『怒りについて』や『生の短さについて』などを著した古代ローマの哲学者セネカは二つの顔を持っていたという。ストア派に属し簡素な生き方と節度、理性を求める哲学者の顔。もうひとつは皇帝ネロに仕えた政治家としての顔。著作の中で簡素な生き方を推奨しながら、一方で現実のセネカはローマでも一、二を争う資産家であり、植民地に高利で金を貸し、暴利を貪る金貸しでもあったという。 ネロ治世下のブリテン島で起きたボウディッカの反乱の間接的な原因は、セネカだという人々もいる。反乱が起きる前にセネカが突然厳しい条件でブリテン島の債務者からの取り立てを行ったとカッシウス・ディオが伝えている。また彼の資産の一部はネロがセネカの承認を得て殺した政敵の資産で築かれていた。暗殺者が犠牲者の資産を懐に収めていたのだ。彼の言葉と行動は信じられないほど矛盾に満ちている。いったいセネカとは何者なのだろうか。 セネカの評判は当時から両極