関東大震災はそもそも「大正大震災」だった。なぜ、当時の日本人はあの大地震をそう呼んだのか? この問いかけから紡ぎ出された、もうひとつの明治・大正・昭和の物語!
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二宮町に、徳富蘇峰記念館がある。 これは、蘇峰の晩年の秘書を務めた塩崎彦市氏が、昭和44年に、二宮の自宅に設立したもので、徳富蘇峰宛の約4万7000通の書簡(差出人数約1万2000人)や蘇峰の著した近世日本国民史100巻をはじめとする著作や蔵書、おびただしい数の書や画、遺品などを有する。 特に書簡は、差出人を見ても、勝海舟、新島襄と新島八重、伊藤博文、陸奥宗光、山県有朋、松方正義、大隈重信、森鴎外、山本五十六、坪内逍遥、吉野作造、斎藤茂吉、夏目漱石、東条英機、松岡洋右、徳富蘆花、中江兆民、与謝野鉄幹と晶子、高浜虚子、新渡戸稲造、桂太郎、溥儀、前畑秀子、中曽根康弘などから蘇峰に宛てた手紙がきれいに整理されている。 新渡戸稲造が蘇峰に宛てた手紙 記念館の目録を見ると新島襄からの手紙八通と八重からの手紙五通が記念館にある。 目録もあるが、まだ、インターネットに目録そのものが載せられていない
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