[書評]「解像度を上げる」 – ふわっとした課題感。ふわっとした解決策から脱却するための解像度を手に入れる
[書評]「解像度を上げる」 – ふわっとした課題感。ふわっとした解決策から脱却するための解像度を手に入れる
ブームになったので、なにか政策が失敗するたびにナッジだのパターナリズムだのの用語を持ちだして賢しげに「こうすればうまくいくのに!」とコメントする人も多い。 (ナッジやパターナリズムは、思い込みを利用して成果を出すための仕組み。 ナッジ: なにか得する行動をするような仕掛けをつける。たとえばトイレの小便器の中心にハエの絵を書くと、そこめがけて小便する率が上がってトイレがキレイになる パターナリズム: 多くの人にとってオススメの選択肢に予めマルをつけておこう、たとえばレストランのメニューでヘルシーなものを目立つようにしておけば健康が改善するだろう) でも、「そうした岡目八目のほとんどは間違っている」というのが、まさに行動経済学だ。ノーベル賞をとった学者たちは、実験でそうした思い込みの存在を証明し、うまく思い込みを利用して他人の意思決定や行動を変えさせることに成功したことで評価されている。 失敗
「哲学は何の役に立つのですか?」 哲学をやっていて良いのは、メタ的に疑う目を養えることだ。 たとえば、「哲学は何の役に立つのですか?」という質問が、どんな前提で発せられており、その前提が孕む別の問題に気づけるようになる。 質問者は、「哲学は〇〇の役に立ちます」という回答を期待している。〇〇には、適当な言葉が入る。たとえば、「論理的思考」や「詭弁術」、あるいは「認知バイアスの明確化」「会議における論駁」など、いくらでもある。そこから質問者は、〇〇を身につけるには、別に哲学である必要はない、と言うことも可能だ。 まさにここが問題になる。 「哲学が〇〇の役に立つ(a)」からといって、「〇〇のために(b)哲学がある」わけではない。この(a)と(b)を混同させる発想が、質問の前提にあるのだ。いま哲学を槍玉に挙げたが、哲学に限らず、歴史、数学、文学など、学問分野は質問者の意図によって入れ替え可能である
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