久松文雄さん(ひさまつ・ふみお=漫画家)16日、歯肉がんのため死去、77歳。名古屋市出身。葬儀は家族で営む。喪主は長男雄太(ゆうた)さん。 「秦始皇帝」など歴史コミックを数多く手掛け、「まんがで読む古事記」で古事記全編を漫画化した。他の主な作品にテレビアニメも放送された「スーパージェッター」「冒険ガボテン島」。
漫画家の一峰大二さん死去 84歳 「スペクトルマン」など特撮ヒーロー作品や「怪盗ルパン」シリーズ
矢口高雄さん死去、81歳 「釣りキチ三平」 2020年11月25日16時12分 矢口高雄さん 「釣りキチ三平」の代表作で知られる漫画家の矢口高雄(やぐち・たかお、本名高橋高雄=たかはし・たかお)さんが20日午後5時46分、膵臓(すいぞう)がんのため東京都内の病院で死去したことが25日、分かった。81歳。秋田県出身。葬儀は近親者で済ませた。喪主は妻勝美(かつみ)さん。後日しのぶ会を開く予定。 〔写真特集〕追悼2020 12年間の銀行員生活を経て、漫画家に転身した。1970年「鮎(あゆ)」でプロデビューし、漫画原作者の梶原一騎の提案でペンネームを矢口高雄に。73年「幻の怪蛇バチヘビ」がヒットし、ツチノコブームを起こした。同年連載が始まった「釣りキチ三平」は、魚釣りが大好きな少年が国内外の自然豊かな環境で釣りに挑む物語で、テレビアニメ化や映画化もされた。 74年「幻の怪蛇バチヘビ」「釣りキチ三平
銃について詳しい人にとっては当たり前のような知識でも、あまり銃に関心がない人はさっぱり知らないことがあります。マンガやドラマで目にした銃の取り扱いが、“普通”なのだと勘違いしてしまうことも少なくありません。 【マンガ】あなたが思い描く銃は現実どおり? 本編を読む そこに注目した漫画家のタカキツヨシさん(@takatsuyo320)は、『銃とかに全く興味ない人にありがちな思い違い三選』を発表し、銃の描写に関して間違って覚えられていそうな代表例を紹介しました。知識の量は人それぞれであるため、読者の反応も「常識だと思ってた」というものから「全然知らなかった」というものまで千差万別です。 作者のタカキツヨシさんに、お話を聞きました。 ーータカキツヨシさんの漫画家としてのデビューのきっかけを教えて下さい。 月並みですが出版社へ投稿や持ち込みを何度かして、賞に出した何作目かがそのまま雑誌デビューになり
「Don’t Know Why」などのヒットで知られる歌手ノラ・ジョーンズが、日本の人気漫画「めぞん一刻」とコラボレーションしたミュージック・ビデオを制作した。2020年10月16日20時から、Youtubeでプレミア公開される。 10月16日(金)20時からプレミア公開 これは、今年6月にリリースしたアルバム「ピック・ミー・アップ・オフ・ザ・フロア」の収録曲「アイム・アライヴ」の公式MVとしてブルーノート・レコードが制作。コロナ禍のリリースにあたり、「生きる」というテーマを多くの日本のファンに伝えたい、と企画された。同曲で描かれた葛藤を抱えながらも強く楽しく生きようとする女性像と、亡き夫から主人公の浪人生・五代裕作に移ろいゆく気持ちの葛藤を抱えた漫画のヒロイン・音無響子に共通点が多くコラボが決まった。住人との出会いの中で「生きる」意味を考え、五代に心を開いていく様子が漫画イラストで展開さ
インタビューと文章: 前田久 創作しながら暮らす場所として、あえて「東京」以外の場所を選んだクリエイターたち。その土地は彼・彼女らにとってどんな場所で、どのように作品とかかわってきたのでしょうか? クリエイター自身が「場所」と「創作」の関係について語る企画「ここから生み出す私たち」をお届けします。 ◆◆◆ 今回の「ここから生み出す私たち」に登場いただくのは、『炎の転校生』『逆境ナイン』『吼えろペン』『アオイホノオ』など、オタク心をくすぐる数々の燃える作品で知られる炎のマンガ家・島本和彦さん。 北海道で生まれ育ち、高校卒業後は大阪芸術大学に進学。在学中に商業マンガ家デビューを果たし、卒業を待たずに拠点を東京へ。90年代半ばに北海道にUターンし、以降は札幌で旺盛な創作活動を続けています。2014年からは家業の経営にも携わるようになり、2019年には社長に就任。 マンガ家と社長業の両輪で、多忙な
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平井 和正(ひらい かずまさ、1938年〈昭和13年〉5月13日 - 2015年〈平成27年〉1月17日[1])は、日本の小説家、SF作家、漫画原作者、脚本家。神奈川県横須賀市生まれ。娘は漫画家の平井摩利。 来歴[編集] 1938年、横須賀市に3人姉弟の長男として生まれる。祖母は仙台藩家老中野家の娘だという[2]。手塚治虫の影響を受け、中学2年生で大学ノートに処女小説『消えたX』(長編SF)を執筆、級友に回覧され人気を博し、小説家を志す。神奈川県立横須賀工業高等学校を経て1958年に中央大学法学部に入学[3]。 1959年、ハードボイルド小説「夜の干潮」が中央大学ペンクラブ会誌『白門文学』に掲載され、作品が初めて活字になる[3]。中央大学ペンクラブ時代の友人に本間俊太郎がいる[4]。 1961年、「殺人地帯」が『SFマガジン』の第1回空想科学小説コンテスト(ハヤカワ・SFコンテストの前身)
中島 徳博(なかじま のりひろ、1950年7月12日 - 2014年8月28日)は、日本の漫画家。鹿児島県鹿児島市出身。代表作に『アストロ球団』。 経歴[編集] 1950年、鹿児島県鹿児島市に生まれる。家が母子家庭で貧しかったために、小学生の時から新聞配達をして家計を支えており、中学生になると自らを高校生と偽って日雇いの肉体労働をしていた。 漫画専門誌「COM」に影響を受け、漫画を描き始める。鹿児島実業高校在学中の1967年に『ふりむけ青春に』(東京漫画出版社)で貸本漫画デビュー、卒業後は大阪で看板屋の仕事をするかたわら、日の丸文庫に原稿を持ち込むなどして漫画家を目指していた。1969年、「週刊少年ジャンプ」掲載の『悪友伝』で商業誌デビュー。編集者だった西村繁男が中島の才能を見抜き、自宅に出向きスカウトしたという。その後上京し、1972年より1976年まで「週刊少年ジャンプ」で連載した『ア
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