タグ

歴史に関するrsakamotのブックマーク (14)

  • [書評]天皇はなぜ万世一系なのか(本郷和人): 極東ブログ

    「天皇はなぜ万世一系なのか」という問いかけは魅力的だし、新書表紙の半分を覆うほど広い帯にある「世襲か、実力主義か」というキャッチフレーズも書のガイドライン的に添えられたものだろう。結論からいうと、若干だが、ほぉと驚く意外な答えが書かれてはいる。そういう考えもあるのかな、というものだ。同時に多少がっかりもする。おそらくこの問いに魅せられた人に納得がいくというものでもないだろう。もちろん納得のいく答えがあったとして、それがどれほど真理を射貫いているかは別として。 帯にはさらに「皇室、貴族、武士、高級官僚の出世と人事から、「日権力構造」最大の謎に迫る」とあり、これも補助的なフレーズなのだが、すでに天皇の問題が日権力構造という一般構造に吸着されていることが伺われ、どうやら書のテーマは先の問いに焦点化していないか、散漫なのではないかという印象を与えてしまう。読後の感想としても、日史に興味の

  • 朝鮮民族の起源を考える: 極東ブログ

    韓国の新聞東亜日報の社説で以前朝鮮史五千年という話がマジで語られているのに仰天したことがあるが、それ以前にそこでの朝鮮民族という概念にも驚いた。私はどう考えても、朝鮮史は新羅統一をもって始まると考えていて疑ったことがなかったのだ。盲点があった。もちろん、統一新羅以前の古朝鮮を否定するわけではないが、古朝鮮の民族的な状況についてはあまり考察したことがなかった。理由は意外に単純だ。歴史学者岡田英弘から直接、前漢時代の東ユーラシア大陸の「朝鮮」は現代の朝鮮とは違うという話を直接伺って、疑念すら持たなかった。気になって手元にある岡田の著作を読み直したが、はっきりした言明が見つからない。もしかすると私の聞き違いかもしれない。それにしても、疑念すら持たなかったのは、百済が日と同様に越人の起源を持つだろうと思っていたからだ。つまり、統一新羅以前には朝鮮民族の単一的な起源はないだろうと単純に考えていたわ

  • [書評]世界史のなかの満洲帝国(宮脇淳子): 極東ブログ

    「世界史のなかの満洲帝国(宮脇淳子)」(参照)は書名通り、満洲帝国を世界史に位置づけようとした試みのだが、その試みが成功しているか妥当な評価は難しい。いわゆる左翼的な史学からすれば書は、珍妙な古代史論と偽満州へのトンデモとされかねないところがある。史学学会的には概ね無視ということになるだろうが、おそらく日には書をカバーできる史学者は存在していないのではないかと私は思う。 一般読書人にとって新書としての書はどうかというと、率直に言えば、有無を言わず買って書棚に置いておけ絶対に役立つとは言える。各種の事典的情報がコンサイスにまとまっているので便利だ。ブログに書評を書いてブックオフへGO!というではない。ただ、読みやすさと読みづらさが入り交じる奇妙な読書体験を強いられるかもしれない。 言うまでもなくと言いたいところだが、宮脇淳子は岡田英弘のであり、その史学の後継者である。岡田英弘

  • 日の丸についてのトンデモ私説: 極東ブログ

    最初にお断りしておくが、以下はトンデモない話であって、きちんと主張しているわけではない。いつかきちんと主張したいと思っていたが、関心も薄く成りつつあり、関連蔵書は処分したし、貯めていた資料ももう散失してしまった。もう自分の人生で展開する機会もない。ただ、余興みたいにブログに書いておくくらいはいいだろう。 日の丸とは蛇の目(ジャノメ)である。それが私が日の丸について二十代の後半に考えた推論で、大筋では吉野裕子の学説と絵巻の史学的な考証でなんとかなるかなと思ったが、その後の民俗学の動向を見ていると吉野裕子学説はあまり顧みられているふうでもない。が、アマゾンを見ると復刻は多く、読者は少なくはないのだろう。 蛇の目というからには蛇の古代信仰に関連する。ということで「日人の死生観―蛇・転生する祖先神」(参照)や「蛇―日の蛇信仰」(参照)が主要著作になる。これらは詳細にはいろいろ問題があるだろうが

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    ハリイカの焼売と中華炒め ハリイカをよく、見かけるようになりましたよ。生け簀で、泳いでいたものを一杯購入しました 立派な大きな墨袋や肝は冷凍保存して 柔らかな身は季節のお豆、お野菜と合わせて中華の炒めものに。新鮮なにんにくの茎は刻み、香り高く欲そそられますね 下足はミンチにし…

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
  • サンフランシスコ講和条約についてのメモ: 極東ブログ

    結局私は苫米地英人のは全部読んでいる……あ、違うな、「大好き!今日からのわたし。 ~愛される心とからだををつくる秘密の呪文集」(参照)は読んでいない。というかその続きで「脳と心の洗い方 『なりたい自分』になれるプライミングの技術」(参照)もパスでいいかなと思ったが、書店で見かけたのでぱらっと見ると最終章にサンフランシスコ講和条約の話があったので買って読んでみた。 興味深いといえば興味深い指摘があるのだがどう評価していいかよくわからない点もある。批判というわけではないが、そのあたりをちょっとメモしてみたい。 そこで実際にSan Francisco Peace Treatyの英文原文を読んでみますと、条約が効力を発する翌年四月二八日をもって終戦を宣言する第一条(a)に続く、独立を認めたとする第一条(b)の文面は、"The Allied Powers recognize the full so

  • 近代天皇家と新井白石: 極東ブログ

    文仁親王妃、男のお子さまご出産、おめでとうございます。 お子さまの皇位継承順位は、第一位皇太子、第二位文仁親王に次いで第三位となる。たぶん、この順で皇位が継がれていくか、あるいは皇太子の次となるかだろう。 何年先のことになるかわからないが私はもうこの世にいないだろう。が、この慶事を聞いて私なども日がそのころまで中国に飲み込まれることもなく存続していたらいいなという仄かな希望を覚える。 テレビなどから見る日庶民の喜びのようすは遠い親戚の家の世継ぎが出来てよかったという気持ちのように受け止められる。もともと日の庶民にはごく例外を除けば血統意識がなくあっても実際には家名の継続があるだけである。つまり、家の財産のシステムでもある。 これで皇室典範改正は見送りになるだろうし、一世紀近くは女帝の登場もないということになるのだろう。私個人としては、「極東ブログ: 英国風に考えるなら愛子様がいずれ

  • 宗教社会学(前期)[9] 尊皇攘夷とはなにか 山崎闇齊学派と水戸学(橋爪大三郎)

    98東工大文系基礎科目 宗教社会学(前期)[9] 橋爪大三郎 1998.6.19 尊皇攘夷とはなにか 山崎闇齊学派と水戸学 江戸幕府はなぜ儒学を採用したか 日史で、「徳川幕府は儒教を官学とした」と習ったはずです。なんとなく、当たり前のような気がします。しかしよく考えてみると、これは変だ。武士と儒学くらい、ミスマッチな組み合わせはないのです。 儒学は、中華帝国の正統思想。なかでも、宋の時代に起こった朱子学は、古典の新解釈と哲学的な宇宙観とを結合した、当時の最先端思想でした。朱子学の根は、儒学の古典を学び徳を身につけた読書人階級が、官僚となって政治を行なうというもの。幕府は明の真似をして、朱子学を公認し、日国家の指導原理としました。 徳川三百年の平和は、元和堰武げんなえんぶのおかげでした。もともと対立関係にあった大名の抗争を禁止し、城郭も一国一城に限って、現状を固定したのです。武力行

  • 岸信介とA級戦犯: 極東ブログ

    今年の夏は小泉総理の靖国参拝を巡ってA級戦犯の話題をよく見かけた。A級戦犯について私は関心ないとまでは言わないのだが私の関心は昨今の騒ぎとは若干ズレたところにあり、またそのズレについて説明するのも億劫な気がしていた。日と限らないのだろうが文化戦争(参照)的な状況においては議論は二極化し是非だけが問われがちになる。というより現時点では文化戦争的な枠組みでのA級戦犯議論にあまり意義を感じない。 A級戦犯についてウィキペディアの同項目(参照)を覗いてみると、当然というべきかあまり情報はない。冒頭はとりあえずは適切な説明であろうと思うが。 A級戦犯(えいきゅうせんぱん)とは、第二次世界大戦の敗戦国日を戦勝国が裁いた極東国際軍事裁判において「平和に対する罪」について有罪判決を受けた戦争犯罪人をさす。起訴された被疑者や名乗り出たものを含む場合もある。刑の重さによってアルファベットによってランク付け

  • [書評]岸信介(原彬久): 極東ブログ

    「岸信介」(原彬久・岩波新書赤368)(参照)は一九九五年に小冊子ふうの岩波新書として出たものなので、その後の研究を含めてバランス良く、かつ研究者以外が読んでも理解できる他の岸信介論もあるのかもしれない。なお書には「極東ブログ: 下山事件的なものの懸念」(参照)で少しだけ触れたハリー・カーンへの言及は明確にはないようだ。 とはいえ同書に優る岸信介論を私は知らない。著者原彬久は「岸信介証言録」(参照)の著者でもあり生前の岸に直接触れていただけあってその人間的な洞察は岩波新書にも反映されている。 岩波新書「岸信介」は岸の生い立ちから青春期、戦前の満州時代、戦中、戦後とバランスよく描かれている。ただ、今日的な課題からすれば、安倍晋三の祖父というだけではなく、安倍晋三がどのように祖父の意思を継いでいるかが問われるところだろう。 話を端折るが岸が設立に関わる自由民主党が元来どういう党是の政党なのか

  • 下山事件的なものの懸念: 極東ブログ

    安倍晋三政権がほぼ確実という流れになってきた。私は安倍晋三は評価しない。父っつあんの晋太郎みたいにきちんと外交の仕事とかしてきたわけでもないのにというのが理由。つまり評価しようがないというのがより正確。経歴を見るにあまり頭もよさそうでもないが、それを言うなら森喜朗とか鈴木善幸とか指三とかなので特に言うまい。この間の官房長官としての仕事はというとそう悪くもなかった。経済面での発言などを聞くに、ブレーンの説明を理解しているようではある。うまく人を使える人なのかもしれないが、そのあたりは蓋を開けてみないとわからないところはある。 個人的に気になるのは、祖父岸の亡霊が出てくるってことはないのかというあたりだ。先日安倍晋三が統一教会に祝電したと左翼っぽい感じの人たちが一部騒いでいたが、率直に言って君たちそんなことも知らないでこれがネタだと思っているのとか驚いた。昭和の歴史が忘れられて久しい光景なの

  • 終戦メモ: 極東ブログ

    今朝の読売新聞社説”[終戦の日]「『昭和戦争』の責任を問う」”(参照)を読んで困ったもんだなと思い、いやいやそんなものさと明るく笑って忘れることにするか苦笑に抑えるべきかちと迷ったのだが、考えてみれば憲法私案の読売新聞なんだからどうでもいいやということにしたものの、さすがにこの一点はどうなんでしょと思ったことがあったので、簡単にメモ書きしておきたい。 また、同じく「A級戦犯」で、終身刑の判決を受けた賀屋興宣蔵相には、日米開戦時の閣僚だったという以外の戦争責任は見当たらない。しかも、開戦には反対していた。 逆に、戦争を終結に導いた“功績”がしばしば語られてきた鈴木貫太郎首相にも、「終戦」の時期を先送りして原爆投下とソ連の参戦を招いたという意味での戦争責任があった。 読売様によると、開戦に反対した賀屋興宣は無罪で、終戦に尽力された鈴木貫太郎が有罪ですか。私は天を仰ぐ。まあ、男の人生というのはそ

  • 日本の歴史 - Wikipedia

    歴史における時代区分には様々なものがあり、定説と呼べるものはない。原始・古代・中世・近世・近代・現代とする時代区分法が歴史研究では広く受け入れられている。この場合でも、各時代の画期をいつに置くかは論者によって大きく異なる。 古代の始期については古代国家の形成時期をめぐって見解が分かれており、3世紀説、5世紀説、7世紀説があり、研究者の間で七五三論争と呼ばれている[1]。中世については、中世を通じての社会経済体制であった荘園公領制が時代の指標とされ、始期は11世紀後半〜12世紀の荘園公領制形成期に、終期は荘園公領制が消滅した16世紀後半の太閤検地にそれぞれ求められる。近世は、太閤検地前後に始まり、明治維新前後に終わるとされる。近代の始期は一般に幕末期〜明治維新期とされるが、18世紀前半の家内制手工業の勃興を近代の始まりとする考えもある。さらに、第二次世界大戦での敗戦をもって近代と現代を

    日本の歴史 - Wikipedia
  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • 1