タグ

ブックマーク / philo1985.hatenablog.com (6)

  • 戦争はいずれ地上から消えてなくなる?   ー未来の人間と平和的生存権 - イデアの昼と夜

    憲法学のなかでは、日国憲法第9条は人間がもつ新しい権利にかかわっているという議論がなされることがあります。そこでは、次のような主張がしばしばなされます。「平和的生存権と呼ばれるこの権利は、20世紀前半にその萌芽が芽生え、9条によってついに具体的なかたちをもつようになった」。 そもそも、人類は歴史の歩みとともに、それぞれの人間に保障される権利を加えつづけてきました。たとえば、このブログではここ1ヶ月ほどのあいだ、憲法と国のかかわりについて論じてきましたが、もし僕が600年前のヨーロッパに生まれていたとしたら、弾圧されたりしないように、もっとずっと気をつけて書かなければならなかったことでしょう。もちろん、永遠平和について論じることなどは、たいていの場合はNGです!僕も、時代が時代なら、「わが君主の闘いぶりはまことにすばらしい」と書かなくてはならなかったかもしれません。200年前の哲学者たちで

    戦争はいずれ地上から消えてなくなる?   ー未来の人間と平和的生存権 - イデアの昼と夜
    ryokusai
    ryokusai 2015/08/15
    ほれ。ぐぐるだけで見つかる十年以上前の論考だ。つhttp://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h11_2/jog105.html/「我が国は世界唯一の神国なるぞ」といふ与太を焼き直して売りつけようとする香具師の尽きぬことよ(嘆
  • ムスカではなくナウシカに   ー9条が私たちに求めていること - イデアの昼と夜

    気がつくと、9条について論じはじめてから、もう三週間以上もたってしまいました。最初から読んでくださっている方にはとても大きな負担をおかけすることになってしまい、申し訳ありません。終戦の日までには完結しますので、もしよろしければ、あともう少しだけお付き合いください。 すでにこれまでの記事で、Bグループの人たち、すなわち、「平和を愛していて理性を優先する人たち」にたいする、リアリスティックな観点からみた9条の弁護をいちおう終えました。「9条を守ることは、私たちの目の前の現実からしてもよい選択肢である。」もちろん、議論の余地はまだたくさんありますが、かりにこの弁護がうまくいったとすると、この現実の世界に配慮する必要はもはやないということになります。 前回までの数回では、9条をめぐるこの国の実情に触れざるをえませんでした。それは、この条文を弁護する場合、その領域に触れずにすますことは誠実ではなくな

    ムスカではなくナウシカに   ー9条が私たちに求めていること - イデアの昼と夜
    ryokusai
    ryokusai 2015/08/15
    「支配」を求めたムスカと「旧人類を『絶滅』」させたナウシカ、どちらがおぞましいかは明確だといふところまでは彼と合意できさうだ。ただし結論は間違ひなく正反対だらうが。
  • 軍事路線の大国ではなく、独自路線の小国へ   ーこの国の未来を考える - イデアの昼と夜

    最初に、9条を弁護してゆくうえで、象徴的な人物をひとり取りあげてみることにします。吉田茂は、戦後のこの国の形を作りあげていったという意味において、私たちにとってきわめて大きな存在でした。9条にたいする吉田の態度は、大枠からいえば、どうやら次のようなものだったように思われます。「なるほど、アメリカの意向によれば、わが国は正規の軍隊を持ってはいけないというわけか。9条と安保は組になって、東アジアの秩序を形づくってゆくことになるだろう。9条は、軍事的な面からいえば話にすらなっていない条文だが、そういうものを持ってしまっているのは言うまでもなく、私たちの責任ではない。そもそも、向こうから言い出した話だ。軍事にかんしては、アメリカに最後まで金と責任を持ってもらおうじゃないか。」 軍事をあきらめるかわりに経済を取る。日米安全保障条約とセットになることで、9条を掲げた私たちの国は、世界の中でも数少ない経

    軍事路線の大国ではなく、独自路線の小国へ   ーこの国の未来を考える - イデアの昼と夜
    ryokusai
    ryokusai 2015/08/08
    つまり九条を護り続けるために日米安保の維持とその対象たる「敵」を求め続ける、と。「従米保守」と揶揄される向きとは拝む神が異なるだけでやることは変はらんな。
  • 避けるべき未来について   ー9条を弁護する - イデアの昼と夜

    9条の弁護は、Bグループの人たち、すなわち、「平和を愛していて理性を優先する人たち」に対して行われるというのが、前回の記事でたどりついた地点でした。今回の記事では、さらにこの弁護をつづけてみたいと思います。これまでに書いてきたこととも少し重なりますが、大まかにいって、この弁護は2タイプに分かれるといえるでしょう。 ① 平和の素晴らしさと9条の理念を訴える 実は、このシリーズの中で最も力づよく書くべきなのは、この①なのかもしれません。けれども、平和の素晴らしさと9条の理念について訴える、このタイプの言葉は、Bグループの人からはきわめて無責任なものに見えてしまいます。それは、すでに何度も見てきましたが、「攻められたらどうするんだ」という反論がただちに成り立ちうるからでした。 実は、無責任にはならない道が一つだけあります。それは、9条の理念を、その結果とともに最後まで貫きとおすことです。人類の真

    避けるべき未来について   ー9条を弁護する - イデアの昼と夜
    ryokusai
    ryokusai 2015/08/07
    ①を堂々と説いた先人がゐるのを知らないのか。日本の非武装路線を「ロンドンから」説いた学者様なんだが。
  • Aグループ?Bグループ?それとも……?   ー9条の弁護を開始する - イデアの昼と夜

    「私たち日国民は、いっさいの戦力を放棄する。」今回のシリーズもここに至って、ようやく9条の側に立って語るときがやってきました。色々な変遷を経て、僕は、「この国はこれからも9条を守っていったほうがよいのではないか」という考えを持つようになりました。当初は、9条のスピリットを活かす形ならば改憲もありうると思っていたのですが、今の時点では、「この条文はそのまま残した方がよさそうだ」と考えています。これから先は、説得するためというよりも、考えるうえでのきっかけになればということで、9条の弁護を行ってみることにします。 「9条を憲法のなかに、残すべきかどうか。」この問いかけへの反応は、主に3つのグループに分かれるように思います。今からそれぞれのグループについて、簡単に見ておくことにしましょう。 A. 平和を愛していて、心を優先する人たち Aグループの人たちは、9条の条文を聞いた瞬間に、「なんてすば

    Aグループ?Bグループ?それとも……?   ー9条の弁護を開始する - イデアの昼と夜
    ryokusai
    ryokusai 2015/08/07
    自分にとつて都合の良い「平和」なら、アカもナチも我が国の財界人もISILも含め大抵の人々は大好きだと思ふが。
  • 「われらとわれらの子孫のために」   ー日本国憲法について考える - イデアの昼と夜

    国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。 日国憲法前文 いま、憲法についての議論が、世の中をにぎわせています。憲法9条と集団的自衛権をめぐるこの問題は、人びとの注目を、この国の全体へと広げつつあります。僕のまわりでも、ふだんは政治にあまり関心を持っていない人たちまでもが、なにかとても大きな問題が起こっているらしいという気配を感じとっているように思います。 私たちはふつう、ある社会問題の重要性の大きさを計るさいには、理屈でうんぬんするよりもまず、その問題を取りまく雰囲気で感じとっています。今回の場合、その雰囲気を言葉によって言い表すなら

    「われらとわれらの子孫のために」   ー日本国憲法について考える - イデアの昼と夜
    ryokusai
    ryokusai 2015/07/08
    ここ(http://www.kenpoushinsa.sangiin.go.jp/kenpou/kizokuin/contents/s211001y03.html)を「高木君ノ意見ハ一應御尤」で検索してみるといい。東大の偉いセンセイの発言だし拳々服膺する価値はあらうて。
  • 1