとしてハンダで貼りつける。」 ↑ 5.「蝋板からレコードのできるまで。右より吹き込みの蝋板、銅メッキしたもの、それを銀でメッキしたもの、これを引き離したもの即ち精製用の原型。この原型に流し込んでいよいよ発売する。」 ↑ 6.「こうして出来た原型に今度はレコードの原料

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  • 日本初のラジオ放送とカーピ歌劇団(仮放送、1925年3月1日) - チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

    「国際写真タイムス」大正14年(1925年)4月号に日初のラジオ放送の様子が載っていました。 1925年3月1日(日曜)午前9時から芝浦の東京放送局から「仮放送」が開始。なぜ仮放送なのかというと、芝浦の機械に不備があったため正式な認可が下りなかったためだそうです。(このへんはWikipediaに詳しいです) ↑ ラジオ放送機試験中。ゼネラル・エレクトリック社製の無線電信電話機を改造したのがこの機械? ↑ 仮放送のスタートは海軍軍楽隊の演奏。指揮はどなたでしょうか。 ↑ ラジオ局総裁・後藤新平が自宅書斎で聴き入る。 ↑ 逓信大臣・犬養毅が病床を出て夫人や芳沼氏令嬢昌子さん(右)元子さん(左)と放送を聞く。 ↑ 歌澤家元の歌澤右寅衛門と娘の寅秀さん。(女性ですよね?) ↑ 歌声がオンエアされた、帝劇で開演中のイタリアの歌劇団のスターたち。 左から アムブロソ(Ambroso、ソプラノ) ヘン

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  • 日本製初のカセットテープとエアチェックで後悔した話(ボロボロのボレロ) - チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

    「レコード藝術」1967年3月号より、初の日製コンパクト・カセットテープの広告です。指、つりそう。 TDKって、ブルーレイやDVD、それとヘッドホン・イヤホンでお世話になっていますが、カセットテープでは日における先駆者だったんですね。 自分のうちにも昔「エアチェック」したカセットテープがたくさんあるのですが、それらをエアチェックした家族が一番「後悔」したのは1981年に来日したカラヤンとベルリン・フィルによる「ボレロ」のFM放送の録音を消してしまったこと。 家族はその放送を聴きながらテープに録音していたらしいのですが、ボレロではトロンボーンが下痢か何かと思うほど最初から最後までチョ~ヘロヘロで、「日公演だからって手抜きするのもいい加減しにしろ、バカにすんな」って怒り狂って録音を途中でやめてしまい、さらにはカラヤンの放送だから普段より高いテープを使っていたこともあり、もったいないからっ

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    quick_past
    quick_past 2018/07/19
    ベルリン・フィルがそんなメチャクチャになるって貴重な記録なんだろうから、感情的に消すなよ~。。/うわ聞いて見たい
  • LPレコード変わり種3種 (ピクチャー、4チャンネル、リバース) - チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

    物置で変なLPレコードが3枚出土しました。ホコリとカビで喘息っぽくなるので10分以上発掘作業続けられません。 1. ピクチャー・レコード(非クラシックのクラシック、ポール・マッカートニー&ウィングス) もしかして1980年幻の来日公演決定記念盤? オモテ↓ 面積が大きいからキレイ! ウラ、比較的つまんねー↓ こういうの、音質はどうなんでしょう。もっとも、聞く目的では買わないですよね。「特別限定盤」らしいけど高く売れないかな? 2. SQ4チャンネルレコード(ツァラトゥストラはかく語りき バーンスタイン / ニューヨーク・フィル 1970年録音) 「推薦」っていったい誰が推薦してんの? 43年前の録音のLPレコードで4チャンネルってすげー!でもどうやって再生するんだろ。。 ↓ 普通のプレーヤーでも再生できるみたいですね。同じ音源のSACD等で4チャンネル版あるのかな? ↓ アンプ内蔵SQ4チ

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    quick_past 2018/07/19
    ]4chレコードなんてあったんねhttps://ja.wikipedia.org/wiki/4チャンネルステレオ 規格乱立などでポシャルって、日本らしいというかなんというか
  • グスタフ・マーラーの姪っ子、アルマ・ロゼ(『ファニア歌いなさい』より) - チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

    ファニア・フェヌロン著『ファニア歌いなさい』(徳岡孝夫訳、文芸春秋)を読んで感動しました。 Fania Fénelon (1908-1983) アウシュヴィッツ強制収容所での実話なのでキツかったんですが、(読んでいる間はドイツ人が少しキラいに...)収容所にユダヤ人女性楽団員だけによるオーケストラがあったことを初めて知りました。 オーケストラといってもヴァイオリン12、フルート1、リコーダー3、アコーディオン1、ギター3、マンドリン6、ドラム、シンバルという特殊な編成で、平均年齢20歳くらいのほとんど素人集団。アウシュヴィッツに囚われたフェヌロンはその楽団の中心メンバーであり、編曲も担当しました。 指揮者はグスタフ・マーラーの姪、アルマ・ロゼ(Alma Rosé, 1906-1944)。のアルマではありません。 マーラーの妹ユスティーネは、ウィーン・フィルのコンサートマスターを57年間務

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    quick_past 2018/07/19
    マーラーの妹の、子供
  • 属啓成著『ベートーヴェンの生涯』(1942年) - チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

    音楽学者・評論家の属啓成(さっかけいせい、1902-1994)氏の『ベートーヴェンの生涯』(三省堂発行)というです。根性すわってる表紙に惹かれて古屋で1,080円で買ってきました。安いのか高いのか? を開いてまず驚いたのは72ページもある口絵の121枚の写真。属氏が自ら撮影した写真もけっこうあります。 ↑ 第九を書いた家。著者撮影。 ↑ 第九を完成した家。現在でも様子は変わっていないんでしょうか? こののいいところは単なる伝記ではなく、テーマ別に章が分かれているところです。読みやすい。 (家族、師、交遊、聾者となるまで、ベートーヴェンが演奏した演奏会、風貌と肖像画、ベートーヴェンと自然、住所と遺跡、年代表、ベートーヴェンの伝記についての各章) このうち、「住所と遺跡」の章は属氏の実地取材による独自の研究であり、旅行者のためのガイドブックにもなっています。 それぞれの記述がかなり詳細

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  • 心を静めるハーモニン錠(朝比奈隆、山田一雄) - チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

    これ、朝比奈隆さん?かの大指揮者が薬の広告に出演してたとは。なんか効きそう。 「すべての楽器の強音をいっせいに静止させる指揮者の動作」。。ブルックナーでしょうか。 それにしても50年以上も前からストレス社会だったんですね。(週刊朝日1957年6月2日号から) さらに、同誌1958年1月5日号には山田一雄さんが。他の指揮者も使われていたのかもしれません。見つけたら載せます。 【2014年5月13日の記事に画像を追加しました】

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    quick_past
    quick_past 2018/07/18
    向精神薬の変わった広告はよくネットで取り上げられるけど、音楽家が絡んでるのはあまり見ない気がする。メプロバメートは依存性が問題になってすでに禁止されてる薬剤。
  • 『サウンドボーイ』創刊号におけるクラシックの排除されっぷり(1980年) - チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

    Unknown (Edipo Re) 2022-06-21 11:01:41 またまたお久しぶりです。「サウンドボーイ」誌、「HiVi」誌の前身だったのですね。‘80年頃は未だ大学生をやってましたが「レコ芸」「音友」「ステ芸」で手一杯につき存在すら気に留めておりませんでした。確かに天晴な冷遇ぶりで。 先年、中高の二十年ほど後輩の人物と遭遇し、聞けばずっと声楽を学びアマオペラ団体に在籍しバリトンで出演しているとか。我々の頃は学年で数人ほどクラシック好きがいて‘75年のベーム/ウィーン・フィルなどは連れ立って出かけた話などをしたのですが、‘90年代後半の彼の頃は孤立無援であったと。長期低落を実感しました。やはり絶滅危惧種なのは疑いの無いところなのでしょうか。 年明けからは入退院こそないものの通院は続き、別の気になる場所もちらほら。やはり絶滅危惧種に相応しい成り行きなのかも。 今後も楽しみにして

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    quick_past 2018/07/18
    そういう軽薄短小な時代だった。としか言いようがない・・・
  • バーンスタイン来日中止でガッカリ(1978) - チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

    レナード・バーンスタインの1978年来日公演は奥さんが亡くなったということで急遽中止になったんですね。 ショスタコーヴィチの5番といえば当時はバーンスタインとニューヨーク・フィルの録音が最高の名盤とみなされており、それをナマで聴けるということでむっちゃ期待されていた演奏会だったようです。 それが中止になったときのチケット購入者の失望はかなりのものだったでしょうね。父は奥さんが亡くなったんならしょうがない、来てもどうせションボリな演奏だったろうと諦めたそうですが。。 代わりにラインスドルフ(Erich Leinsdorf 1912-1993)が来たんですが、曲目までショスタコーヴィチに比べたら低刺激性の『英雄』に変わってしまいさらにガッカリだったようです。(※7月1日、3日の曲目↓) 失望した父はよっぽど払い戻ししようと思ったらしいのですが、ラインスドルフのシューベルトのグレート交響曲のLP

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    quick_past 2018/07/18
    普門館ホールってことは、吹奏楽で有名な立正佼成会の普門館のことだろうか。東京のイベントなのに名古屋のCBCが共催なんだ。放送に使う予定だったのかな。
  • ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、コンヴィチュニーと初来日(1961年) - チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

    1961年、ヨーロッパ最古の民間オーケストラであるライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の102名が指揮者フランツ・コンヴィチュニー(Franz Konwitschny, 1901-1962)と初来日しました。大阪フェスティバルホール、日比谷公会堂でベートーヴェン交響曲全曲演奏を行ったそうです。 特に指揮者コンヴィチュニーはこの翌年に亡くなったこともあり、結果的に大変貴重な来日演奏会になったようです。 ベートーヴェンの交響曲の他、「皇帝」、ギュンター・コハン(Günter Kochan,1930-2009)のピアノ協奏曲Op. 16 等が演奏されました。 ディーター・ツェヒリン(Dieter Zechlin, 1926-2012)。彼の演奏によるコハンの協奏曲がYouTubeで聴けます。 ↑ コンサート・マスターのゲルハルト・ボッセ(Gerhard Bosse, 1922-2012) 以下

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    quick_past
    quick_past 2018/07/08
    ゲヴァントハウスはブロムシュテットやシャイイの頃しか知らないんだけど、この頃はどんな演奏してたんだろうか。。録音が残ってるか探してみようかな。
  • 1950年代の来日演奏家ラッシュ~米ソ対決 - チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

    昭和30年代の音楽雑誌を読むと、この時代に海外の演奏家が次から次へとよくも来日したもんだと驚くわけですが、その背後には冷戦下のアメリカとソ連の対決もあったんですね。 以下、『週刊東京』1956年9月15日号の記事の要約です。 【初戦 米ソ引き分け】 米ソ音楽家日送り込み対決のきっかけになったのは1955年のダヴィッド・オイストラフの初来日。S事業という対ソ貿易商社の口利きでソ連政府がOKを出したので実現したそうですが、大成功にソ連政府は大喜びだったようです。 オイストラフの大成功を見たアメリカ当局は、ANTA(The American National Theatre and Academy)という国家組織の協会を促してシンフォニー・オブ・ジ・エアーを送り込んできました。当時、日の民間主催者には春秋2回各15,000ドルしか外貨の割当てがなかったのでこんな大きいオーケストラを呼ぶのは不

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    quick_past 2018/07/08
    "米ソ音楽家日本送り込み対決のきっかけになったのは1955年のダヴィッド・オイストラフの初来日。S事業という対ソ貿易商社の口利きでソ連政府がOKを出したので実現したそうですが" オイストラフ!
  • 1970年万博・フェスティバルホールでのクラシックの催し物 - チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

    【2015年3月24日の記事にコンサートの客の入りについて情報を追加しました。】 1970年(昭和45年)と言えば万博(日万国博覧会)! その公式ガイドの「フェスティバルホールの催し物」を見たら、すごく豪華な出演者なんでビックリしてしまいました。 音楽ファンとしては万博見学してる場合じゃね~ぞって感じだったことでしょうね。 以下、その出演者と曲目です。 (1970年2月15日現在の「予定」なので番は変更がいろいろあったと思いますので情報追加・訂正していきます) 3月15日 開幕演奏会 NHK交響楽団 岩城宏之指揮 ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」 黛敏郎「BUGAKU(舞楽)」 三善晃「祝典序曲」 3月16日~22日 ベルリン・ドイツ・オペラ ロリン・マゼール、ブルーノ・マデルナ指揮 ワーグナー「ローエングリン」 シェーンベルク「モーゼとアロン」 ブラームス「ドイツ・レクイエ

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    quick_past 2018/07/08
    マゼール、シュトワ、セル、リヒテル、朝比奈、バーンスタイン、カラヤン(;´Д`)錚々たるメンバーですやんか これでムラビンスキーも予定されてたとは
  • サントリーホールのオープニング・シリーズ(1986-87)~カラヤン、ムラヴィンスキー幻の公演 - チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

    (2015年1月22日の記事にベルリン・フィルお別れパーティにおける小澤征爾夫の画像を末尾に追加しました) みんな大好き、サントリーホール! オープニング・シリーズ(1986年10月12日~1987年3月28日)の600ページのプログラムが、クラシックへの興味絶対ゼロと断言できるオヤジがやってる古屋で200円で売りに出されていたのでそっと買ってきました。。 ↑ 大切にします~(ちょっと自慢?) サントリーホールの記念すべき落成式典は1986年10月12日(日)10時30分の開始。舞台演出はオペラ演出家の鈴木敬介氏(1934-2011)。 サヴァリッシュ指揮NHK交響楽団、オルガン林佑子で芥川也寸志のサントリーホール落成記念委嘱作品である「オルガンとオーケストラのための響」(さすがサントリー)が初演されました。それに引き続き、バッハのパッサカリアハ短調BWV582とベートーヴェンのレオノ

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    quick_past 2018/07/08
    指揮もすごいけど、演目も頑張ってるなあ・・・。クセナキス、ケイジも紹介する予定だったのか・・・。レニングラードの代打がマリスヤンソンスってのも奢ってる。
  • ウェーベルンを撃ったアメリカ兵士(1945年9月15日) - チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

    アントン・ヴェーベルンがアメリカ兵士に誤射されて亡くなった話は有名ですよね。 1945年9月15日、ウェーベルンはザルツブルクの娘の家に避難しており、夜、ベランダに出てタバコに火を付けたところ何かの取引の合図だと誤解され、3回発砲されたうちの何発かに当たって「撃たれた!」と言ったきり死んでしまった。 娘の夫はナチ親衛隊で目をつけられていたらしいけど、それにしてもドジ兵士!そのヤロ~は音楽の進歩を100年遅らせた極悪人や! ってウェーベルンの音楽を全然理解できないくせに思い出すたびボクは怒ってきました。 日語でググっても出てこないので 'American soldier who shot Anton Webern' で探したら、フルネームだけでなく、その兵士のものっぽい写真までが!自分で検索したくせに、うわー。。後味悪っ その兵士は後悔と自責の念から酒に溺れ、狙撃からちょうど10年後の19

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  • ウェーベルンを撃ったアメリカ兵士(詳細)~三浦淳史「レコードのある部屋」より - チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

    1年以上前にこのブログに「ウェーベルンを撃ったアメリカ兵士(1945年9月15日)」というのをアップしたのですが、経緯についてモヤモヤ感が残るものだったので、もっと正確・詳細な情報を探していました。 そんな中、最近、三浦淳史(1913-1997)氏の『レコードのある部屋』(1979年湯川書房)というに出会いました。 128ページからの「セプテンバー・ソング」。これはウェーベルンの死について自分が読んだ中では一番正確だと思いました。 ユダヤ系ドイツ人の音楽学者ハンス・モルデンハウアーという人の執念で謎の死が解明されていたということです。 Hans Moldenhauer, 1906-1987 以下、大切だと思うところを引用させていただきます。 ----------------------------- 1950年代の末、オーストリアに遊んだモルデンハウアーはミッテルジルの近くまで来たことを

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