かかる万人人文学者ないし万人批評家的な空間に、大抵の者は徒手空拳で臨むことになる。ところが、どこからかいわば「重課金装備」の連中が現れるので、なんであいつらだけあんな武器を持っているんだ、ズルいぞ、やつらを我々と同じ次元に引きずり… https://t.co/QD35FKu2i5
大河ドラマ視聴者のなかには「戦は嫌だ」的な台詞を現代的観点の混入と忌避する者がいて、どうも件の(元)考証者もそこへの介入を期待されていた節がある。しかし、中世の武士も自分の稼業を罪深いと考えて仏教にすがったりしたわけで、彼らに厭戦思考「も」あったのを否定するのは逆に難しいのでは。
「遊郭はセーフティーネット」だの「ナチスの功績」だのは、結局は下記の知ったかぶり文化の産物で、専門家がいくら訂正を試みても「自分は学者じゃないし」と居直られて終わりであろう。むろん、連中をきちんと馬鹿にしておくことで、「嗤われる」… https://t.co/ytQ23TAXL1
演劇といえばむかしから声優とは切っても切れない関係にあるのであって、ここで大喜びであちらの業界を叩いているオタクくんはよもやいまいな? 採算を取りやすいサブカルが実は人材供給や着想の面でファインアートと学問に依存していた話は、『F… https://t.co/owQ48aXR09
(承前)で、この構図は、いい歳をしたはずの人間が「親の立場」ではなく「子の立場」でしかものを考えられない現象(https://t.co/K9bG6IkrM3)とも相即しているのではないか。オタクや表現の自由戦士が体制を擁護したくな… https://t.co/s0BIZBYSra
ネトウヨや表現の自由戦士が、ヘイトスピーチや女性差別的とされる絵柄を排除する元凶であるのに、なぜ五輪や万博に抵抗しないかを考えるのも、一定の意義があることだろう。答えは簡単で、彼らもまた現代の「普遍主義」、つまり資本主義と多数決原理の結合を深く内面化した存在だからにほかならない。
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