本日15日、丁子さんとのトークショーとても面白かった。 彼女は、女性を描きたいのではなく、「心」を描きたいと言った。 でも、「心」は写真に撮れないよ。もし撮れるとしたら 教えて欲しいし、描くことができるの? すると もちろん「心」を描くことができない。でも、 存在は描くことはできなくても、それから発せられる 力?いや、なんて言ったろう、沸き立つ何か? 生命かな?そうものを描きたいので人物を描きたいのではない。 そして、それを見る側が、自分のこととして感じる力? そんな言い方しなかったけれど、僕はそう理解した。 見る側に「余白を残す」 それは「写真にも言えている」 見る側が、想像する余白。 彼女は下絵としての写真は、自由に動いてもらい乱写するそうだ。 そのなかから、一枚を選ぶのが大好きだと言った。 それはまるで、カメラマンだ。 そしてひとふでひとふで、何かを込めて描く。 うーん、写真はなかな
the end of the beginning - 始まりの終わり 10月22日 母が他界。 2年3ヶ月前に脳出血で倒れ、以後は歩行は出来ず意思の疎通も難しく、 幾度となく続く脳梗塞で、母との会話は壊れて混線した無線機で話すコミニュケーションの様に変化した。 それでも伝え伝わるものもあり、支えあって過ごす日々を送ることができました。 幾度もの危機、日常生活を多くのサポートで乗り切れ、本当に人に恵まれたと感謝の言葉 しかございません。 他界を機に生涯のある節目「始まり」の時期が終わり、 次の生涯のある節目「終わり」に向かって前進するための希望を感じることが大切であると今思う。 次のステージに進むために。
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