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ブックマーク / www.hmt.u-toyama.ac.jp (3)

  • G・K・チェスタトン『正統とは何か』

    G・K・チェスタトン1)『正統とは何か』2) 私たちは、狂人には理性も論理もないと思っていないだろうか? ところが、チェスタトンは次のように言う。 狂人は正気の人間の感情や愛憎を失っているから、それだけ論理的でありうるのである。実際、この意味では、狂人のことを理性を失った人と言うのは誤解を招く。狂人とは理性を失った人ではない。狂人とは理性以外のあらゆる物を失った人である。(23ページ) の扉に著者の写真が載っている。きかん気の少年がそのまま大人になったようでもあり、いかにも頑固そうである。3)この風貌から意外な感じを受ける人もあるかもしれないが、こんなことも言っている。 誇りはあらゆるものを引きずり下して、すべてを荘重で重厚なしかつめらしさに投げ入れる。そして荘重ほど容易なものは実はほかには一つもない。自分のことだけを重々しく考える重厚さというものになら、人間は自然に「落ち着く」ことがで

  • 「研究ごっこ」Q&A

    「研究ごっこ」の見分け方のポイントを教えてください。 プロの学者はアマチュア研究家を見下しすぎではありませんか? 一生懸命研究している熱意をもっと認めてあげるべきではありませんか? 素人の「研究ごっこ」にいちいち目くじらを立てるのは大人げないのではありませんか? アカデミズム罵倒はいけないことのように言っていますが、これこそ「アカデミズムは絶対だ」という権威主義なのではありませんか? プロの学者はどうして博識を笠にきてアマチュアをいじめるのですか? プロの学者の方こそ一つの立場に固執して「狂信的」なのではありませんか? 自称「研究家」が狂信的になるのは、むしろアマチュアの研究に目もくれようとしないアカデミズムの閉鎖性が原因なのではありませんか? 不利な条件のアマチュアにプロと同じルールで研究しろという方が無理ではありませんか? アマチュアにはハンデを認めてもいいのではありませんか? ロマン

  • 「差別表現」を考える

    「差別表現」あるいは「差別語」をめぐる問題は、近年マスコミでも大きく取り上げられ、様々な立場の論者によって活発な議論がくりひろげられてきました。とくに、筒井康隆氏の小説「無人警察」については、筒井氏の「断筆宣言」をきっかけに議論が沸騰し、非常に多くの人が意見を表明しています。 しかし、これまでの議論の多くは、(差別)表現の規制の是非やその方法、差別への抗議のありかたやマスコミの対応など、どちらかと言えば二次的な問題に終始し、発端となった小説そのものの評価は十分行われてこなかったように思えます(1)。 このように具体的な表現内容についての議論が充分に展開されなかった原因は、「無人警察」における表現の意図と、その小説が差別表現であるか否かが切り離されてしまったことにあると思います。差別であると告発された表現が小説の主題とどのように関っているかは、まったくと言っていいほど論じられてきませんでした

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