ブックマーク / kanahebijiro.com (30)

  • ことばについてかんがえる。 - ココからのブログ

    じんせいしましま。 いい事ばかりが続く事もない。 悪いことばかりが続く事もない。 禍福は糾える縄の如しというが当にその通りだと思う。 批判を言いたい? 世の中がなんだか暗く疲れているように感じる。 無理にテンションをあげようと必死な気がする。 そして何に関してでもすぐに人を叩く風潮が以前にも増して酷くなっている。 当に嫌な世の中になったもんだ。 思いついた批判を書いて送信ボタンを押す瞬間に何も思わないんだろうか? きっと人が目にするかとかその人がどう感じるかは興味がないのだろう。 自分の考えに自信があって皆に賛同してほしいのだろうか? 意見を言うハードルが低くなったがその怖さにあまり気がついていない人があまりにも多い。 以前の職場で上司への不満をTwitterに書き込み書かれた人が左遷させられるという出来事があった。 職場でパワハラと受け取られたくないのであまり会話をしないなんてこと

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    s-johnny
    s-johnny 2022/03/04
  • くわえタバコで念仏となえる父 - ココからのブログ

    この頃思う。 人は大体何歳ころにものごころがつくのだろう。 大体の人は幼いころの記憶は何歳ころからあるんだろう? 私は幼いころの記憶があまりない。 自分の記憶として実感を持っている幼い頃の記憶がほとんどない。 自分の傍らにいつもいたのことも、何も言葉を話さなかった頃の記憶も 後から聞いたり写真を見たりして後付けされた記憶に感じる。 個人差があるのか分からないが小学校も中学校も人より少ない記憶しか残っておらず そのせいで残っている記憶がより鮮明に感じるのだ。 きっと色々なことを次々忘れてしまったのかもしれない。 強烈な記憶 父は町の人からまじめで親切な人だといわれる反面、仕事が終わると昼間から酒を飲みそのまま帰宅しないことも珍しくなかった。 母も非常に愛情深く責任感が強い反面、常に何かを憎んでいてどこか悲しげだった。 ものごころが付くというのが覚えている記憶のことをいうのなら、ものごころ付

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    s-johnny
    s-johnny 2022/03/03
  • 順番に親切のお返しを。 - ココからのブログ

    はいどうぞ。 20代は危なっかしくフワフワと生きていた気がする。 全くしっかりしていなかったあの頃。 人って優しい。 おかしな事をするたびに見知らぬ人に助けて貰うことも多かった。 ほんの些細な事でも助けてもらった事は忘れない。 幸せなことに助けてもらうたびに優しさを心に刻むことができた。 世の中にはあんがい親切な人が多いと思う。 今はスマホがあって情報も多く便利だし若者は賢い。 道を訪ねる必要もあまりない。 私のような危なっかしい20代はもういないのかもしれないし助ける機会はたぶん少なくなった。 大人の優しさや見知らぬ人の親切にも警戒しなければならない時代にもなった。 それは少し残念な気もする。 小心者なのに大胆な行動。 20代。 30年以上前。 上京して2~3年くらいだったろうか… そのくらいでは都会にまったく土地勘はなく電車に乗ろうにも切符もスムーズ買えないような感じ。 路線図をいつま

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    s-johnny 2022/02/27
  • お酒でやらかしすんません。 - ココからのブログ

    父が大酒飲みだったので酒飲みに関しての話は我が家では話すことがタブーだった。 周りは酒飲みばかり。 私が小さい頃。 父の悪友たちがいつも我が家に集まって酒盛りをしていた。 繰り返し大きな声で同じことばかり話し、煙草の煙がもくもくする部屋でそれは夜中まで続いた。 今は喫煙者は肩身が狭い世の中だが当時は部屋中が煙っていたしテレビの権利も居間を占領するのもお父さんなんて当たり前だった。 私はそれでも酔っぱらった父の友人達にお小遣いを貰えることもあったので少しは良かったが、母はきっと大変だっただろうと思う。 父は飲まなければとてもいい人の典型だった。 飲んでいないと仏のような人だった。 今思うと酒も気も弱かったのだと思う。 そんな感じだったので母は酒飲みに嫌悪感を持っていた。 母と弟と暮らした時期の私は、家で酒を飲むことはほとんどなかった。 それでもあんがい酒は強かった。 家で飲むことはなかったが

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    s-johnny 2022/02/25
  • おなかよわよわ星人。 - ココからのブログ

    たべながらよんじゃだめ 家族全員見事に腹が弱い。 いらないことばかり似てしまうもんだ。 なかでもが息子が1番に腹の弱さが似てしまったようだ。 なかなかに大変なことも多いと思うがこればかりは体質なので仕方がないだろう。 うんこをもらしたはなしその1。 息子は小学校1年の時にそろばんを習っていた。とにかくすうじが大好きだった。優しいおばあちゃんが教えているそろばん教室に週に3回も喜んで通っていた。 その日私は次女の心臓の定期検査でかなり時間がかかる予定だった。 夫にそろばんの帰りのお迎えをお願いした。 病院が終わりマナーモードにしていた携帯を開くと恐ろしいほどそろばんからと夫からの着信があった。 その日。 いつも通りの時間に夫が迎えに行くと、息子がおばあちゃんの灰色のゴムのズボンを履いて待っていた。 ズボンの中には意外とセクシーなパンティをはいていた。 理由はこういうわけだった。 息子がそろば

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    s-johnny 2022/02/23
  • じここうていかんっていうけれど。 - ココからのブログ

    自己肯定感の低さを自覚しているがそんなの特にどうって事ないと思っている。 自己肯定感が育つはずがない。 小さい頃にあまり褒められずに育つと 自分に自信が持てずにいつも人の目ばかり気にするとかいう話。飽きるくらい何回もで読んだ。 なるほどその通りだなと思う。 時代もあると思うが、幼い頃から親にぶん殴られて育った。 我が家だけではなく叱る時は叩く親が周りも多かったし先生達もそうだった。 「ほらみたことか」「人様に恥ずかしいことばかりする」「ダメダメそんなんじゃ」 褒めるどころか理不尽な鉄拳と叱咤激励とが日常だった。 常に親の機嫌と顔色を伺っていたせいで、相手の気色ばむ一瞬を決して見逃さない。 こういう育ち方だと自分の軸がなく常に自分のすることに疑問を持つと言うが、これは育ちもあるが持って生まれた性格もあるだろう。 そんな人が大人になると 大人になって仕事をすると自己肯定感の低さはマイナスばか

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    s-johnny 2022/02/21
  • いいねは押せないけれど、いつかは良くなる。 - ココからのブログ

    その文字の羅列を見つけて、また少し悲しくなった。 分かっているのなら見なければいいのに、私はたまにそれを見る。 なにか変化があればいい。 少しでもいい方向に変わっていれば、もう二度とは見ないと決めて期待しながら見てしまう。 お母さんは余計なことまで心配になるから生きずらいだろうねと以前、長女に言われた。 人類全般を心配しても、どうしようもないのにさ。 そんな事はないと言い返す。 でもそうなのかもしれない。 人類全般は言いすぎだけど。 コロナと同時に大学生。 コロナがまだ始まったばかりの頃。 息子は大学を目指す受験生だった。 コロナのニュースを見てクルーズ船でずっと寝ていれるなんて羨ましいと不謹慎なことを言っていた。 小さい頃からあまり勉強しなくても頭がいい子で、高校はあまり頑張らずに地域2番の自由な校風の進学校に入った。 家ではほとんど勉強しない息子だったがなんとかセンター試験を経て関東の

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    s-johnny 2022/02/19
  • 流れる感覚。父とおなじギャンブラーの血 - ココからのブログ

    子供の頃。 父と出かけた思い出をふとしたひょうしに思い出した。 小学校の低学年の頃だろう。 身長100センチくらいからの視線。 耳が痛くなるくらいうるさい店内。煙草の煙でのどが痛い。 もう何時間も前からその場所に飽き飽きしている。 店の床は真っ黒で銀色の球が落ちている。 銀色の球を拾ってはポケットに入れてある程度たまると父に届けに行く。 決して楽しい遊びではなかった。 父の耳の穴にはパチンコの玉が入っていていつもなぜ耳にいれるのか不思議に思っていた。 のどが渇くともらった小銭でびんのジュースを買った。 コーラやミリンダのストロベリー。懐かしい昭和の人気だったジュース。 自販機に栓抜きがついていたがうまくできなかったが誰かがやってくれたのか思い出せない。 何時間もたっているのにいっこうに父は帰ろうとしない。 お腹がすいてきたしつまらない。 早く終わってラーメンべに行きたい。 またある時。

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    s-johnny 2022/02/18
  • 子供の時から私だけかとおもっていたら。 - ココからのブログ

    不思議の国のアリス症候群が昔ひどかった。 わけが分からなかった子供の頃。 今だからアリス症候群が有名になってなんだったか自分の事を理解した。 でも子供の頃は分からなくてただただ怖かった。 小学校3年生くらいの時。 私は小さかったのでいつも1番前の席だった。 担任は怒ると木製の大きな三角定規で叩くような怖い女の先生だった。 ヒステリックで朝から晩までほとんど怒っていて恐怖政治で支配されたクラスだった。 何が地雷になるかわからないので皆ニコリともせずに神妙に話を聞いていた。 それはそれは長い退屈な授業。 教室の右端の席に座っていたのだが、時計が左にあった。こっそり先生の後ろの時計ばかり見ていた。 時計の針は全く変わらず 「もしかしてあれは止まっているのかもな」 そんな事を考えていた時、急にそれは始まる。 先生の声はそのままで、目の前にいる事もそのまま。 なのに突然 自分との距離感がおかしく感じ

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    s-johnny 2022/02/16
  • たぶんリズムとテンポがいまいち。 - ココからのブログ

    小さい頃から恐ろしいほどドンくさくて、そのせいでしょっちゅう転んだり怪我ばかりしていた。 よくぞご無事でと自分でも思う。 昭和のがっこうがえり。 小学校の帰り道。 私の家は火葬場の隣で町のはじっこだったので校内一二を争うくらい学校から遠い。 土曜の午後は半ドンだった。 次の日が休みという喜びもあってダラダラみんなで遊びながら帰った。 途中から家が遠いグループの数人の男子といつも一緒に帰った。 それはそれはのどかな田舎の夏の日。 順番に川というか堰をジャンプすることになった。 そこは子供にとって勇気が試される場面だ。 皆次々と勇敢に飛んでいた。 全員が思い切り良くテンポよく飛ぶ。 みんながあっという間に向こう岸に行ってる。 そこは川幅もあり流れが怖くていつまでも飛べなかった。 あまりにも飛べないので腹が減ってきた男子はとろい女子など待っていられるはずもなく 先に帰っていった。 誰もいなくなっ

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    s-johnny 2022/02/15
  • すごい幸せをかんじるための今。

    我慢ばかりの日々。 コロナ不況 、オンライン授業、リモートワーク、お祭りも行事も中止。 追い討ちのようなこの大雪だ。 今はどれだけ人間が我慢できるか試されてるんだろうかと思ってしまう。 処刑できるくらいのつらら 大学生の息子は入学して1年以上オンライン授業だった。 サークル活動もいまだ数回しかできないようだ。 次女は中学の修学旅行は、先生達が頭を悩ませて[県内の隣の隣くらいの町に日帰り]で出かけて終わった。 もちろんバスの中は会話禁止。でもこんな中なので感謝している。 吹奏楽部は、文化祭の引退の花道である発表も静かな体育館でする演奏を教室でモニターで見るだけという形で終わった。引退の花道は何とも寂しいものだった。 長女は職場の「飲み会がなくなって楽でいいわ」と言いながらも、田舎の誹謗中傷も怖いので 好きな旅行も我慢の日々だ。 今どきの若者はというけれど、若者は大人の決めたことに従うしかない

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    s-johnny 2022/02/11
  • 50代。そろそろ肉との決別を。 - ココからのブログ

    完全に油断していた。 焦っている。 雪道を歩きながらとっぴょうしもない音楽が頭を流れている。 気合を入れて歩こうとしているが体が重い。 今朝久しぶりにデニムをはこうとしたら、 自分が太った事にようやく気がついた。 気付くのが遅いが秋に余裕で履けたものがぴっちぴちになっていた。 思えば冬の訪れと共に私は肉活をして着々と自分に肉を貯めてきたようだ。 年末はふるさと納税で普段は卓に登らないような肉をべた。 正月が終わってから、2年ぶりに大学生の息子が帰省したのでそこからまた二巡目の怒涛のフードファイターの日々が始まった。 夕方早目に第1晩ご飯をべた。 夜になり正式な第2晩ご飯をべた。 夜中に手づくりチャーシューをたくさんのせたラーメンべた。 数時間後の朝にべた。 「コロナで頑張ってるんだもん。べるくらいいいじゃん」 こんな理屈で血糖値が爆上がりして後に気絶したように誰かが寝

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    s-johnny 2022/02/10
  • スマホ脳。頭も性格もわるくなった? - ココからのブログ

    最近。 というかスマホを持つようになってから、 記憶力が低下してるように感じる。 わすれる。 先日、数ヶ月先のライブの先行予約を申し込んだ。 アプリを入れたりサイトの会員になったり色々面倒な登録をした。 大物アーティストで申し込み多数の場合は抽選との事でドキドキして待った。 もしやコロナで中止になったらあきらめよう。 行けたら嬉しいがダメもとで、どちらでもいいと思っていた頃当選のメールが届いた。 期日までにお支払いくださいとの事だった。 それではすぐにクレジットで決済をしようと思った。 詳細はこちら この文字を押したら次にログインを求められた。 てっきりスマホが覚えていてくれているかと思い込んでいたパスワードが出て来ない。 焦りながら、記憶にあるパスワードを打ち込んだ。 私はパスワードを決める時、サイト名と自分の名前のローマ字を組み合わせた一定の法則を決めていた。なのでこんなの余裕だと思っ

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    s-johnny 2022/02/09
  • へんしんはふようです。 - ココからのブログ

    返信不要。 最近。 この表現が突き放したように聞こえ冷たい感じがするとか、返信するかどうかを決めるのは受け取る側なので指示されたくないという意見があるという。 人によって捉え方は違うものだなと驚いた。 今度使う時は状況や受け取る相手の事を考えなければと思った。 でも。 私はわりと"返信不要”という言葉が好きだし よく使うほうだ。 それはたぶんたくさんの優しい返信不要に出会ってきたからだと思う。 二つ前の勤務地で 長女が8歳、長男が5歳の夏。 次女が産まれた。 3人目ということで余裕の子育てだと思っていた1ヶ月健診。 顔見知りのドクターと談笑していたら 次女の心臓の病気が見つかった。 ショックで自分が立っている床が一瞬斜めになったかと思うような感覚があった。 周りに助けられた日々 実の母が来てうえの2人の世話や事の支度をすることとなった。 夫の母も上の子達の通院や時には遊びに連れて行ってく

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    s-johnny 2022/02/06
  • ばあさんにだって青春のひとつやふたつ。 - ココからのブログ

    気を抜いて歩いていると建物のガラスにイケてない疲れたババアがいた。 それが自分だと気づくとがっかりする。 もうすこしイケてるつもりだったのに。 きちんと理解するべき現状。 娘達にとって50代の私は ”旬を過ぎたオバサン"にしか見えてないんだろうと思う。 娘二人を見ていると、羨ましいほどのみなぎる若さと無垢でこれから様々な事を経験するであろう未来がある。 それに比べると自分は、まだ充分イケてるつもりでも所詮わちゃわちゃうるさい50代のおばちゃんの1人にすぎない。 娘たちに 「今日、50代に見えないと言われた」 こんな事を報告しようものなら瞬時にお叱りをうける。 「お世辞を真に受けないように…」 「見えます。きちんと年相応に…」 たしかに前の職場に「何歳に見える?」と 難しいクイズのような事を初対面の相手に言う同年代がいた。 「私こうみえても50過ぎてるのよ」というヒントを出しているがこれも危

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    s-johnny 2022/02/04
  • 近くにいずとも元気ならば。 - ココからのブログ

    私と父は誕生日が1日違いだ。 結局20年以上会っていないのだから、何の因果かと思ってしまう。 母は、 「ぜったいに忘れないように近い日に産まれたんじゃない?毎年泣いて思い出してるでしょきっと」 そんな風に言ったりする。 毎年のように1日違いの誕生日が近くなると 「ああ今年も思い出す儀式が来るぞ来るぞ」と複雑な気持ちになっていた。 父は2月1日 私は2月2日 そんな2月生まれに約20年前息子が加わった。 今は離れて暮らす大学生の息子は7日生まれだ。 内心「3日じゃなくて惜しい」とちょっとだけ思った。 発想が奇抜で独創的なところが父に似ている。 やはり血は争えないなと思いながら育てた。 kanahebijiro.com あっという間に家を飛び立った。 この息子の誕生日はケーキを作ることが多かった。 2月は家庭内に誕生日が2人。 そして恵方巻。バレンタインと手作りが多い。 なんとなく誕生日のケー

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    s-johnny 2022/02/02
  • 雪国のあたたかいふつうの暮らし。 - ココからのブログ

    もはや凶器な雪 今年は雪が多い。 自然には抗えない。 毎年のことだから慣れてはいるのだが、ただでさえ外出が制限されるコロナ禍に窓の外で白い雪がひたすら落ち続けるのを少し憂な気持ちで眺めた。 近所の人と顔を合わせるたびに 「もう雪はうんざりですね」 これが挨拶がわりで一日に何回も雪かきをする。 雪道を散歩する。 歩道は1人通れるかどうかの幅になっていて向こうから人が来ると、すれ違うのも大変なので少しこちらで待ったりする。いかにも待っている感じだと気を遣わせるのでスマホを眺めたりする。 それでも譲ってもらった側が「お先にすみませんね~」と一声かける。 男子高校生が恥ずかしそうに「うっす」と頭をさげてくれたりするのも可愛い。 たまにすれ違うのにお互いが気を使いすぎて同じ方向によけ、それが何回も同じタイミングで同じほうによけるのが続く事がある。 そういう時の相手はなんとなく似たもの同士なのだろう

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    s-johnny 2022/01/31
  • いつもこころにひろゆきを。 - ココからのブログ

    自分の考えが1番正しいと疑わないようになってないか。 時々我がふり治せといわれるような出来事がある。 だから自分も含むおばさんは嫌なんです。 つい先日。 スーパーでお金を払う際にレジのおば様に少し怪訝な顔をされた。 ポイントカードはお持ちですか? お支払いは? 現金で払い、ポイントカードは持っていないと答えた時そんな顔をされたのだ。 そしてこう言われた。 「持ってないの〜‼損だよ今日作りなさいよ!」 その日はポイント10倍デー。 ポイントをつけないなんて勿体ない。 なんで持ってないの? 今どき現金払い? そんなところだろう。 そんなことは以前スーパーで働いていたこともあるから百も承知だ。 なんならカード決済も○○ペイも普段は使い倒しているしポイントも貯めている。 混雑している時は決済も早いから後ろにも迷惑かけないしカードで支払う。 主婦だからお得は熟知している。 若いレジのお姉さんは持って

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    s-johnny 2022/01/30
  • コーダあいのうた。また会いたいやさしいコーダの男の子。 - ココからのブログ

    ゆびもじ 久しぶりに手話を勉強していた頃の友達から連絡があった。 好きそうな映画があると教えてくれた。 ゴーダ愛のうた 素晴らしい映画だった。 エール!(字幕版) コーダ愛の歌の原作版 コーダとは、きこえない・きこえにくい親をもつ きこえる子どものことをいう。 両親ともきこえなくても、どちらか一方の親だけがきこえなくても、親がろう者でも難聴者でも、きこえる子どもの事はコーダとされる。 1980年代にアメリカで生まれた言葉で CODA,Children of Deaf Adult/sの頭文字だ。 ふと知り合いの1人のコーダの男の子を思い出した。 元気でいるだろうか… 必ず元気でいて欲しい。 私はその男の子を思い出すとき少しもどかしい気持ちになる。 https://kanahebijiro.com/def-friends 手話とろう者との出会い 10年以上前手話を習っていた。 その頃はろうの友

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    s-johnny 2022/01/28
  • 親子はお互いを傷つけ心をえぐりながらしか生きられないのだろう。 - ココからのブログ

    母方も父方も共に祖父は長生きだった。 幼い頃はよく分からなかった。 母方の祖父は何事にも厳しく怖かったようだが私にはいつも優しかった。 祖母は母がまだ小さい頃亡くなり後さんがいた。 私は大人になるまでその人が自分のおばあさんなのだと思っていた。 母の思春期に後として迎えられ育ててくれた人は数年で癌で亡くなり、 私の知るおばあさんはその次の後だった。 夏休みは毎年母と祖父の家に泊まりに行った。 母方は頭のいい家系でいとこ達は皆非常に優秀だった。 祖父は孫達の勉強にも厳しい人でみんなは祖父に通知表を持って遊びに来ていた。 孫たちが祖父の前に正座してひとしきり今学期の反省点を神妙な顔で話していた。 その後はお小遣いをもらってさっさと帰って行った。 私だけは通知表を持っていくこともなければ勉強について尋ねられることもない。 何泊も祖父の家に泊まっていた。 夜には祖父と五右衛門風呂にはいり祖父

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    s-johnny 2022/01/22