東海道の歴史 東海道は、徳川家康が関ヶ原合戦に勝利した翌年の慶長6年(1601)に、徳川幕府を開くよりも早く、江戸-京都間、江戸-大坂間の人馬と情報の往来幹線として整備され、伝馬制の制度が敷かれた。 要約(序説): 東海道は、徳川家康が関ヶ原合戦に勝利した翌年の慶長6年(1601)に、徳川幕府を開くよりも早く、江戸-京都間、江戸-大坂間の人馬と情報の往来幹線として整備され、伝馬制の制度が敷かれた。 東海道には名画やエピソードも多く、江戸後期の歌川広重に描かれた「東海道五十三次」や、十返舎一九が書いた「東海道中膝栗毛」は、あまりにも有名である。 東海道は、海岸に沿った街道なだけに大きな川が多く、交通の障害となった。木曽川、長良川、揖斐川と、3つの大きな河川が注ぐ伊勢湾地域は、その影響が最も大きかったところで、尾張と伊勢の間には「七里の渡し」という海の道が設定された。また、山越えの難所は箱根八