ブックマーク / shibayan1954.com (13)

  • 明治四年一月に廣澤眞臣を暗殺した黒幕は、政権中枢にいた人物ではなかったか

    明治十七年(1884年)に山崎之人が著した『維新元勲十傑論』というがある。このにおいて著者は明治維新に尽力した志士の十人として、西郷隆盛、木戸孝允、大久保利通、江藤新平、横井平四郎(小楠)、大村益次郎、小松帯刀、前原一誠、廣澤兵助(眞臣)、岩倉具視を挙げて、それぞれの伝記を記している。これらのメンバーのうち横井、大村、廣澤の三人は明治の初期に相次いで暗殺されており、そのうち大村、廣澤は長州藩の人物である。 廣澤眞臣 (Wikipediaより) 明治二年(1869年)に起きた横井小楠暗殺事件、大村益次郎の暗殺事件についてはすでにこのブログで書いたのだが、この二件については暗殺された事情も一通りわかっていて、その下手人も捕らえられ処刑もされている。しかしながら、明治四年(1871年)の一月に起きた廣澤眞臣(ひろさわ さねおみ)の暗殺事件については、彼が何のために暗殺され、下手人が誰であった

    明治四年一月に廣澤眞臣を暗殺した黒幕は、政権中枢にいた人物ではなかったか
    roseknight
    roseknight 2023/07/03
    木戸孝允が廣澤眞臣暗殺事件に関わっていたことは間違いない。事件の背景には長州藩内の方針の対立があったのでは。江藤新平への反発意識は、廣澤への反感に繋がっていた。この事件は後の明治史をも変えただろう。
  • 日露開戦を決定した直後に戦争を終わらせる準備を怠らなかった伊藤博文

    伊藤博文が金子堅太郎になぜ渡米を依頼したのか 『国立国会図書館デジタルコレクション』に金子堅太郎人が口述した『日露戦役秘録』というが公開されているが、この時の金子堅太郎と伊藤博文の会話を読んでいると、この時期のわが国の状況や、伊藤博文の悲壮な決意が伝わってきて引き込まれる。ちょっと引用しておこう。 伊藤公の言われるには、 「この日露の戦争が1年続くか、2年続くか、また3年続くか知らぬが、もし勝敗が決しなければ両国の中に入って調停する国がなければならぬ。それがイギリスはわが同盟国だから嘴(くちばし)は出せぬ。フランスはロシアの同盟国だからまたしかりで、ドイツは日に対しては甚だ宜しくない態度を執っている。今度の戦争ドイツ皇帝が多少唆(そそのか)した形跡がある。よってドイツは調停の地位には立てまい。ただ頼むところはアメリカ合衆国一つだけである。公平な立場において日露の間に介在して、平和克

    日露開戦を決定した直後に戦争を終わらせる準備を怠らなかった伊藤博文
    roseknight
    roseknight 2022/03/18
    ジョン・ヘイの金子堅太郎に対する発言こそが、米国の本当の狙いだろう。彼らは、満州の門戸開放による利益を狙っていた。勿論、ロシアの宣伝に小村寿太郎が反撃したこともあるが。日露戦争が日米戦争への伏線かな。
  • ソ連・コミンテルンによる中国の赤化工作を知る~~「戦争文化叢書」を読む6

    前回に引き続き満田巌著『日世界戦争』の文章を紹介したい。戦後に書かれた著作では、中国で民族運動が昂揚した背景にどこの国が関与していたかについて触れることは皆無に近いのだが、この書物には詳しく記されている。 ソ連・コミンテルンによる中国の赤化工作は1919年から格化した 『日世界戦争』の第三章は「支那事変の敵」なのだが、単純に英国だけがわが国の敵であったわけではなく、ソ連の関与を看過してはいけないのだと思う。 1917年、十月革命を成し遂げたソヴィエトは、その余勢を駆って、大戦直後混乱の中に置かれた欧州諸国を一挙に赤化せんと企て、まずポーランドを衝いたが力及ばず、続く欧州諸国の赤化企図も意の如く捗らず、遂に西欧資主義諸国に対する直接革命工作をひとまず断念せねばならなかった。ここに世界赤化工作の東方への転換となって、かの有名な「革命は東方に於いて決す」のテーゼが樹立されるに至った。脆し

    ソ連・コミンテルンによる中国の赤化工作を知る~~「戦争文化叢書」を読む6
  • 戦前の日本人は主要国の外交政策をどう捉えていたか~~『少年満洲事変と上海事変』(GHQ焚書)を読む5

    今まで4回に分けて山県信敬 著『少年満洲事変と上海事変』(昭和11年刊)の内容を紹介してきたが、今回はその最終回で、著者が当時の主要国の外交姿勢について述べている部分を紹介したい。このは青少年を対象に書かれているであり非常に読みやすく、かつ分かりやすく、内容についても今の高校生の教科書などよりもはるかに具体的でレベルも高い。戦前の平均的な日人が世界情勢についてどう捉えていたかを知るうえで参考になるのではないだろうか。 アメリカの外交政策について 書の第十四章に当時の主要国の動きが記されている。最初にアメリカについて著者はこう解説している。 世界の各国はいずれも、ただ自分の国家の保全ということだけしか考えないで、そのためにいわゆる弱肉強といったようなことさえ平気でなして来たのでありました。 内にはあり余る資源を有して、それを充分に活用せず門戸を閉じてしまって、他国の容喙など少しも許

    戦前の日本人は主要国の外交政策をどう捉えていたか~~『少年満洲事変と上海事変』(GHQ焚書)を読む5
    roseknight
    roseknight 2021/12/29
    他国への干渉を進める米国の新モンロー主義やソヴィエトによる対日妨害、中共の跋扈・以夷制夷と日本が脅かされる様は今も昔も同じか。そもそも米国や欧州に接近すること自体に失敗があったのでは。
  • 満州事変の前に何が起こっていたのか~~『少年満洲事変と上海事変』(GHQ焚書)を読む 1

    満州事変についてのGHQ焚書の9割はネット公開されていない のタイトルから判断して満州事変に関するは30点がGHQによって焚書処分されているのだが、そのうち「国立国会図書館デジタルコレクション」でネット公開されているのは3点のみで、9割がデジタルデータ化されていながらネット非公開である。 国立国会図書館のホームページには、著作権保護期間満了が確認された書籍はネット公開されるルールになっており、 「公開調査により著作者の著作権保護期間満了であることが確認できた場合は、著作権保護期間満了としてインターネット公開を行います。著作権保護期間内であり、著作権者のご連絡先が判明した場合、利用に関して許諾依頼を行い、許諾が得られましたら、インターネット公開を行います。」 「著作権状況が不明又は著作権保護期間内であり、著作権者の連絡先が分からないもの(いわゆる「孤児著作物(orphan works)」

    満州事変の前に何が起こっていたのか~~『少年満洲事変と上海事変』(GHQ焚書)を読む 1
    roseknight
    roseknight 2021/12/05
    済南事件や萬寶山事件、中村大尉事件等の中国による虐殺や革命外交は満州事変に大きな影響を与えた。柳条湖事件も中華民国側の仕業か。背景には日本の協調外交の限界がある。際限無き譲歩が中国を増長させるのだ。
  • 大久保利通が台湾出兵を決断し、自ら清国との談判に臨み賠償金を獲得したこと

    明治六年(1873年)十月に大久保利通、岩倉具視が、西郷隆盛を韓国に特使として派遣する太政大臣三條實美の決定を覆したことから、西郷隆盛、板垣退助、江藤新平、後藤象二郎、副島種臣らが辞表を提出して下野し、彼らに近い官僚・軍人の約六百人が職を辞した(明治六年の政変)のだが、大久保利通は、西郷らが職を辞したわずか四ヶ月後の明治七年(1874年)二月に台湾出兵を計画し、五月に出兵している。教科書などでは大久保が征韓論に反対したのは、国内改革を優先したなどと書かれているのだが、内治を優先する方針であるならば、台湾出兵についても反対でなければ筋が通らない。なぜ、大久保は台湾出兵を行ったのか。今回はその間の事情について書くこととしたい。 明治初期の台湾問題 そもそも明治初期において台湾と日との間にどのような問題が起きていたのだろうか。木戸孝允の伝記に明治四年(1871年)に那覇港を出帆した宮古島の船が

    大久保利通が台湾出兵を決断し、自ら清国との談判に臨み賠償金を獲得したこと
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    roseknight 2021/11/26
    大久保利通は西郷隆盛の件による武士の不満を恐れたのか?また、清朝が日本への賠償金によって台湾の領有権を明確化したことは中台問題にも通じている。明治の政変が清や白人国家との外交に及ぼした影響を知りたい。
  • GHQが焚書処分したナチス研究書2~~末次信正著『日本とナチス独逸』

    日独伊三国同盟はなぜ結ばれたのか 前回のこのコーナーで株式会社アルスが出版した『ナチス叢書』の大半が焚書処分されていることを書いたが、今回も『ナチス叢書』のなかから末次信正 著『日とナチス独逸』(昭和十五年十一月刊)の一部を紹介したい。 末次信正(Wikipediaより) 著者の末次信正は海軍大将で、昭和8年には連合艦隊司令長官に就任しているが、その後政治家に転出し第一次近衛内閣では内閣参議から内務大臣に就任、その後は平沼内閣、阿部内閣、米内内閣で内閣参議であった人物である。 末次は昭和十五年一月に内閣参議を辞めたのだが、その年の九月に日独伊三国同盟がベルリンで調印されている。このはその二か月後に出版されたものである。 教科書や通史では、日独伊三国同盟のねらいについて「第二次世界大戦へのアメリカの参戦を阻止することにあった(『もういちど読む山川の日史』p.306)」などと書かれている

    GHQが焚書処分したナチス研究書2~~末次信正著『日本とナチス独逸』
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    roseknight 2021/11/11
    アジアの欧米への経済依存は世界大戦を複雑化させた。そんな中で日本は独伊と組んでソ連を潜在的味方として、独自の経済圏を創ろうとしたのだろう。支那事変の泥沼化は日本の対欧米外交の失敗に起因するのでは。
  • 戦前・戦中に出版された読売新聞社の『支那事変実記』、『海戦 : 大東亜海戦記』を読む

    2020年の新聞の発行部数ランキングでは読売新聞は776万部で第1位であるが、Wikipediaによると1938年の朝刊発行部数は100万部、1944年は191万部であったという。読売新聞はどちらかというと戦後大幅に発行部数を伸ばした新聞社であり、当時の発行部数は朝日新聞、毎日新聞の方が上であった。 世界情勢や時事問題に関する出版物については、朝日新聞社や毎日新聞社の二社が他社を圧倒していたが、読売新聞社は戦争に関する分野に関しては多くのを出版していた。しかしながら、その多くがGHQによって焚書処分されている。 以前このブログで、支那事変(日中戦争)に関する書籍の多くがGHQによって焚書され、その多くが今もネット公開されていないことを書いたことがある。読売新聞社が出版した『支那事変実記』は、支那事変について従軍して取材した記者たちの記録を編纂したものだが、全十五冊 のうち十二冊がGHQに

    戦前・戦中に出版された読売新聞社の『支那事変実記』、『海戦 : 大東亜海戦記』を読む
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    roseknight 2021/08/19
    下手な対応が相手をより増長させることが対中外交の教訓だろう。協調的な姿勢を取ること自体が戦線拡大の要因では。真珠湾攻撃にも大陸の事情があるか?関係する欧州戦線とアジアとの繋がりをもっと知りたい。
  • 新聞社で二番目にGHQ焚書点数の多い毎日新聞社の本~~『日本へ寄せる書』、『国際戦を呼ぶ爆弾 支那』

    戦前・戦中の毎日新聞社 GHQが最初に焚書処分にした10冊のことを以前このブログで書いたが、そのうちの九点が毎日新聞社が発行した書籍であった。 前回の記事で書いた通り、戦前戦中に新聞社が発行したのうちもっともGHQ焚書点数が多いのは朝日新聞社であるが、次に多いのは、意外に思われる方が多いと思うのだが、毎日新聞社なのである。(東京では「東京日日新聞」、大阪では「大阪毎日新聞」という新聞名を用いて社名もその名前を用いていたが、昭和十八年に東西両社を統合し「毎日新聞」と新聞名を改めている。) Wikipediaによると、毎日新聞の発行部数は、2020年には日経済新聞に追い抜かれ、中日新聞にも抜かれたとあり、長期にわたり業績低迷中で今は存在感の乏しい新聞社なのだが、戦前・戦中に於いては朝日新聞社に次ぐ大手であり、当時の世界情勢などを解説するを数多く出版していた。 なぜ日英同盟が破棄されたのか

    新聞社で二番目にGHQ焚書点数の多い毎日新聞社の本~~『日本へ寄せる書』、『国際戦を呼ぶ爆弾 支那』
    roseknight
    roseknight 2021/08/07
    強国との同盟は長持ちしないのだろう。日本が弱いままでいた方が英国にとって有利だったのだ。中国市場の存在に頼ってきた英国が同盟を破棄して蒋介石との合作を進めたのも必然。冷徹な実利主義が外交の元である。
  • 鹿児島県に合併されてすぐ西南の役に巻き込まれた宮崎県の再設置運動

    上の図は何度か紹介させて頂いた明治十二年(1879年)の日地図だが、九州の南部に宮崎県が存在していなかったことがわかる。今回は宮崎県が鹿児島県に吸収合併されたのち復活に至るまでの経緯について書くこととしたい。 宮崎県は、七世紀中期以降に成立したとされる「日向国」がルーツで、その当時は今の宮崎県と鹿児島県の土部分を管轄する大きな国であったのだが、八世紀の初めに唱更国(後の薩摩国)と大隅国が分離した後は明治初期まで、概ね今の宮崎県の県域が日向国の領域であったようだ。 南北朝から戦国時代にかけて、日向国も全国の例に違わず群雄割拠の時代となり、土持氏、伊東氏、北原氏、などの勢力争いが展開されたが、天正六年(1578年)の耳川の戦いで大友氏に勝利した島津氏が日向国一円を支配することとなった。しかしながら、天正十五年(1587年)の秀吉の九州攻めで島津氏が降伏し、その後日向国は功のあった大名に分知

    鹿児島県に合併されてすぐ西南の役に巻き込まれた宮崎県の再設置運動
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    roseknight 2021/08/04
    宮崎と鹿児島は対立する宿命にあったのかも知れない。藩名が残っている状態ならば西郷隆盛の戦いは違ったものになったろう。大きな日向国の枠組みが宮崎人の悩みの種では。基礎自治体と国との関係が重要になる。
  • GHQが最も嫌った野依秀市の著した政権・大手マスコミ批判の書

    昭和14年刊『支那事変の前途は悲観か楽観か』 前回このカテゴリーで、GHQ焚書点数の最も多い野依秀市の軍部批判の論文を紹介したが、今回は野依の著作の中から、政権批判や大手マスコミ批判の論文を紹介したい。 最初に紹介するのは『支那事変の前途は悲観か楽観か』(GHQ焚書:昭和十四年刊)というで、野依が新聞で発表した支那事変(日中戦争)に関する論説集である。野依は昭和十四年三月七日に発表した「英米の機嫌をとるべきか、それとも叩くべきか」という文の中で、支那事変の前途をかなり悲観的に見ている。 我々から見るならば、何としても、何としても、国内改革を思い切ってやらなければ、この所謂支那事変は乗り切れるものではないと堅く信じているのである。しかも近衛内閣に於いても、平沼内閣に於いても、それをやらぬところを拝見すると、結局、支那事変を軽く観ているからにほかならぬと察するのほかない。我々は毎度申す通りに

    GHQが最も嫌った野依秀市の著した政権・大手マスコミ批判の書
    roseknight
    roseknight 2021/07/27
    欧米や蔣介石の抗日思想による支那事変の泥沼化は日本的な妥協外交の限界を示したのではないか。そもそも万里の長城を越えたことに問題があるが。後、朝日新聞が戦前から共産主義の影響を受けていたとは驚いた。
  • 廃藩置県のような大改革が平穏無事に行われたのはなぜか

    封建制度を撤廃できる条件が整うまで 前回の歴史ノートで、明治初期において政府に非常なる危機が何度も起きたことを書いた。当時のわが国の最大の問題は、国内各地は昔と同様に多くの大小各藩独立状態にあり、それぞれが兵力を蓄え、中央進出の機を狙っていた藩が存在した一方で、当時の中央政府に兵力がなかった点にある。 政府としては、版籍奉還後も実質的に存続していた封建的藩体制を廃絶させると同時に、大規模な反乱を鎮圧できるだけの兵力を中央に整えたかったのだが、政府軍を編成するには、倒幕に貢献した薩摩・長州・土佐の三藩の陸軍と、肥前の海軍の力を頼るしかない。しかしながら薩摩藩の島津久光・西郷隆盛や長州藩の毛利敬親に二度にわたり上京を要請したにもかかわらず、なかなかそれが実現しなかったのである。 ところが、明治三年(1870年)十二月に岩倉具視が勅使となって再び上京を要請すると、薩摩・長州両藩ともついに朝命を奉

    廃藩置県のような大改革が平穏無事に行われたのはなぜか
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    roseknight 2021/06/17
    井上馨による藩札贋造問題への強引な取り組みや西郷隆盛の反対派鎮定もあるが、米価のインフレ高による藩財政の悪化がやはり大きい。外債問題がチャラになったことから藩主はある意味利得者だったわけだ。
  • 戦前・戦中の知識人が若い世代に伝えたかった中国のことなど~~児童向け、青少年向けのシリーズ本を読む

    戦前、戦中に出版されたは、児童書や青少年向けに著されたものでも結構レベルの高いが多い。以前このブログで歴史シリーズや偉人伝シリーズを紹介したが、今回はそれ以外のジャンルで、児童向け青少年向けに出版されたシリーズなどを集めてみた。 今回紹介したいのは新潮社の「新日少年少女文庫」シリーズの一冊である『国の護り』というの一節だが、著者の福永恭助は海軍少佐で退役し、少年向き海洋小説や戦記小説、評論など数多くの著作を残していて、内12点がGHQによって焚書処分されている。 『国の護り』はGHQ焚書ではないが、中学一年生の少年に、軍隊や国防についてわかりやすく話しかけるスタイルで記されており、誰でも読めるである。このには、日人が苦手とする宣伝戦についてこんな会話が記されているのだが。文中の「事変」というのは「支那事変(日中戦争)」を意味している。 「宣伝上手の支那ですからね」 星野先生

    戦前・戦中の知識人が若い世代に伝えたかった中国のことなど~~児童向け、青少年向けのシリーズ本を読む
    roseknight
    roseknight 2021/05/21
    肉体を交流の一部とする日本と情報を重視する中国との違いが宣伝戦の明暗を分けた。加えて後者では「好男不当兵」の諺のように土匪が兵士となる。軍人を軽んじる儒教の考え方は宣伝にも影響しているのでは。
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