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ブックマーク / www.jacar.go.jp (11)

  • アジ歴ニューズレター

    アジア歴史資料センターで公開している資料は、歴史研究だけではなく、映像作品やテレビ番組の制作における時代考証など、様々な分野で活用されています。そこで、アジ歴ニューズレター第30号の特別企画として、映画監督であり、航空史研究者でもある片渕須直氏に、自身の作品や研究と、アジ歴資料とのかかわりについてお話をうかがいました。 プロフィール 片渕須直(かたぶち・すなお) 1960年大阪府枚方市生れ。日大学芸術学部映画学科卒。アニメーション映画監督。監督デビュー作は『名犬ラッシー』(「世界名作劇場」)。その他の主な監督作品に『BLACK LAGOON』、劇場公開作品に『アリーテ姫』『マイマイ新子と千年の魔法』『この世界の片隅に』。『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』が2019年12月20日公開予定。航空ジャーナリスト協会会員。 ―片渕監督は最初、航空史研究のためにアジ歴を利用されていたとのこと

    アジ歴ニューズレター
  • アジ歴ニューズレター第18号

    私は大学で日近現代史の講義をしています。生涯学習・社会教育の場でも、日近現代史について話をします。 世界中から留学生や社会人が、私の講義を聴きにきてくれます。あくまでも実証的に、原史料にもとづいてお話をすることを、私はとても大切にしています。 ですから、国立公文書館のデジタルサイト・アジア歴史資料センターを、学生や聴講者のみなさんとともに利用します。 地方で学ぶひとたちでも、無料で、常時、原史料を閲覧、コピーすることができますし、史料へのアクセスがとても簡単で、多数国語で構築されているので利用しやすいです。 終戦から70年、私は、アジア歴史資料センターのデジタル史料のなかに、「戦陣訓」を見つけました(レファレンスコード:C01005234000)。 「戦陣訓」は、日が英国と米国に宣戦布告した1941年の初めに公布され、「生きて虜囚の辱を受けず」で有名です。 日兵に捕虜となることを戒

  • インターネット特別展 公文書に見る日米交渉

    昭和15年(1940年)の日軍の北部仏領インドシナ進駐と、日独伊三国同盟の締結に対する、アメリカ側の重慶国民政府への援助強化、太平洋艦隊の強化などの対応によって冷え込んだ日米関係を打開するため、同年11月、ウォルシュ司祭とドラウト神父が来日しました。二人は政府、財界、軍部各方面の関係者と会見し、日米関係の改善策について意見を交換しました。そして、アメリカ帰国後の昭和16年(1941年)1月、ルーズヴェルト米大統領とハル米国務長官にその結果を報告、「ウォルシュ覚書」を提出しました。この民間交渉の背後にいた人物としてフランク・ウォーカー米郵政長官が挙げられます。 また、ウォルシュ、ドラウトの訪日時、日側でもっとも緊密な連絡をたもったのは、産業組合中央金庫理事の井川忠雄でした。井川はドラウトが日滞在中にもちかけた「日米首脳会談」案を近衛総理大臣、松岡外務大臣、武藤章陸軍省軍務局長らに取り次

  • アジ歴グロッサリー|テーマ別資料検索ナビ

    アジ歴グロッサリーとは アジ歴で資料を検索するのに、どのような用語をキーワードにして探せば良いのかわからない!探したい資料が見つからない! そんな時に、誰もが簡単に資料を見つけられるよう、資料検索のナビゲーション機能を設けました。 テーマ別にキーワード一覧、地図、組織変遷表、年表等から、お探しの資料や関連資料にもスムーズにアクセスすることができます。 テーマ別検索はこちらから

    アジ歴グロッサリー|テーマ別資料検索ナビ
  • アジ歴ニューズレター

  • アジ歴ニューズレター第14号

    この4月からアジ歴のセンター長を務めています。 初代の石井米雄先生、二代目の平野健一郎先生を継いで三代目ということになります。 アジ歴との関係では、10年ほど諮問委員を務めてきましたが、外務省の歴史事業により長くかかわってきました。 「日外交文書」編纂委員、外交記録公開に関する有識者諮問会議委員、日中歴史共同研究日側委員、いわゆる「密約」問題調査に関する有識者委員などです。 これらの仕事を通じて歴史公文書の管理、公開、編纂といった問題には比較的高い関心をもってきました。 アジ歴の設立は、1994年8月末、村山富市首相が、「平和友好交流計画」に関する談話のなかで、アジア歴史資料センターの設立に言及されたことに発端があります。 これを受け具体的なセンター構想が15名の有識者会議に託されました。 その発足にあたっての五十嵐広三官房長官談話は、日は近現代史について「影」の部分も「光」の部分も

  • 知っていましたか? 近代日本のこんな歴史 | 板垣退助暗殺未遂事件 ~「板垣死すとも自由は死せず」~

    板垣退助暗殺未遂事件 ~「板垣死すとも自由は死せず」~ ※印の画像はクリックで拡大します。 「板垣死すとも自由は死せず」!? (1) 板垣退助 ※ 「板垣死すとも自由は死せず」、この言葉は自由民権運動を推し進め、後に大隈重信とともに日最初の政党内閣を組織した板垣退助の名言として知られています(1)。 明治15年(1882年)4月に板垣退助は、岐阜県で刺客によって襲撃され、この言葉を発したと言われています。この言葉は、自由民権運動を象徴するものとして瞬く間に有名となり、現在にいたるまで広く我々が知るところとなっております。この言葉があまりにも有名になりすぎたため、板垣はこの時に暗殺されたと誤解している人も多いのではないでしょうか。しかし、実際には彼は一命を取りとめ、この後も政治家として精力的に活動を行いました。 ところが、時が経つにつれ、この有名な言葉もはたして当に板垣自身が言ったのだろ

  • 知っていましたか? 近代日本のこんな歴史 | ホーム

    今日の日の礎、近代日のあゆみ 近代のあゆみの中で、日人が経験したさまざまな出来事。政治制度や法制度の発展、外国との交流、そして戦争、災害。そこには、今日も語り継がれる人物のエピソードがあり、その後の日の運命を決定づけたエピソードがありました。そして、歴史の表舞台には登場しない人々の営みもありました。ここでは、明治から昭和初期に至る、そうしたエピソードのいくつかを紹介します。 明治前期の建白 ~建白書の時代~ ユリ根の輸出 ~欧米で愛好された 日の草花~ 近代的法制度の形成 ~日近代化の基礎~ 板垣退助暗殺未遂事件 ~「板垣死すとも 自由は死せず」~ 大津事件ロシア皇太子 遭難をめぐって~ 孫文と日 ~革命いまだ成らず~ 万国博覧会に見る日 ~明治・昭和の ≪COOL JAPAN≫~ 日露戦争と捕虜 ~国際ルールと実際~ ポーツマス講和会議 ~小村寿太郎と交渉の 「舞台裏

  • 公文書に見る日米交渉 - 国立公文書館 アジア歴史資料センター

    「詳細年表」「参考資料室」の各コンテンツを追加・更新しました。「日米交渉とは」内に「写真館」を開設しました。

  • アジア歴史資料センター

    アジ歴はインターネット上の資料館(デジタルアーカイブ)です。 国立公文書館、外務省外交史料館、防衛省防衛研究所から、デジタル化されたアジア歴史資料(近現代における日とアジア近隣諸国等との関係に関わる日歴史的な文書)の提供を受け、データベースを構築してインターネットを通じて公開しています。

    アジア歴史資料センター
  • 国立公文書館・アジア歴史資料センター

    アジ歴はインターネット上の資料館(デジタルアーカイブ)です。 国立公文書館、外務省外交史料館、防衛省防衛研究所から、デジタル化されたアジア歴史資料(近現代における日とアジア近隣諸国等との関係に関わる日歴史的な文書)の提供を受け、データベースを構築してインターネットを通じて公開しています。

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    repunit
    repunit 2010/12/10
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