40年も国を保って「バカ殿」扱い。 何度も像が破壊された? 皇帝・劉禅の悲劇 ここからはじめる! 三国志入門 第100回 劉禅(りゅうぜん/207~271)。その幼名である阿斗(あと)は、中国では「阿呆」とか「無能」の代名詞とされている。父の劉備や諸葛亮が建国した蜀を滅亡させた「暗君」という理由から「英雄」とは逆の意味で有名である。 だが、昔からいわれていることでもあるが、彼を本当に暗君と決めつけていいのかという疑問に当たる。いうなれば、江戸幕府を終わらせた徳川慶喜と比べるとわかりやすいのかもしれない。 ■趙雲に命を救われた若君 劉禅は西暦207年、荊州に身を寄せていた劉備と側室・甘(かん)氏との間に生まれた。このとき劉備はすでに47歳。戦で転々としてきた彼には、養子の劉封(りゅうほう)のほか息子はいなかった。それまでの子は戦で命を落としたか、何らかの理由で殺されたのだろう。 この年も曹操