続けて「熊本・阿蘇の蒟蒻屋を営む商家の長男で、四人の子を抱える普通の父親が、何故、三度も最前線に送られなくてはならなかったのか。三度目の召集令状が届いた時、祖父は『またか…』と天を仰いだという。その心中を慮ると胸が張り裂けそうになる。戦地からの手紙が残っている。遅れがちな給料の督促手続きについて、度々、妻に指示する内容である。なるべくカドの立たぬよう、穏便に粘り強く申し出るよう…と。これが当時の祖父に対する日本国の扱いである。私は決して忘れない。祖父は靖国神社に祀られている。私がそこに参る事は、決してない」としぼり出すように言葉をつづった。 戦死者「遺族」が明かした思いに、フォロワーは「このお話を読んだ私も、決して忘れないようにします。大切な投稿をありがとうございます」「私の祖父も靖国神社に祀られています。満州に渡りシベリアで戦死しました」「戦争をまったく知らない私ですら、その足跡に絶句し