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民主主義に関するrrmmjjffのブックマーク (7)

  • Tasuuketugennrino

    2004年度 一橋大学社会学部学士論文                   『インテンシティー原理』   一橋大学社会学部 加藤哲郎ゼミナール 中澤 高師                             はじめに   多数決は、日常生活から政治の場にいたるまで集団による意思決定方法として幅広くもちいられている。小学校のクラスルームやサークル活動から、国政選挙や国会における議決まで、多数決は、最も「民主的」な意思決定方法として承認されている。  しかし、多数決のもつ最大の問題点は、個人がある選択肢に対してもつ、「選好の強さ」(=インテンシティー)を決定に反映しないところにある。多数決は「政治的平等」にもとづいているといわれる。多数決は、各個人の選好を等価値であるとみなす。そうすることによって、頭数を数えることで結果を量

  • 民主主義とは何か - on the ground

    この記事は、「民主主義とは何か」「民主主義とは何か・補遺」を素材として加筆・修正を施したものです。 価値理念としての民主主義と区別される概念としての民主政とは、当該政治的共同体内における対等なメンバー間による討論と投票によって政治的決定を為す政治体制を意味する。民主政が最低限果たしている役割は、「人々の意見が対立する問題、しかも社会全体として統一した決定が要求される問題について、結論を出す」ことにある*1。一般に、基的人権を認められた個人は、自己に関わる事柄について、他者の不当な干渉や強制をはねつける自己決定の権利を持つとされる。だが、各人の意見や諸権利は対立することがあり、その対立が特に社会全体に関わる事柄である時には、統一的な決定がなされねばならない。その際、政治的決定手続きとして民主政が採用されることになるが、民主政における最終的決定手続きとして全員一致方式が採られることはあまり多

    民主主義とは何か - on the ground
  • 利害対立と民主主義モデル - on the ground

    吉原直毅「最近思う事:湯浅誠・堤未果『正社員が没落する--貧困スパイラルを止めろ!』(角川新書)を読んで」を読んで、「分断統治」という観点は確かに重要であるとしても、正規・非正規ないし中間層・低所得層という対立軸だけでなく、世代間の対立についての目配りを盛り込んだ議論構成にしなくては、いわゆるロストジェネレーション層への応答なり批判なりにはならないだろうと、若干の違和と物足りなさを覚えた*1。その方面について私には何の専門的知見も無いが、世代の軸を加えるなら、単なる情緒的認識の問題には尽くすことのできない程度の敵対性は存在するのではないか。 無用な対立を煽ることは避けるべきだが、分断統治を目論む上位のプレーヤーが無条件に存在すると前提した上で誰だって仲良くできると考えるのは妄想である。「少なくとも民主主義的政治システムの存在する現代においては」*2、そのような上位のプレーヤーは居ない。「支

    利害対立と民主主義モデル - on the ground
  • ちとまいったかな - finalventの日記

    ⇒404 Blog Not Found:選民思想2.0または少衆主義 逆に最も唾棄すべきは、他の船が気にわないからといって沈めてしまうという行動であろう。これに比べればまだ選民思想というのは罪が軽い。しかし実際のところ、「民主」主義の動きにおいては、船を大きくする代わりに小舟を沈めるということが多々見られる。 その意味において、民主主義というのは時に選民思想以上に危険なのだということは、民主主義の旗をかかげる船に乗っている人は皆自覚しておく必要があるように思える。 こういうと嫌がられるかもしれないけど、「民主主義」というのがわかっているのだろうかとちと疑問に思う。 じゃ、民主主義ってなんなのさと、ウィキペディアを覗くと ⇒民主主義 - Wikipedia 民主主義(みんしゅしゅぎ)とは、個人の人権(自由・平等・参政権など)を重んじながら、多数による意思をもって物事を決める原則をいう。法律

    ちとまいったかな - finalventの日記
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  • 利害関係とは何か - on the ground

    『思想地図』2号の座談会で、東浩紀が「一人一票」原理についての疑義を提起している。例えば、今や世界中がアメリカなのにアメリカ国民しか大統領を選ぶ権利が無いのはおかしくて、世界中の人々に選挙権が分散されていてもいい。同じように、これこれこういう理由で、あなたはこの問題について0.5票とか0.3票持っています、とか言えてもいいんではないか。雑駁に言うとそういう話。 政治学的には、「一人一票」がよいものかどうかについての議論は別に目新しいものではない*1。理論的には、ある問題について極めて強い関心を持っている人と全然関心が無い人が同じ一票であるのは公平とは言えないのではないかということで、各主体の選好の強度・濃度(インテンシティー)を考慮すべきではないかとの議論がある。この点については、ディヴィッド・ミラー『政治哲学』の中にも言及があったと思う。今ある現実について言えば、国際機関などでは拠出金の

    利害関係とは何か - on the ground
    rrmmjjff
    rrmmjjff 2009/01/24
    「われわれはなぜアメリカ合衆国大統領を選べないのか」
  • 自分を当事者とした客観論は無理だろうな - プログラマーの脳みそ

    感情的にならずに論理的に議論したら?という提言に感情的に反論されると、その行動そのものが議題と重なるので「これはよい例が手に入った」と思って議題の追補としてサンプルにしたくなる。しかし、それがいかな客観的な思考から行われたものであれ、第三者からは「自分の意見を庇護するために自分に反する論を封じようとしている」ように捉えられて存在しない感情をそこに見出す人が出てきて紛糾という事態が起こる。 そんなわけで、そういうナイーヴな話題の部分は避けるようにしていくつかの論点を拾っておく。 letterdust 「普段考えないような議題で感情的な議論の失敗を経験」ならいっそ人権問題やろうぜ。部落問題とか在日外国人とか障害者とか女性の働く権利とか織り込んで。ヤフー掲示板みたいなこと言う輩に反論する技術を研く! 人権問題も同種のテーマのひとつだろう。私としてはホモ・フローレシエンシス*1が絶滅せずに生きてい

    自分を当事者とした客観論は無理だろうな - プログラマーの脳みそ
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