不運と理不尽に襲われたとき、うまく切り抜ける人と、逃げ切れずに酷い目に会う人の違い - 分裂勘違い君劇場 by ふろむださん ほとんどの人間は、それほど酷い不運にも理不尽にも見舞われないので、マッチョにもウィンプにもならない。 酷い不運と理不尽に襲われた人間だけが、マッチョorウィンプになる。 マッチョとウィンプは、かなりクリアに区別できる。 そして、そのような世界で、不運と理不尽に襲われたとき、マッチョになる道を選ぶか、ウィンプになる道を選ぶか、それはあなたの自由だ。 マッチョでもウィンプでも、あなたの好きな方を選ぶといいだろう。 そうかしら? 続きを読む タイトルが全てです。 学校だけ、暴力が免罪されるのはなぜでしょうか? 殴っても、それは「子ども期」だから許されるのでしょうか? 僕は許されるべきではないと思う。 続きを読む
コロナ対応のさまざま 世界的にはほぼ西洋人タイプか中国人タイプになる。なんで唯一日本人だけが変わってるのか。 <西洋タイプ> 憲法の非常事態に基づいた行動制限法、違反したら逮捕。要請したって守るわけない。法律を制限しても暴動起こして反発する <中国タイプ> 要請なんて絶対無視。法律でも守るか怪しい。だから共産主義権力で、厳しく逮捕、拘束、罰金、資格剥奪。法律に則っているかも怪しい圧力。 <韓国> 一番日本に近くで世間圧が働く。でもあそこも国家権力が強くて法律はしっかり作って守らないものは行動をネットで公開されるとか見せしめやってたね <日本> なんか緩いコロナ関連の法律作ったけど使ってないだろう。国家圧力も別にない。なのに世界で一番コロナ対策を行われた。同調圧力と言われる。同調圧力だけで国を左右する国 社会系倫理と世間系倫理 日本には、社会系倫理と世間系倫理があると言うこと。社会系はようす
オンライン無料ゲームのすべて 一昔前まではゲームと言えば、アーケードやコンソールを使うゲームが主流でした。しかし、インターネット通信環境が向上し、最近ではオンラインゲームが主役の座を奪いつつあります。従来のゲームとは異なり、オンラインゲームは無料でプレイできるものがたくさんあります。また、有料のゲームにもライト版があり、無料で試すことができます。本サイトではそんな無料のオンラインゲームについて解説していきたいと思います。 クロスプレイを搭載した無料ゲーム 3 Jul 2021 数多くの流行りのFPSではクロスプレイと呼ばれる機能が付与されており、コンシューマー機やPCなど機種に超えて一緒にプレイすることができるようになっています。 Comment → 次々と進化していく無料オンラインゲーム 27 May 2021 無料オンラインゲームで代表的なジャンルといえばMMORPGでしょうか。昔から
最近、妻子による心中事件というのを、よく耳にします。 その理由はそれぞれあるのでしょうが、育児ノイローゼも一つの大きな要因でしょう。 仕事に忙しく、なかなか育児に参加しない夫。核家族で相談できる相手もなかなか無く、なかなか泣き止まない乳児を前に途方にくれ、育児疲れのイライラが精神を蝕む……。 やはり、育児には、夫の協力は不可欠です。 「協力」というか、育児は妻の仕事ではなく、夫婦で行なうものですね。 まあ「亭主元気で留守がいい」という考えの奥さんも少なくはありません。母親としても、必ずしも男性に育休まで取って欲しいとは願っていないという声もありますし、逆にしっかり仕事をして、ちゃんと給料を稼いでほしい……それが本音の昨今かもしれませんが、やっぱり子育ての現場に父親の愛情は必要ですよ。 (そこらへん、父親が育児に参加すると、子どもの自己評価が高まる、という記事を以前書きましたけどね) そこで
不運と理不尽に襲われたとき、うまく切り抜ける人と、逃げ切れずに酷い目に会う人の違い - 分裂勘違い君劇場 by ふろむださん ほとんどの人間は、それほど酷い不運にも理不尽にも見舞われないので、マッチョにもウィンプにもならない。 酷い不運と理不尽に襲われた人間だけが、マッチョorウィンプになる。 マッチョとウィンプは、かなりクリアに区別できる。 そして、そのような世界で、不運と理不尽に襲われたとき、マッチョになる道を選ぶか、ウィンプになる道を選ぶか、それはあなたの自由だ。 マッチョでもウィンプでも、あなたの好きな方を選ぶといいだろう。 そうかしら? 続きを読む タイトルが全てです。 学校だけ、暴力が免罪されるのはなぜでしょうか? 殴っても、それは「子ども期」だから許されるのでしょうか? 僕は許されるべきではないと思う。 続きを読む
ドキュメンタリー映画「靖国」における稲田朋美議員の活躍などを見ていて、ようやくピンとくるものがあった。 ネオリベ、保守化、戦前、右傾化、と21世紀の日本を彩る言葉をたくさん見たけれど、一番しっくりくるのが文革化ではないかと思った。 文化大革命とは60年代から10年に渡って毛沢東がやった極左政策だが、そのころの中国は、ほとんどファシズムと化した宗教的な個人崇拝と、「旧弊なもの」への狂おしいほどの憎悪がみなぎっていた。そのころの中国と今の日本はそっくりだと思う。長くなるからわけて書く。 1、個人崇拝とエリート 文革では、「毛主席は言ったね」などと、毛語録(聖書と並ぶベストセラー)をふりかざしながら若い紅衛兵らがその土地の市長や村長や党幹部たちに襲いかかり、「反革命分子」とレッテルを貼り、家や建物の壁に「造反有理」(理由ある反抗)とペンキで書きまくった。都会のエリートや文化人を「ずるしやがって!
ひっさびさに頭にきた。久々に腹が立った。 思い出しただけでもムカついてくる。 お前の話はいっつもそうだ、主語が「自分」じゃねぇ。 だからオレは怒るんだ。 いや、グチも弱音も聞きますよ。そりゃ、ちゃんと聞きますとも。 でももう、それも何度も繰り返してきたことだし、そろそろ気も晴れたろうから、 「どげんせんといかん!」って言いながら動くタイミングだと思うんですよ。 オレらの話って言ったら、仕事か恋愛かお金のことばかりで、 お前ときたら報われない現状に対して、 たくさんの視点から今の自分の状況を説明してくれて、嘆いてくれるのだけど、 例えば「今の会社は自分に合わない」って話になって、 「じゃあ、転職すればいいんじゃないかな」って言ったときに、 どうしてその答えが、 「転職っていうのは一生涯で見ると収入的なデメリットが多い」とか、 「今の日本の転職市場では…」とか、 一般論の話になってしまうんだよ
「単なる知り合い」と「人脈」は全くの別物である。人脈とは、自分のことを高く評価してくれる権力者のことである。 20代の時にあちこちに恩を売りまくっておけ。そいつらはいろんな組織で成長して権力を握り、30代半ばには、強力な人脈になる。 自分とは違うタイプの優秀さを持った人間を「無能だ」と決めつけて切り捨てるのは、致命的な機会損失である。 客観的なビジネスプランはたいてい役に立たない。自分の熱い主観を企画書にぶち込め。 みんなの良い意見を集めても魅力的な企画にはならない。優れた企画は、たいてい誰かの個人作品である。 目下の人間にも、上司に対するのと同じだけ敬意を払い、「さん」付けで呼んでおけ。自分の部下を「君」付けで呼んでいると、そいつが抜擢されて自分の上司になったとき、「さん」で呼ばなければならなくなるという屈辱を味わうことになる。 ほとんどの人は、建前ばかり並べて会議をするので、思考力が失
2008-04-07 - reponの日記 ないわ〜 404 NotFound(暫定)まずは本旨には禿同であることを断った上で。自分は教育学部だったので、んじゃ学校はどうあるべきなの?とつい考えてしまう。 おそらく学校の立場としては難しいところで、かりにいじめがあったとしても、その加害者も被害者も共に成長過程にあるから、その先に成長の契機となるような新たな人間関係の変化とか成熟が生まれることを期待してしまう、というのが学校の正直な言い分だと思う。他者との関係の深化を通して子ども個人も成長するから、と。理想的にすぎる考えではあるけど、ただ同じ年齢、同じ地域に住んでいるというだけで「学校>学級」という濃密な人間関係の中に入れられ簡単には離脱できない積極的な理由というのは、そのようにしか説明できない。学校は人間に人間を【無理矢理・ランダムに】ぶつけ成長を図る場であると。恐ろしい場所ですね*1。そ
晴天の価値 2月中旬に出張で千葉へ行った。5日間の滞在中はずっと快晴で、気温は20℃に迫る春のような暖かさだった。仕事は朝から晩まで現場を走り回る過酷なもので、身体的にも精神的にも追い込まれた。毎朝、京葉線から見える美しい景色を眺めて正気を保っていた。太平洋へ燦々と…
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