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ブックマーク / tanba.jp (5)

  • 在日コリアンの足跡まとめる 調査グループが本に 鉱山と民族教育の歴史掘り起こし - 丹波新聞

    「消えたヤマと在日コリアン」を執筆した川西さん、細見さん、松原さんと、「銘板設置の会」メンバーの愛沢革さん(左から)=2021年5月14日午前11時36分、兵庫県丹波篠山市宮田で 兵庫県丹波篠山市内で在日コリアンの足跡調査などを行っている市民グループの3人が、「消えたヤマと在日コリアン」を執筆し、岩波書店から岩波ブックレットとして発売された。戦前から戦後にかけて多くの朝鮮人が働いていた丹波篠山の鉱山産業と、戦後に在日コリアンによって行われていた子どもたちへの民族教育歴史を中心に掘り起こしたものをまとめた。 執筆を担当したのは、「丹波篠山市在日コリアン足跡調査研究〈銘板設置の会〉」の細見和之代表(59)、川西なを恵さん(72)、松原薫さん(72)。 第1章で日の近代と丹波篠山の歩みを、第2章で丹波篠山の鉱山と在日コリアンについて、第3章で戦後の丹波篠山における在日コリアンによる民族教育

    在日コリアンの足跡まとめる 調査グループが本に 鉱山と民族教育の歴史掘り起こし - 丹波新聞
  • ツバキも”ど根性” 水路の上、わずかな土で 大きな実が30個も - 丹波新聞

    兵庫県丹波篠山市の民家の間を流れる水路で、ひとりでにツバキが育ち、たくさんの実をつけている。住民らは、「ほとんど土がないのに元気。ど根性ツバキですね」と笑顔で話している。 排水路の土管の上にあるわずかな土に根を下ろしており、樹高は2メートルほど。毎年2―3月にかけて美しい花を咲かせ、近隣住民から愛されている。大きいもので直径5センチほどもある実が特徴。今年は約30個ついている。 近くの男性(70)と女性(79)によると、6―7年ほど前にこのツバキに気付いたそうだ。少し離れた所にツバキが植わっているが、なぜこの場所に生えているのかは分からないという。 2人は、「鳥が種を運んできたんやろか? それにしても実は堅くてべられそうにないし」と首を傾げつつ、「ここまで大きくなったのは、水路に栄養たっぷりの水が流れているからかな」とほほ笑んでいる。

    ツバキも”ど根性” 水路の上、わずかな土で 大きな実が30個も - 丹波新聞
    quick_past
    quick_past 2021/06/17
    ハイドロみたいな環境だけど、根腐れしないのかな?
  • 88歳女性が古文書4100点寄贈 「肩の荷下りたよう」 近世~近現代知る第一級史料 - 丹波新聞

    市に文書を寄贈した石田さん(右)と感謝状を贈呈した丹後政俊・丹波篠山市教育長=2021年5月14日午後1時36分、兵庫県丹波篠山市和田で 兵庫県丹波篠山市の石田榮代さん(88)がこのほど、代々受け継がれてきた17―20世紀にかけての古文書「石田家文書」を同市に寄贈した。江戸時代には村の庄屋などを務めた石田家の文書は約4100点という膨大な量で、近世から近現代にかけての地域の様子を知る上で第一級の史料。石田さんは、「祖父や父が大切にしてきたもの。寄贈できて肩の荷が下りたよう」と安堵した。同市の中央図書館に移して調査を進め、同市が行っている市史編さん事業に活用する。 石田家は和田村庄屋のほか、畑組の大庄屋、郡取締役などを務め、近代には畑村長も輩出した家。文書の中には歴代の当主が記した職務上の日記などが数多く含まれる。 江戸末期の万延元年(1860)に記された日記には、一揆を起こして石田家に押し

    88歳女性が古文書4100点寄贈 「肩の荷下りたよう」 近世~近現代知る第一級史料 - 丹波新聞
    quick_past
    quick_past 2021/06/17
    普通ならネズミにかじられたり火災で失われたり、継ぐ人がいなくて散逸するのだろうな。人々の生きた記録はそのまま郷土史になる。日記にしても古文書にしてもそれが失われるのは、切ない
  • ある日突然「濃厚接触者」に 立ち話相手が感染者 保健所から連絡、陰性も「コロナ身近に感じた」 - 丹波新聞

    ある日突然「濃厚接触者」に 立ち話相手が感染者 保健所から連絡、陰性も「コロナ身近に感じた」 2020.07.26 21日午前9時前、スマートフォンに心あたりのない電話番号から着信があった。「こちらA税務署です。17日に来署し、相談予約を取られましたね?その際、応対した職員が新型コロナウイルスに感染していたことが分かりました」―。京都府内の自宅から兵庫県丹波市内の事業所に通勤する50代男性はこの朝突然、「濃厚接触者」になった。 電話そばに同僚「離れていくのが分かった」京都府内の税務署からの用件は、「接触した人を(府内の)保健所に報告しなければならない。連絡先を保健所に教えても良いか」の確認だった。 「いいですよ」と答え、電話を切ってすぐに保健所から電話がかかってきた。職員とどんな形で会話をしたか、状況を事細かに聞かれた。 お互いマスクを着用していた、手を伸ばせば届くほどの距離だった、手渡し

    ある日突然「濃厚接触者」に 立ち話相手が感染者 保健所から連絡、陰性も「コロナ身近に感じた」 - 丹波新聞
  • 地図から消えた村 祟り恐れ、住民ら毎年墓参り/兵庫・篠山市 | 丹波新聞

    夙村の跡。現在はスギやヒノキの植林に覆われている=2018年9月23日午前10時29分、兵庫県篠山市味間南で 兵庫県の内陸部にある篠山市に、江戸時代にこつぜんと地図から姿を消した村がある。近隣住民は今も村民の墓を大切に守り、毎年、秋分の日に手厚くまつっているが、墓参りのおこりは、「祟りを恐れて」のことだった。消え去った村「夙(しゅく)」に迫る。 通婚差別も香典やり取り、ゆるやかに交流 夙村があったのは、現在の味間南(約160戸)の中。村のあった場所は、現在、植林されたスギやヒノキが林立する森になっているが、その山中には屋敷跡とみられる台地が点在し、1カ所に集められた墓石や石仏など約30基が鎮座している。 夙村の研究をしている住職、酒井勝彦さん(74)=同市古市=によると、1687年(貞享4)の日付がある「篠山領地誌」に夙の記述が登場する。大辞泉によると、夙とは、「江戸時代、畿内多く居住し、

    地図から消えた村 祟り恐れ、住民ら毎年墓参り/兵庫・篠山市 | 丹波新聞
    quick_past
    quick_past 2019/01/05
    日置藩の夙とは篠山市だったか・・・https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1436808459
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