ブックマーク / hagamag.com (2)

  • 『エクソダス・フロム・イショクジュー/衣食住からの脱走』に関する記事|DOZiNE

    ワクサカソウヘイ 『エクソダス・フロム・イショクジュー/衣住からの脱走』#05 べるべきか、べないべきか、それが問題だ(後編) 衣住にまつわる固定観念をあきらめることこそ、「将来に対する漠然とした不安」に対抗できる唯一の手段なのではないか。ワクサカソウヘイによるおおよそ“真っ当”ではない生活クエストの記録。第五回は「断」ならぬ「不」への挑戦。ひとはべなくても「便」をする。 2019.9.10 ワクサカソウヘイ 『エクソダス・フロム・イショクジュー/衣住からの脱走』#04 べるべきか、べないべきか、それが問題だ(前編) 衣住にまつわる固定観念をあきらめることこそ、「将来に対する漠然とした不安」に対抗できる唯一の手段なのではないか。ワクサカソウヘイによるおおよそ“真っ当”ではない生活クエストの記録。第四回は私たちにつきまとうの悩みを巡って。合言葉は「べるものがなければ

  • 今、戦略的に「自閉」すること──水平的な横の関係を確保した上でちょっとだけ垂直的に立つ|精神科医・松本卓也インタビュー

    今、戦略的に「自閉」すること──水平的な横の関係を確保した上でちょっとだけ垂直的に立つ|精神科医・松卓也インタビュー ともすれば、過剰に「開かれ」すぎてしまったがゆえのディスコミュニケーションが目立つ現在、あらためて「自閉」という状態の持つ可能性を探る。精神科医・松卓也氏インタビュー。 一般に主体のあり方をめぐっては、外に向かって「開かれ」ている方がより望ましく、逆に自らのうちに「閉じて」しまうことは望ましくないという、なんとなくの印象がある。言い換えれば、よりコミュニカティブであることが素晴らしく、そうでないことは悪いことであるという、うっすらと、しかし広く蔓延した信念のようなものが存在する。 近年、精神分析においても注目を集めている「自閉症」や「アスペルガー」が治療すべき病、定型的な主体モデルから逸脱した異常性として捉えられている背景には、おそらく、そうした常に「開かれ」ていること

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