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ブックマーク / diary.lylyco.com (53)

  • 「叩き上げリア充」vs「陽の下に出てきた非コミュ」の聖戦|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    橋下大阪市長と反ハシズム派論客の話である。 それほど熱心にウォッチしているわけではないけれど、1月27日の朝生の一件やら何やらを眺めていると、どうにも居心地の悪い思いが拭えない。原因はおそらく、ぼくが反ハシズム側に近しい心性の持ち主でありながら、議論上の態度としては橋下市長支持だからである。叩き上げのリア充たる橋下市長が、陽の下に出てきた非コミュたる香山氏、薬師院氏をフルボッコ。あの日の朝生の印象を要約するとこうなる。他の面々は、ほとんどこのふたりが作り出した負の大竜巻に巻き込まれた形で、強弁がすぎるばかりの共産党山下参議院議員含め、有意義な論陣を張れる人間はいなかった。とりあえず対話になっていたのは自民の柳市会議員くらいだったように思う。あれでは勝負になりようがない。 市長による名指しの批判が引っかかり続けて、個人的な恐怖心や不安を社会現象に仮託し、弱者切り捨て論で共感を得ようとするも

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    rAdio 2012/06/07
  • マスコミ衰退と非コミュ増大の相関と未来|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    人と上手くコミュニケーションがとれない。 とりわけ言葉が不如意なわけでも、端からコミュニケーションの意思がなかったわけでもない。にもかかわらず非コミュ化する。コミュニケーションから遠ざかる理由がみんな同じだとは思わない。けれども、理由のひとつがコミュニケーションの「不可能性」への自覚であることはたぶん間違いない。コミュニケーションというのはバーバルにしろノンバーバルにしろ、それが伝えるところに「共通の理解」があると信じることでかろうじて成り立っている。比喩的に「共通の言葉を持つ」といい替えてもいい。共通の言葉を支えるのは、要するに「共通の価値観」である。 マス・コミュニケーションというのは、実にいい得て妙だなと改めて思う。マスコミは「大衆の価値観」を発信、或いは、再生産するための装置として、これまでよく機能してきた。多くの人が同じ豊かさを求め、同じ享楽に身を委ね、同じ幸福を夢見ることができ

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    rAdio 2009/09/24
    規範や建前などがすっかり蔑ろにされてしまったことで、そういうものに頼らざるを得ない(はっきりと「依存」と言ってしまってもいいが…)、「弱い」存在にとって、生きにくい世界になっている。
  • 【 取扱注意 】 「上から目線」の正しい使い方|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    流行言葉なんだろうか。「上から目線」という言葉をよく見かける。 相手を見下して偉そうなことをいう。或いは、自分もいわれる側のひとりだということを忘れて大上段からものをいう。使われ方に多少の差異はあれ、つまりは自分を言及対象から切り離し、メタな視点から俯瞰して語ることを指して「上から目線」というのだろう。あからさまにこれをやられると確かに萎える。ただ、岡目八目なんて言葉もあるくらいだ。他人事というのはよく見えるものでもある。その意味で、必ずしも否定されるべきものでもない。とはいえ、求められもしないのに的確に俯瞰してみせたところで、自ら得意になって相手の気分を害するだけということは多い。 それでも、「上から目線」には使い道がある。それも極めて有効な。眺める相手を「自分」に限定するのである。お得意の「上から目線」で自分という難儀な論敵を切って切って切りまくる。遠慮は要らない。怒り心頭に発して誰か

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    rAdio 2009/08/23
    ポジショニングの問題。やはり「沈黙は金」としか言いようがない。「ないこと」に勝るものなし。まさしく、「無い袖は振れぬ」。
  • 努力が報われるかどうかなんて社会とは何の関係もない|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    どうにも「努力」や「報酬」という言葉が硬直しすぎている。 ・「努力報われる」半数に満たず 格差拡大 大学生冷めた見方(産経新聞) - Yahoo!ニュース 彼ら冷めた見方の大学生たちには、ぜひ「あなたはどうなれば努力が報われたと感じるのですか?」と訊いてみたい。彼らとて少し考えれば、それが多分に多様性を含んだ質問だと気付くはずだ。思うに、そもそも質問の仕方がおかしいのである。たとえば「努力が報われる社会だと思いますか?」なんて訊き方はフェアではない。それはほとんど「一所懸命に働けば地位や富が十分に手に入る社会だと思いますか?」という意味しか持ち得ない。或いは、そう取られることを意図しているとしか思えない。それなら最初からハッキリそう訊くべきだろう。言葉遣いが恣意的にすぎる。 そんなふうに「努力」や「報酬」の定義を矮小化するから話がおかしくなるのである。趣味のサーフィンがうまくなる努力をした

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    rAdio 2009/08/23
    『あなたはどうなれば努力が報われたと感じるのですか?』…物理法則並みに定量化されていて、効果が計測でき、非属人的に再現可能になったら、報われたと感じられる、かな。
  • 「成功の鍵」が継承できない決定的な理由|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    結論から書くと「成功者だって自分がなぜ成功したか当は知らない」からだ。 もっというなら、彼らは成功の要因を捏造するといってもいい。たとえば、「毎日こんなことに気をつけて努力してきたとこがいまの成功に繋がりました」なんて体験が語られるとき、当にそれが成功要因だったのかどうか検証する術はない。もしかすると、そんな努力はさして成功に寄与しておらず、もっと外的な要因、たとえば予想外の時代の変化やある人との偶発的な出会いみたいなものが「決定的」だったという可能性もある。何が決定的だったかなんて、成功者当人にも当のところはわからない。彼らはただ、「自分はやった」と思うことをそれらしく語るだけである。 およそ彼らの語る「成功の鍵」は成功に繋がった「かもしれない」多くの要因のうちのひとつにすぎない。成功者が「多くの人に会い、礼を尽くし、その人のために何ができるか考え続けてきた。彼らとの出会いこそが成

  • 少女の何を守り、何を尊重するべきか|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    最初に断っておくけれど、泥の投げ合いをしようというのではない。 koisuru_otouto 元記事よりむかついた。中段は顔の美醜;被害者の好みだったかどうかの問題に転嫁して二重に攻撃してるだけじゃんこれ。元記事の人の言葉は侮辱であり吐き捨てであり だからこそ撲たれ諭されたんでしょうに 上記のコメントをつけられた前エントリーで、ぼくは件の少女に対して、たとえば「でも、イケメンなら喜んだんだろ」とかいうような決め付けをしたつもりはない。再度、自分の文章を読み返してみたけれど、「憧れのお兄さん」も「憧れのイケメン営業マン」も例示以上の意味を持ってはいないと思う。そのあたりはある程度気をつけて書いたつもりでもある。ぼくは彼女に対して直接的にも間接的にも一切の批評をしていないし、内面を推量したりもしていない。唯一した類推といえば「同じ言葉であっても相手によって受ける印象や抱く感情は違うだろう」とい

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    rAdio 2009/07/27
  • コミュニケーション不全者の欲情の表明が少女を不快にする|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    これはふたりの「関係性」の物語である。 ・誰がための「オシャレな女」なのか? - 倒錯委員長の活動日誌 リンク先タイトルの疑問に、普遍的な答えはない。異性を欲情させるためのオシャレもあれば、同性同士の闘いのためのオシャレもあり、自らの立ち位置を表明するためのオシャレや、趣味としてのオシャレや、商売道具としてのオシャレや、表現としてのオシャレなんかもあるだろう。これらすべてを「自己実現」のひと言で片付けることもできる。当然、大好きなあの人に愛されることこそが「自己実現」だ、という人がいてもいいし、そのためにオシャレをするというのも悪いことではない。「女の価値」を売りにするためのオシャレだけを、ことさら別立てにする理由もない。 それを「女の価値」だけが「自己実現」とは別の何かであると考えるのは、そう考える主体の問題である。要するに、リンク先のブログ主は「女の価値」に(少なくとも他の可能性を捨象

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    rAdio 2009/07/23
    だからこそ、「沈黙」は何にも代えがたき価値を生む。何もしないでいるだけで、それゆえに評価されるなんて、こんな素晴らしいことはない。とりあえず、「ややこしそうなこと」については黙っとけばOK。
  • 運と才能に恵まれて初めて「孤独」は許される|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    実のところ、他者というのは酷く面倒な存在だ。 できれば他人なんかとは関わらずに生きていきたい。もちろん不可能である。けれども、極力関わりを減らして生きることはできる。ただし、そのためには自身の市場価値を相当に高める必要がある。少なくとも今の時代に先進国で生きるためにはそれが不可欠だ。なにしろ、衣もも住も市場の中にしかない。人と極力関わらないということはつまり「極力自分の市場価値だけで市場から衣住を獲得する」ということだからだ。これは恐ろしく難易度が高い。至高というべきは「ただ生きているだけで市場価値がある」という状態だろう。そんなのは天皇くらいしか思い付かない。 だから、普通の人は他者との関わりの中で市場価値を補い合う。その典型が会社みたいな市場価値を生み出すための組織だろう。組織内での価値の大小はあれ、どんなに偉い重役でもその人個人の市場価値は大したものではない。別の組織の重役として

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    rAdio 2009/07/15
    俺死亡のお知らせ
  • 「表現の自由」をどんどん振りかざして愉しく生きよう|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    果たして、正しい「表現の規制」は可能か? ・表現の自由は、何を差し置いてでも守られなければならないものなのか、という件について - 想いは文字に ・凌辱ゲームも普通のエロゲーもエロマンガも軍事も不謹慎で差別的です - 革命的非モテ同盟 ・Gazing at the Celestial Blue 「表現の自由」は誰のものですか? 無理だ。表現に限らず「自由」というのは大抵、共存が難しい。誰かの自由が別の誰かの自由と衝突する。そこに問題が起きる。ひとつめのリンク先の「市民の利益」も同じだ。酷いポルノ表現が侵す「市民の利益」があるように、酷いポルノ表現が生む「市民の利益」もある。表現の自由によって「おばかさん?」などと書かれてしまったfurukatsu氏もまた守られるべき「市民」である。そして、furukatsu氏の求める「市民の利益」は、juri-yamaguti氏の主張する「市民の利益」と衝

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    rAdio 2009/06/12
    『世に溢れるラブ・ストーリーは女性差別でありレイプの物語なのだ』…お、これはいい大義名分。いただきだぜ。
  • ダメな人間を分析しても無駄なたったひとつの理由|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    ・【第6話】ダメな人間の10パターン:日経ビジネスオンライン それは、決して「瑕のない人間が成功する」わけではないからだ。 人の振り見て我が振り直せという言葉がある。これは自戒の言葉であって成功への道を説いた言葉ではない。そんなことは小学生でも知っている。それをまるで成功への秘訣でも隠されているかのように人の欠点を論うなどいい大人のやることではない。失敗の法則は失敗の法則でしかない。裏返してみたところで成功の法則にはならない。そして、残念ながら成功の法則はない。あらゆる成功譚は、成功者だけが振り返ることのできる一回性の物語でしかない。まず、再現性はない。成功以前の松下幸之助がいま転生したとしても、再び成功者となる可能性は他の誰とも変わらない。 向上心溢れるビジネスパーソン諸氏がリンク先の記事を読んで、自らを鼓舞する暗示を覚え、じっくり取り組む姿勢を手に入れ、外に出て行く勇気と気力を持ち、交

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    rAdio 2009/05/31
    あの例に限らず、とかくこの世には、「自分にのみ適用すべきことを、他人にも適用させようとする」例が多すぎる…。
  • 他人を冷静に嫌うことの意味とその効用|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    まず、他者というのは基的にストレスフルな存在である。 もっといえば、自分自身も含めて「思い通りにならない物事」のすべてがストレスたり得る。生きること即ちストレスとの闘いなのである。中でも最も避け難く大量に存在し、思い通りにならない存在。その代表が他人だろう。あの人はあそこが厭だ。その人のそこが気に入らない。他人とある程度以上の関わりを持てば必ずそんな不満が出てくる。しかも、他人が齎すストレスは十人十色の上、玉虫色である。どんなに優れた経験則をもってしても避けられるものではない。避ける方法は唯一、断絶しかない。つまり、この世からの退場である。もちろんこれは最後の手段だろう。 人を嫌うにもいくつかのレイヤーがある。その内もっとも酷いものは、ほとんど差別に近い。それは「ある性質をもって他人を類型化し、その全体を嫌う」というレイヤーである。具体的には、朝鮮人を嫌ったり、同性愛者を嫌ったり、大人を

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    rAdio 2009/05/31
    どんな嫌い方にしても、「ただ嫌うだけでなく、対象にどうあらせたいのか」を明確に表明するだけで、少しはマシになると思う。「これだから女は…」よりは、「とにかく女は死ね、皆殺しだ」の方が良い。
  • 友だちが友だちでなくなるとき|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    そもそも友だちというのは、よく分からない胡乱な人間関係だと思う。 学校の同級生にしろ職場の同僚にしろ、一定期間否応なく顔を合わせ続ける。結局のところ、これがいちばん効く。もちろん、毎日顔を合わせていれば友だちというわけではない。明確な定義はできないけれど、「あえて」繋ぐ関係が友だちかな、とは思う。同級生や同僚と毎日会うというのは環境だ。でも、放課後いつも一緒に帰って遊んだり、転職してもよく会って飲んだりするのは「あえて」することに違いない。「あえて」一緒にすることの「積み重ね」が、友だちでい続けることの糧になる。それができるかどうかも、運とか偶然とかそういった要素が大きいように思う。 大人になるにつれ、友だちはできにくくなる。そんな話を時折耳にする。個人的な実感としてはよく分からない。確かに、そうしたことに割ける時間は少なくなった。ただ、ぼくは子供の頃から友だちはそう多い方ではなかった。ぼ

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    rAdio 2009/05/12
  • 少しずつ理想の隔離社会を目指そう|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    電車で男女を強制分離するくらい別に何の問題もない。実際そうだと思う。 ・はてなブックマーク - トイレも男女別だから電車も男女別でいいんじゃない? - 脳内新聞(ソース版) 問題さえなければ強制されても構わない。正直、個人的には同意しがたい。強制の範囲は小さければ小さいほどいい、とぼくなんかは思ってしまう。電車で痴漢が起きやすいのは「男女が一緒にいるから」では、たぶん、ない。密着できる、逃げ場がない、周りから見えにくい…というような状況が恒常的にある。問題はここだろう。これについては、前エントリーに書いた。そもそも鮨詰の箱で運ばれなきゃ社会生活が送れないこと自体が間違っている、というのがぼくの今の結論だ。で、ラッシュを規制してしまえと書いた。銭湯やトイレとどこに共通点があるのかよく解らない。 ともあれ、男女を分離したってさしたるデメリットはないんだし、少なくとも大多数と思われる「男性から女

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    rAdio 2009/04/22
    素晴らしい。これぞ理想社会。性別を問わず全ての「交際」を禁止してしまえばいい。いや、禁止だけでは生ぬるい。「非・交際的」でなければ人間にあらず、という倫理観を共有すべき。それこそが非モテに有利な世界。
  • 少し長めの前フリと痴漢を減らす大味な方法論|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    痴漢はこれといって特別な犯罪ではない。 人を殴っちゃダメだというのとなんら変わらない。ただ、特別視する社会があるだけだ。それは、加害者にも被害者にもあまりいい影響を与えていないように思う。たとえば、ムシャクシャして人を殴る。たまたま同じ電車に乗り合わせた相手で、イヤフォンから漏れる音にイラっとしてやってしまった。その後喧嘩になるか、周囲の人を交えてひと悶着あるか、警察に引き渡されるか、殴られた方が泣き寝入りするかは分からない。いずれ示談になるかどうかして終わるケースが大半だろう。殴った方が社会的に干されるとか殴られた方がキズモノ扱いされるなんてことはまずない。 これが、殴り殺した、となると話は大きくなる。当たり前だ。裁判に量刑というものがあるように、社会的な風当たりにも程度問題というのはある。これが痴漢になるとどうも様相が変わってくる。まあ、性犯罪全般にいえることかもしれないけれど、酷くナ

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    rAdio 2009/04/20
    そりゃあねぇ、「ジェンダー」などの区分を厳密に考えると "隔離方法" にも現実味がなくなるだろうけど、実際のところ、トイレや風呂はそうじゃないでしょ、と。電車もそれと同じで良いんですよ。
  • 物欲を満たしてくれるオシャレ眼鏡ブランド色々|Weep for me - ボクノタメニ泣イテクレ

    分不相応にもSTARCK EYES(スタルク・アイズ)のメガネを手に入れた。 などといっても、興味のない人にはさっぱり通じない。もしかすると、alain mikli(アラン・ミクリ)さえ知らない方が普通なんじゃないかと思う。ファッションにさして興味がなくてもシャネルやヴィトンを知らない人はそういない。一方で、ミクリみたいなオシャレ眼鏡の代名詞といっていいアイウェアブランドでさえ世間的な知名度はまだまだ低いらしい。もちろん、メガネに凝るなんて自己満足以外の何ものでもない。けれども、愉しむとはそういうことだろう。そして、愉しむネタは少ないより多い方がいい。せっかく眼が悪いならメガネだって愉しんで選べばいいと思う。 日で人気のメガネ専門ブランドといえば、先にも挙げたアラン・ミクリだと思う。やたらぶっといテンプル(つる)が存在を主張しているのを見たら、およそこのブランドのメガネだと思って間違いな

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    rAdio 2009/03/10
    眼鏡≠ファッション。眼鏡≒ガジェット。あのフォルム、機能…それはもう、「身に付けられるフィギュア」。icと999.9の日独コラボモデルなんか、たまらん形状と機能じゃないか、と、続きは、g:hebomegane:id:rAdio で存分に。
  • サヨクと非コミュは相性が良い|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    この人によるとサヨクは対話の彼岸にあるのだという。 ・左翼というのを、なにか誤解してる人がいるんじゃないか - 日毎に敵と懶惰に戦う 大雑把にいえば、決してブレない「自分ルール」を持った人ということだろうか。実体としては、サヨク共通のルールすら希薄に見える。要するにサヨクというラベリング自体、来歴を仄めかす以上の意味はないんだろう。そして、自分ルールなんだから当然他者と共有なんてできない。偶然、似たような志向の人と共闘できる可能性はあるかもしれないけれど、対話によってその規範を共有しようという意思はない。たとえば無自覚な差別意識によって自縄自縛に陥ってる人がいても、啓蒙によって自縄自縛を解くことはサヨクの役割ではない。ただ、差別を非難するだけである。 普通、論理思考というのは「正解のない前提」から発する。世の中の多くの事象に「正解」なんてないのだから、これは当たり前である。ある前提の確かさ

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    rAdio 2009/02/07
    別に右でも左でも、敵でも味方でも、何でもいい、「絶対法則」さえあれば、コミュニケーションは格段に「ラク」になる。コミュニケーションに瑕疵を抱える者にとっては、「不規則性」こそが最大の難関なのだから。
  • 結婚相手に「高学歴高収入」を求めるのは高望みではない|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    これは要するに抽象と具体の差なんだろうと思う。 ・高学歴でも低収入だと結婚率が低いとの調査結果出る - Ameba News [アメーバニュース] ・女性の結婚の条件 考える対象が目の前にあるのとないのとでは、考慮の幅に差が出て当然だろう。相手のいないまっさらな状態で「どんな人と結婚したいか」を考えることと、具体的に結婚を考えられる相手がいて「この人と結婚したいか」と考えることの間には、きっと海よりも深い溝がある。アンケートやなんかでよく見かける「女性が望む結婚の条件」的なものは、およそ前者に属することが多いのだろうし、ふたつめのリンク先にある匿名氏のような「体験談」は完全に後者の類だろう。高学歴高収入がいいと答えた女性も、相性や話し方や顔や匂いや性癖を考慮しないといっているわけでは、たぶんない。 引越しの予定もない人に「マンションに住むなら駅から徒歩何分以内?」なんて訊き方をすれば、普通

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    rAdio 2009/01/10
    問題は、「それを公表してしまうこと」にあると思います。語り得ぬことはあるし、ましてや、公器たるメディアがそのことについて殊更騒ぎ立てるなど、あってはならないことだと考えます。ただただ、沈黙せよ、と。
  • 周回遅れでもいい、繰り返される話題に思考停止するな|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    たとえばはてな界隈でも、同じ話が何度もホッテントリ(人気エントリー)入りする。 ある種のノウハウについて、或いは、ある種の社会問題や心理や性について。それだけ話題として需要が高く、同時代性に縛られないということだろう。ノウハウについてはその都度新しい読者に伝播するのだから、何度繰り返されてもいい。知っている人にとっても既に知っていることが分かりやすいからスルーすれば済む。けれども「貧困」だとか「才能」だとか「モテ」だとか「コミュニケーション」だとかいった話題になると、なかなかそうもいかない。新しい見解でもあるのかと読んでは、「またか」「何度めだ」という気持ちになる。クダラナイものを読まされたと思ってしまう。 書き手は、それを「新しい視点」とか「自分なりの発見」とか思って書いていたりする。一方、同じ話題を追ってきた先人にとってそれは、あまりに周回遅れで陳腐な見解にすぎない。で、「何度めだ」と

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    rAdio 2009/01/10
    「その話題についてはもはや沈黙するしかないし、そうすべきだ」と考え、話題にのぼること自体を忌避したい場合はどうしたらいいのだろうか…要は、「性愛について語ること」そのものを撲滅したいんですよね。
  • 「やる気」に応えられない人が「やる気」を問うな|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    当にやる気あるの?」というのは、やる気に応じられる人にだけ許される問いだろう。 ・派遣村:「当に働こうとしている人か」と坂総務政務官 - 毎日jp(毎日新聞) 実際、派遣村にどれだけ「当に働こうとしている人」が集まったのかは知らない。ただ、坂総務政務官は彼らが全員気だったなら何か手を打てたというんだろうか。気に応えるだけの職を全員分用意できるとでもいうんだろうか。それができないなら気を問うことに意味はない。にもかかわらず「当にまじめに働こうとしている人たちが日比谷公園に集まってきているのかという気もした」などというのは、言外に「彼らが救われないのは当に働こうとしていないからだ」とか「気で働こうとしない人は救われてなくても仕方ない」なんて思いを含んではいないか。 政治の役割のひとつは「自然な状態の不具合を不自然に調整すること」だろう。それは例えば、放っておいたらダメに

  • 向こうからやってくる嘲笑は避けられないが…|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    人を陥れ、嘲笑し、傷付けることが愉しいという人間は、たぶん、いるんだろう。 ・クリスマスイブ こういうことが平気でできる、或いは、わざわざ進んでやる人がいる。もちろん、匿名ダイアリーのそれが事実なのかネタなのかは分からない。が、そういうメンタリティの存在を否定する材料はない。もちろん、人を貶めて喜ぶような人間はそうしないと自己肯定もできないショボいやつなんだとかいったいい方は可能だろう。けれども、たとえ真実がそうであったとしても、件の匿名氏のような被害者が救われるわけではない。すでに固くなりつつあった殻は、いっそう固くなるだろう。将来、当の善意や好意に出会ったとき、もうそれを信じることはできないかもしれない。 虐げられ、卑屈になり、それで余計に蔑まれ、ますます人間不信になっていく。典型的な負のスパイラルである。そうやって、不幸になっていく人は、ややもすると「自ら不幸に突き進んでいる」よう

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    rAdio 2008/12/25
    この人の振れ幅の広さは時々分からなくなる。不思議だ。