関連タグで絞り込む (2)

タグの絞り込みを解除

歴史と文化に関するroseknightのブックマーク (6)

  • わび・さび・幽玄:伝統的な日本の美意識はいかにして形成されたのか?

    「わび・さび・幽玄」は、日文化のエッセンスだと考えられている。和歌、能、茶道、俳諧などを通じて、こうした伝統的な美意識が形成されてきたと私たちは思いがちだ。しかし、これらの言葉が日の美意識を示す3点セットになっていくのは、東京五輪や大阪万博の時期になってからのことだ。日美のクリシェ(常套句、じょうとうく)はどのようにして生まれたのか。 海外の日文化研究者に「日美の質とは何か」と問われることがよくある。そんな時、日の伝統文化を貫く美意識を伝える便利な言葉がある。「わび・さび・幽玄」である。もっと別の要素があることは十分に承知しているのだが、そう答えると自分でも妙に納得してしまう。まるで魔法のような言葉だ。それでいて、「わび」と「さび」はどう違うのか、「幽玄」とは何かと問われると、途端に困ってしまうのだ。 それにしても、「わび・さび・幽玄」こそが「日的なるもの」と考えられるよう

    わび・さび・幽玄:伝統的な日本の美意識はいかにして形成されたのか?
    roseknight
    roseknight 2023/11/09
    不完全さへの意識に基づく「侘び」と内面的な豊かさを表す「寂び」は、己の在り方を見つめ直す概念ではないか。「幽玄」は異文化との接触の中で生まれた美的原理だろう。他者との交流が独特性の基なのかも知れない。
  • 葉月(8月): 八朔・富岡八幡宮例大祭・中秋の名月・放生会

    は古来、春夏秋冬の季節ごとに大衆参加型のイベントが各地で行われてきた。これらを総じて「年中行事」と呼ぶ。宗教・農耕の儀礼を起源とする催事から、5月5日端午や7月7日七夕などの節句まで、1〜12月まで毎月数多くのイベントがあり、今も日社会に息づいている。シリーズではそうした年中行事の成り立ちや意義などを、文化の成熟を示す例として紹介していく。 幕府の創立記念日・八朔 毎月1日を朔日(さくじつ)という。なかでも8月1日は、1590(天正18)年同日に徳川家康が江戸に入府したということもあり、幕府が祝日としていた。これが八朔(はっさく)だ。 豊臣秀吉が、小田原の北条氏を半年に及ぶ長期戦で屈服させたのが、天正18年7月。秀吉はすぐに配下の武将たちの領国を再編し、徳川家康にも国替えを命じた。家康が新たに与えられたのが、武蔵・伊豆・相模・上野・上総・下総と、下野と常陸の一部。その中から家康が拠

    葉月(8月): 八朔・富岡八幡宮例大祭・中秋の名月・放生会
    roseknight
    roseknight 2023/07/29
    八朔における白色は節供や鎌倉公方に由来するのだろうか。八幡宮の祭礼にあった「祭禮」の幟は庶民にとって縁起がいいものか?月見舟と放生会は神話に関係する行事なのかも知れない。八幡宮文化の謎は深いだろう。
  • 日本人がじつは知らない…「知の巨人」は見ていた、東日本と西日本の「決定的な違い」(現代新書編集部)

    『忘れられた日人』で知られる民俗学者・宮常一とは何者だったのか。その民俗学の底流にある「思想」とは? 「宮の民俗学は、私たちの生活が『大きな歴史』に絡みとられようとしている現在、見直されるべき重要な仕事」だという民俗学者の畑中章宏氏による『今を生きる思想 宮常一 歴史は庶民がつくる』が2刷重版出来、話題となっている。 「小さな歴史」の束から見えるもの 日全国を歩き、人びとの話を聞いた宮常一。聞き集めた「小さな歴史」の束から見えてくるものとは——。 〈宮は日列島をすみずみまで歩き、多くの人びとから夥しい数の話を聞いた。民俗学はもちろん、人類学や社会学でもフィールドワークは調査研究の重要な手法だが、宮のそれはほかの調査者たちとどのように違うのか。宮は自身のフィールドワークをふまえてこんなふうに記している(「あるいて来た道」『民俗学への道』著作集版より要約)。 さまざまな差が

    日本人がじつは知らない…「知の巨人」は見ていた、東日本と西日本の「決定的な違い」(現代新書編集部)
    roseknight
    roseknight 2023/07/18
    東日本のイエ社会では年齢階梯制が希薄で、西日本のムラ社会では横断的な組織が発達した。年功的な意識は地域ごとに異なるのか?基礎的な共同体からクニの意識が生まれる。今の故郷は尊重されているだろうか。
  • バレンタインデーの由来「聖ウァレンティヌス」 恋人だけじゃない医療でのあまりにも重要な役割 | AERA dot. (アエラドット)

    「バレンタイン」の由来となった聖ウァレンティヌスは医療でも重要な人物だった(gettyimages) 『戦国武将を診る』などの著書をもつ産婦人科医で日大学医学部病態病理学系微生物学分野教授の早川智医師が、歴史上の偉人や出来事を独自の視点で分析。今回は、バレンタインの由来にもなった聖ウァレンティヌスについて「診断」する。 *  *  * バレンタインデーに「気の」チョコレートを貰ったのは、いつが最後だったかよく覚えていない。家人や患者さんに加えて進級判定や学位審査と重なることから、学生や院生、女性教室員から貰う「義理チョコ」は、医局に置いておくと腹を減らした学生たちもべてくれて1~2週で綺麗になくなってしまう。バレンタインデーにチョコレートを贈る習慣は1970年代以降に日で独自に広がったようだが、その起源はよくわからない。バレンタインに由来する聖ウァレンティヌス自体は実在の人物で、2

    バレンタインデーの由来「聖ウァレンティヌス」 恋人だけじゃない医療でのあまりにも重要な役割 | AERA dot. (アエラドット)
    roseknight
    roseknight 2022/02/14
    聖ウァレンティヌスが主に成人男性の癲癇を癒そうとしてきたことは、チョコを渡す日本の慣習にも関係するのかな。人の苦境を和らげようとする意思が続いているのか?癲癇とチョコ、何かが繋がるのかも知れない。
  • 東京オリンピック記念連続シリーズ第5回~パラリンピックの歴史と功罪~【コラムその46】 - スタ辞苑〜全国スタジアム観戦記〜

    オリンピックが終わると、ほっとひと段落… する間もなく、パラリンピックが始まります。 とはいえ、やっぱりオリンピックの方ばかりが目立ち、パラリンピックの注目度はオリンピックに比べると下がってしまうのは事実です。 今回はそんなパラリンピックの歴史と功罪を紹介いたします。 1.パラリンピックの始まり 2.パラリンピックは3つある? パラリンピック デフリンピック スペシャルオリンピックス 3.サイボーグ化していくアスリートたち 4.まとめ 1.パラリンピックの始まり パラリンピックが始まったのは1964東京オリンピックの一つ前、1960年のローマ大会から。すなわち1964東京パラリンピックは第2回目ということになります。 で、なぜこのパラリンピックが始まったのかというと、時は1948年、ロンドンにさかのぼります。 この年、ロンドンではオリンピックが開催されました。その開会式と同日、イギリスのス

    東京オリンピック記念連続シリーズ第5回~パラリンピックの歴史と功罪~【コラムその46】 - スタ辞苑〜全国スタジアム観戦記〜
    roseknight
    roseknight 2021/08/10
    今のパラリンピックにリハビリとしての面影はあるのか?選手のサイボーグ化が目的化されているようにも見える。今後、少子高齢化を迎えるアジアを中心にパラは活発になるだろう。日本こそこの大会を主導するといい。
  • 日本精神医学の歴史⑥「武家政権・医療の変化・芸能文化」 - まだなにも決まっていない blog

    みなさん、こんにちは、私です。 maedaaaclinic.hatenablog.com の続きになります。 中国からもたらされた仏教、医療、社会制度に習い、 日は独自の発展をしていく。 時代は平安時代 丹波康頼(912-995)が多くの中国医書類をまとめ 「醫心方(いしんほう)」(984)を編集します。 医心方の世界 (新装版): 古代の健康法をたずねて 作者:槇 佐知子 人文書院 Amazon 精神疾患については「巻三風病篇」で 驚悸(動悸)・言語錯乱・癲病・狂病を取り上げ、 風邪(ふうじゃ)による気血バランスの失調を原因とし、 症状別に漢方・鍼灸治療法が詳しく記述された。 中国医書の「小品方」を引用して、 突然発狂した者には「一日中顔に冷水を注ぐ」とあり、 灌水療法も知られていた。 平安中期から後期には国風文化が成熟し 「やまい」や「物の怪」が絵巻物や物語に登場するようになった。

    日本精神医学の歴史⑥「武家政権・医療の変化・芸能文化」 - まだなにも決まっていない blog
    roseknight
    roseknight 2021/06/12
    精神疾患が物の怪等に例えられた背景にある「物狂」の観念が日本の精神医療の原点なのかな。地方の国医師制度を破壊した鎌倉仏教はそもそも日本人には合わなかったのでは。平安人時代の人の感覚には学ぶ点があるな。
  • 1