作業員2人が死亡、住民ら660人余りが被曝(ひばく)した茨城県東海村のウラン加工工場「ジェー・シー・オー(JCO)」東海事業所の臨界事故から30日で10年になる。被曝線量はわずかだった住民にも、体験から来る不安などの精神的な影響は今も続く。今後も息の長い心のケアが必要だと専門家は指摘している。 茨城県日立市久慈町の大泉恵子さん(70)は10年前の9月30日午前10時半ごろ、夫の昭一さん(81)とともに、JCO東海事業所近くで営む自動車部品工場で被曝した。 暑い日で、窓は開け放していた。昼過ぎ、消防隊員が来た。「目の前の工場で事故が起きた。窓を閉めて」。何のことか分からぬまま仕事を続け、夕方帰宅。テレビのニュースで臨界事故と知った。 「恐ろしさは、じわじわ押し寄せてきた」と恵子さんは振り返る。事故後、戦後の引き揚げ体験を思い出して眠れない夜が続くなどして、心的外傷後ストレス障害(PTS