封建制度を撤廃できる条件が整うまで 前回の歴史ノートで、明治初期において政府に非常なる危機が何度も起きたことを書いた。当時のわが国の最大の問題は、国内各地は昔と同様に多くの大小各藩独立状態にあり、それぞれが兵力を蓄え、中央進出の機を狙っていた藩が存在した一方で、当時の中央政府に兵力がなかった点にある。 政府としては、版籍奉還後も実質的に存続していた封建的藩体制を廃絶させると同時に、大規模な反乱を鎮圧できるだけの兵力を中央に整えたかったのだが、政府軍を編成するには、倒幕に貢献した薩摩・長州・土佐の三藩の陸軍と、肥前の海軍の力を頼るしかない。しかしながら薩摩藩の島津久光・西郷隆盛や長州藩の毛利敬親に二度にわたり上京を要請したにもかかわらず、なかなかそれが実現しなかったのである。 ところが、明治三年(1870年)十二月に岩倉具視が勅使となって再び上京を要請すると、薩摩・長州両藩ともついに朝命を奉