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ブックマーク / amon.hatenablog.com (5)

  • 非難されているのは現実主義ではなく現状追認主義 - 非行型愚夫の雑記

    * - REVの日記 @はてなに対して。 分かっていて皮肉っているとは思うのですが、非難されているのは現実主義ではなく現状追認主義であり、現状追認主義が現実主義を騙っていることです。現実主義そのものが非難されているわけではありません。 目の前の現状を「既成事実」として追認し、問題に対して屈服する態度は現実主義ではないでしょうという話。 現実主義というのは問題解決に当たって現実的な方法で対処する態度であって問題を黙認することではありません。(手の打ちようがないので黙認することまで否定しませんが) 現実主義は諸々の問題に対して妥協を迫られるわけですが、妥協するのは問題そのものに対してではなく、問題解決にあたっての現実と理想の較差に対してというもの。 「現実を見よ」というのは当然の話であって、その現実に対して対応することを非難し、現実の問題構造の維持に与するがゆえに(「現実主義」と騙る)現状追認

    非難されているのは現実主義ではなく現状追認主義 - 非行型愚夫の雑記
  • 無責任であることに無自覚な「普通の人」 - 非行型愚夫の雑記

    「普通の人」は反差別・反貧困・反歴史修正主義のことをサヨクと呼びます。 そしてサヨクに対して「アドバイス」をしたり「『アドバイス』通りに行動するなら助力しないでもない」と言ったりすることはあっても通常それらの問題に対して自発的には行動したがりません。「普通の人」自身が差別・貧困歴史修正主義を悪いことと認識しているのにも関わらずです。 差別・貧困歴史修正主義は思想の左右の問題ではありません。「普通の人」も所属する「私たちの社会」の問題です。 つまり「普通の人」はそれらの問題に対し自らが所属する社会の当事者として良識に基づいて行動することをサヨクと呼び、「普通の人」自身から切断しているのです。 「普通の人」はそのようにして「私たちの社会」の問題に対応する責任をサヨクに丸投げし、「私たちの社会」の当事者として振る舞う責任から逃避しているわけです。その方が楽ですもんね。 これは実に無責任な振る

    無責任であることに無自覚な「普通の人」 - 非行型愚夫の雑記
    rAdio
    rAdio 2012/02/04
  • ジャングルは地獄 - 非行型愚夫の雑記

    「ジャングルは地獄」とはある種の恒真命題の理不尽や命題における要因の錯誤や二重基準を揶揄する言葉。*1 「AはB。Aでないのは○○なB」という命題では、AであろうとAでなかろうと結論はBになります。そういう条件によって結論が変わることがない命題の理不尽や、AとBは無関係でもAとBを結びつけるような要因の錯誤や、同種の物事でも二重基準で評価が異なる様を皮肉る言葉。(例えば、選択肢があるように見えても、そのどれを選んでも結果が変わらないのであれば、その選択肢は実質的には無意味です。そういう選択肢のどれかを選ぶことで、その結果に対する責任を負わされるとすれば、それは理不尽というもの。「ジャングルは地獄」の対象になるのはそういう選択肢自体やそれを用いる人、ある行動に対して行動が成功でも失敗でも行動を変えない人、やってることは同じなのに二重基準で評価を変える人など) ルーツは映画「フルメタル・ジャケ

    rAdio
    rAdio 2009/11/25
    「ジャングルは地獄」について。
  • 2008-04-30

    批判対象の正しさを認めておいて、その正しさを主張すること自体を批判する人。要は批判対象が自らの正しさの証を立てることを妨害したいんでしょ。 自分は「仲間」を批判するのに、自分への批判は「内輪もめ」は良くないと批判内容に反論せずに批判行為自体を咎める人。要は一方的に批判したいんでしょ。 普段、他人を冷笑しておいて、自分が冷笑される側になると(あるいは自分が冷笑されていると解釈すると)それを拒絶する人(烈火の如く怒ったりする)。要は一方的に冷笑したいんでしょ。 自己欺瞞の壁が分厚い人はこれを無自覚にやる。 世の中には 相手を排除するために 「周囲の助け」の存在を前提として 相手を挑発して暴行を引き出して被害者ぶる人もいる。 まあ、よくあるチンピラの類の手法。 挑発はどちらに転んでも自らに有利な二択を相手に仕掛ける手段となる。 相手が挑発に乗った場合、その時点で自らが「被害者」であることが確定す

    2008-04-30
    rAdio
    rAdio 2008/05/06
    ためになるHowTo記事。
  • 当事者なのに当事者として行動しない人の存在は腹立たしいが仕方がない - 非行型愚夫の雑記

    id:mojimoji氏の下記コメントに対する私なりの回答です。 僕の記事が、D_Amonさんへの批判になっているかどうかは、そうなりえる、という認識を持っていることを表明しておきます。D_Amonさんの中には、観客席を容認していると読めるところと、それに反発しているところの、両方があるように見えますから。だから、僕の記事ではリンクを明示していません。後はD_Amonさんが整理して考えることだと思いますので。 私自身は「観客席」という言葉で表現されるものを不快に思っていますが、それを求める人がいるのは仕方がないと思っています。 例えば労働問題。 御用組合ではない労働組合のある職場で労働問題の当事者である労働者でありながら労働組合に加入しない人がいます。 労働組合に加入している私から見れば、そういう人の存在は腹立たしいわけです。そういう人は組合費と組合活動という負担を負わずに、組合活動により

    当事者なのに当事者として行動しない人の存在は腹立たしいが仕方がない - 非行型愚夫の雑記
    rAdio
    rAdio 2008/04/07
    ただまあ、「メシア」を期待するのは「観客席の人」というよりはもっと別の何かのような気がするなぁ。
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