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2010年11月24日のブックマーク (5件)

  • 日記 - Blue-Periodさんの日記

    眞鍋かをりがブログをやめたし、自分も更新頻度は落ちたし、どこかの「ブログ」の更新を楽しみに待つ、という時間は、昔あったような形で今あるかというとないし、もうトゥイッターとかフェイスブックなんだろうか、など思うところと、自分は自分で昔からグダグダ書いていることと、そのネットのありようとの関わり方がどう変わるのか、デジタルカメラとか、動画とか。そう、動画に進むのかなと思ったこともあるけれども、そちらはわりと作りこもうとすると面倒すぎることもあるし、少なくとも自分はあんまり続けなかったし、逆に写真のほうに凝ったりしている今、この先、ネットと言わず、生活がどうなるのか、もやもやと考える。 いや書く、てことは、読む、の結果の部分もあるはずなのだけれども、たとえば最後に読んだ小説はカズオ・イシグロの『わたしを離さないで』だろうか。それ以来読んだという記憶がない。少なくとも感想文のブログは書いてない。書

    日記 - Blue-Periodさんの日記
    resuscitate
    resuscitate 2010/11/24
    『分からない、知らない、決められない、自信がない、那覇地裁が勝手にやりました、そんな感じに過ぎ行く日々、人間の形をした』
  • 俺はもう二度と皿を洗わない - Blue-Periodさんの日記

    佐川急便に起こされる土曜日の朝。目覚めと同時に満たされる物欲。 サインをして受け取るダンボール。ひとまず置いてE-P1のスイッチョン。 モノを減らすために引っ越してきた。それから少しずつまた、モノが増えてゆく。 必要に応じて増えてゆくのか、増やすことが目的なのか。 自転車用品のためのボックス。カメラ用品のためのボックス。 使わなくなったファックス。干したままのソックス。 田原総一郎さんの若い頃には結婚しても洗濯機も冷蔵庫もテレビもなかった。 テレビも冷蔵庫も洗濯機もない4畳半に住んでいて結婚しながら、僕はモテなかった、とてらいなく言う人のいる時代だ。 東京に住んでいた頃にはガスコンロがあった。 今よりも広いキッチンがあった。今はそれがない。なくて不便でないことが分かった。 タモリレシピが出回ったところで、俺の家には醤油も砂糖もみりんもない。 ソースも塩もマヨネーズも、なんにもない。使い切

    俺はもう二度と皿を洗わない - Blue-Periodさんの日記
  • 総合目次 - 苦しんで覚えるC言語

    苦Cの内容の転載などは自由ですが、苦Cからの引用であることを明記してください。 (どこかに「苦Cより」と書かれていればOKです。) 学校や会社などで生徒(新入社員)へのテキストとして使用することも自由です。 その際、内容を修正したり、印刷して配布するのも自由です。 サイトについて 苦しんで覚えるC言語(苦C)は C言語入門サイトの決定版です。 C言語の基機能を体系立てて解説しており、 市販書籍と同等以上の完成度です。

    総合目次 - 苦しんで覚えるC言語
  • ブラックマヨネーズが急にオモロなった理由- てれびのスキマ

    10月11日、18日深夜に放送された『お願い!ランキング』内のコーナー「ブラマヨとゆかいな仲間たち」のゲストはフットボールアワー。 フットはその中で、ブラマヨが「急にオモロなった」と感想を漏らしている。 後藤: 僕の意見だけじゃないですよ。岩尾も徳井とかとも話してたんです。正直、ブラマヨさん、急にオモロなったなって。『M-1』見たときに「ええっ!」ってなったというか。「どうなってんの?」みたいな。 岩尾: ちょっと笑われへんわってぐらい思いましたよ。 吉田: えー。どこで見てたの? 後藤: 僕らはね、営業に行ってて楽屋で見てたんです。ずーと、見ててブラマヨさん出てくるまで、みんなでワイワイ言って見てたのが、ブラマヨさん出てきてみんなこう(無言で腕組みに)なったんですよ。「えー!?」言うて。(略)それで「決まった」言うて消したんですよ。で、結果見ずに帰りました。 (ブラマヨ、二人で顔を見合わ

    ブラックマヨネーズが急にオモロなった理由- てれびのスキマ
  • 今月、「好きっていう気持ち」と劇的な出会いをした。

    彼女と愛とセックスと結婚について http://anond.hatelabo.jp/20101122004732 元増田の気持ちがわかる。彼にぼくから付け加えることは何も無いし、何かを議論しようとも思わない。ただぼくは、彼と違って、「当に人を大好きになってみたい、セックスしたいと思ってみたい(まあ、そうなれなくてもどっちでもいいけど)」とどこかで思っていたんだよね。同調圧力に屈したというのとは少し違っていて、むしろ同調圧力をかける側さえ実は手に入れていないような純粋な愛情のようなものがあるってことを信じる幼さが消えなかった感じ。そのことを少しだけ話したい。 ぼくは今年、「どっちでもいいこと」のうち、割合と簡単に実現できるものをいくつも試した。 高級な美容院に高いお金を払って通うとか、ミュージアムショップでアブストラクトな絵葉書やピンバッジを買うとか、カフェでメニューのアレンジを頼んで作っ

    今月、「好きっていう気持ち」と劇的な出会いをした。