4 月29日 東京市麻布区六本木町一番地で出生。(「自筆年譜②」に「父重康、母田鶴子の長男として東京(母方の祖父の家 麻布区六本木町一番地)に生まれる。東京帝室博物館勤務の父は折から奈良に出張中、宿で「タロウ、ウマル」の電報を受け取ったという。以後、長男は両親から弟妹を与えられることなく「ひとりっ子」として成長する。」とある。) 父、重康は1904年(明治37年)5月30日、東京市麻布区に、鐵太郎と壽子の二男として生まれる。1927年(昭和2年)3月、靜岡高等學校文科乙類卒業。1930年(昭和5年)3月、京都帝國大學文學部哲學科(美學美術史専攻)卒業。同年4月、同大學院(造型美術ノ研究)入学。1932年(昭和7年)、東京帝室博物館美術課嘱託。1936年(昭和11年)、東京帝室博物館鑑査官補。 母、田鶴子は1912年(明治45年)1月26日、小野八千雄と桂の二女として生まれる。雙葉高等女學校