歌ってくれる人というのは、それだけで心を開いてくれているような予感がする。それが本当かどうかなんていいんだ、歌声は話し声よりも「呼吸」に近いように思うし、とても心や体に近いと思う。その人の「その人だけのもの」を、その人が許してくれるから、少しだけ私も聞くことができているような、そんな、友達になるとか恋をするとかとは全く違う、「親しくなる」ことのかけらのようなものが歌を聞く時間、きっと、降りてきている。 そんなふうに感じる歌として一番最初にイメージするのは、柴田聡子さんの歌。 ああ、きた、あの曲がきた ねえ、いま、きみも気づいた? 目深の帽子の奥の まぶたに光が跳ね返る ※ 柴田さんの歌は「わたし」も「きみ」も、私じゃないってわかる。こんなに、「ねえ、いま、きみも気づいた?」って密閉したイヤホンの中で聞こえているのに、とても遠い人の、親しい人との会話が歌になっていると、感じる。でもそれでいい
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