●引用,メモ。ドゥルーズ=ガタリ「被知覚態、変様態、そして概念」(『哲学とは何か』)より。 《小説はしばしば被知覚態(ペルセプト)に達している。たとえばハーディにおける、荒野の知覚ではなく、被知覚態としての荒野。メルヴィルの海洋の被知覚態。ヴァージニア・ウルフにおける都市の被知覚態、あるいは鏡の被知覚態。風景が見るのだ。(略)被知覚態、それは、人間の不在における、人間以前の風景である。しかし風景は、前提される〈登場人物の知覚〉から独立していず、またそれを介して、作者の知覚と想起から独立していないのだから、以上のすべてのケースにおいて、なぜそのように言いきってかまわないのだろうか。そして都市は、人間なしにかつ人間以前に、どのようにして存在しうるのだろうか。また鏡は、その鏡に映る老女がいなければ、たとえ彼女が鏡のなかの自分をみつめなくても、どのようにして存在しうるのだろうか。それは、(注釈され