2019.12.16 「『三国志演義事典』刊行記念 クイズに答えて三国志フィギュアを当てよう!」キャンペーンはご応募受付を終了いたしました。多数ご応募いただき、ありがとうございました! 『三国志演義事典』の刊行を記念して、三国志にまつわるクイズを出題。 正解者から抽選で三国志フィギュアを計15名様にプレゼント!! 川本喜八郎作の人形を細密に再現した、今では入手困難なフィギュアを、当選者お一人につきランダムで3体差し上げます。 何が当たるかはお楽しみに!! 応募締切 ・第1回:2019年9月30日 23:59送信分まで ※第1回のご応募は締め切りました。 ・第2回:2019年12月15日 23:59送信分まで ※第2回のご応募は締め切りました。 ※ 第1回は10名様、第2回は5名様にプレゼント。 ※ 当選者の発表は賞品の発送をもって代えさせていただきます。 ※ フィギュアについて:「北陸製菓
ヤン・ヒューリック @1xuVLqH3kQ 諸葛亮の北伐の目的というか、最終目標は長安制圧なんだろうけど、その手前で狙っていた基本方針は祁山を経由して雍州と涼州を分断して涼州方面を制圧し、第二の補給地点を確保することで長安へと東進することにあった。 2018-10-19 16:07:57 ヤン・ヒューリック @1xuVLqH3kQ 諸葛亮の第一次北伐と共に、雍州の三郡である漢陽(天水)安定、南安の三郡が陥落というか降伏している上に、諸葛亮は趙雲を箕谷に布陣させて囮にし、諸葛亮は自ら涼州方面に進撃しているので、諸葛亮の基本方針は雍涼分断、そして制圧が目的だったのが分かる。 2018-10-19 01:17:44
ヤン・ヒューリック @1xuVLqH3kQ 三国志雑談 鮮于輔という将軍がいます。この人を知っているのは相当なマニアですが、それぐたい知名度が低いことに定評がある人物で演義にも出てきません。 ですが、彼は曹操をも一目置くほどの名将でした。 ヤン・ヒューリック @1xuVLqH3kQ 彼は元々幽州牧の劉虞という皇族に仕えていたのですが、彼が公孫瓚と対立し、最終的に殺害されたことで幽州は公孫瓚が支配し、彼は屈強な兵力を有していました。 ヤン・ヒューリック @1xuVLqH3kQ あの袁紹も冀州を手に入れた頃は公孫瓚相手に劣勢でありましたが、名将麹義の指揮による界橋の戦いで彼に勝利し、次第に勢力を拡大していく中で公孫瓚を追い詰めていきます。その戦いの中で頭角を現していたのが鮮于輔でした。 ヤン・ヒューリック @1xuVLqH3kQ 鮮于輔は慕っていた劉虞の敵討ちに燃えており、同僚らと共に閻柔とい
猪突猛進型の将軍、といったところですね。 勇気と勢いで戦う異民族相手にはよいですが、陣形を駆使して戦う中華ではうまくいかなかった、という感じではないでしょうか。 公孫瓚が烏桓を憎悪するに至る物語は後漢書の公孫瓚伝(や劉虞伝)に詳しいです。 涼州の反乱討伐に、督烏桓突騎として従軍しましたが、配下の烏桓騎兵3千に背かれて烏桓は張純の反乱に合流してしまいます。 公孫瓚はこの戦いで大活躍するのですが、深追いしすぎてかえって包囲にあい、200日余りの籠城戦で食料が付き、馬を食い弓を燃やして凌ぎ、とうとう兵を解散して逃走しましたが、寒い時期で穴に落ちて死ぬ兵が半数もあったといいます。 以来、公孫瓚は烏桓を親の仇のように憎悪して、遠く騎兵の後塵を見れば必ず追って、時に夜戦になることもあったとあります。そうして烏桓にも恐れられるようになっていったわけです。 このあたりのくだりが、三国志公孫瓚伝では異民族と
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