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大坂冬の陣1.狡猾(こうかつ)!徳川家康!!
慶長十九年(1614)四月、前天下人の継嗣・豊臣秀頼は方広寺(ほうこうじ。京都市東山区)を再建した。 すべ... 慶長十九年(1614)四月、前天下人の継嗣・豊臣秀頼は方広寺(ほうこうじ。京都市東山区)を再建した。 すべては豊臣家滅亡を目指す現天下人たる大御所・徳川家康のたくらみであった。 「方広寺を再建してあげなさい。大仏も造ってはどうですかな?亡き尊父(秀吉)も喜ばれましょう」 方広寺は天正十四年(1586)に豊臣秀吉が大老・小早川隆景に命じて造らせた大寺である。 伽藍(がらん)は豪華で高さ六丈(約十八メートル)の大仏も鎮座していたが、慶長元年(1596)の大地震で全壊していた。 秀頼は素直であった。 「そうですね。再建すれば亡き父も喜ぶでしょうね」 いや。本当に喜ぶのは、ほかならぬ家康であった。 家康はここぞとばかりに勧めた。 「長い戦乱で全国各地の有名な社寺が荒廃しました。もはや天下は平和になりました。もともと貴殿の尊父は無一文から全国を平定し、天下一の大富豪にまで昇り詰めました。このことはひ
2013/12/02 リンク