
アニメ評論家・藤津亮太が2022年のアニメ映画を振り返る。キーワードは「大波のような映画」と「石のような映画」。激しいアクション、キャラクターの感情といった魅力の横溢する「大波のような映画」が趨勢であるように見えるが、確実に「石のような映画」が増えつつある。たとえば『かがみの孤城』のような……。進化しつづけるアニメ表現を考察。 期待されている「大波のような映画」 「大波のような映画があり、石のような映画がある。石のような映画をつくったのは、たぶん小津とブレッソンだ。一方、大波のように映画をうねらせるのはスピルバーグだ。セルジオ・レオーネだ。ベルトリッチだ。」 映画評論家の畑中佳樹は著書『夢のあとで映画が始まる』の中でこんなふうに記している。多分に感覚的な言葉ではあるのだけれど、だからこそ実感に訴えてくる部分がある。 2022年のアニメ映画を振り返ると当然ながら「大波のような映画」が注目を集
節目は2012年。この年がどういう年かといえば、細田守監督の『おおかみこどもの雨と雪』があり、庵野秀明総監督の『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』があり、長峯達也監督の『ONE PIECE FILM Z』があった――と固有名詞を並べれば、おおよその想像がつくのではないだろうか。 この年、スタジオジブリ作品が不在でありながら、アニメ映画の興行収入合計が初めて400億円を超えたのである。そしてそれ以降、アニメ映画の興行収入は400億円を下回ったことがなく、多い年では600億円を超えることもある。 この背景にシネコンの定着、アニメ映画の制作本数の増加といったビジネス状況の変化があることは間違いないが、それをここで論じるのは止めておこう。 ここでまず目を向けたいのは「スタジオジブリの90年代」「活況の10年代」の間に挟まれたゼロ年代であり、この時期は10年代を担う作り手たち、10年代を牽引するシリーズ
『千と千尋の神隠し』で一番要となるシーンは、ラスト間際、主人公・千尋が、湯屋“油屋”のある世界からトンネルを通って帰っていく場面だ。このシーンの見せ方が、『千と千尋』という作品の持つ意味合いを決定づけているといってもいい。 『千と千尋の神隠し』(宮崎駿監督)は2001年公開。興行収入316億8,000万円(当時の日本歴代興行収入第1位)を記録した大ヒット作というだけでなく、第52回ベルリン国際映画祭で金熊賞、第75回アカデミー賞でアカデミー長編アニメ映画賞を受賞するなど、国際的にも高い評価を受けた作品である。 物語は10歳の少女・荻野千尋が、引っ越しの途中で怪しい町へと迷い込んでしまうところから始まる。そこにあったのは神々が通う湯屋“油屋”。両親が豚になってしまった千尋は、湯屋の主である湯婆婆に名前を奪われ、千(せん)として湯屋で働くことになる。 千はそこで、湯屋で働く謎の少年ハク、お客の
1997年に公開された映画『タイタニック』は全世界で約22億ドル(約2400億円)もの興行成績を上げた大ヒット作である。 ©️世界中で大ヒットした映画『タイタニック』。物語のテーマになったタイタニック号の沈没は、宮沢賢治『銀河鉄道の夜』の中にも描かれている ©️getty この『タイタニック』と奇妙な縁がある作品が、1985年に公開されたアニメ映画『銀河鉄道の夜』だ。この縁は“偶然の産物”でしかないのだけれど、そこを意識しながら2つの映画を見ると、それぞれの作品がより立体的に楽しめるようになる。では2つの映画が、どんな縁で結ばれているか順番に紐解いていこう。 1912年4月10日、タイタニック出港の日 全ての始まりは1912年4月10日。豪華客船タイタニック号は、アメリカ・ニューヨークを目指して、イギリスのサウサンプトン港から初航海に出発した。航海は順調に進むかに思えたが、出発して4日後
21世紀はあっさりやってきた。2000年問題が世間をざわつかせもしたが、幸い大事は起きないまま2000年が到来し、2001年を迎えることになった。21世紀は未来の象徴として長らく語られてきたが、到来してみればそれは昨日と地続きの"今日"だった。 イラスト:jimao ▼子どもの中にある、未来という思想 2001年に公開された『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』は劇場版第10作。『映画クレヨンしんちゃん』の多くは、少々奇妙な悪役や悪のの組織が登場し、野原一家がの陰謀に巻き込まれるという趣向で展開する。『オトナ帝国』にも「イエスタデイ・ワンスモア」という組織が登場する。 イエスタデイ・ワンスモアは、ようやく訪れた21世紀がかつて夢見られた21世紀ではないことを憂い、大人たちを懐かしい時代(主に昭和30年~40年代)の虜にしてしまおうという組織だ。この作戦の一環として
現在公開中の『劇場版ポケットモンスター キミにきめた!』はアニメ化の20周年記念作品。物語の原点である主人公サトシとピカチュウの出会いと旅立ちを改めて描きなおした内容となっており、ここ10年の劇場版ポケモンの中でも特筆してドラマチックな1作となっている。どうしてこのような作品が生まれたのか。『ポケモン』の置かれた位置を概観することで考えてみたい。 『劇場版ポケモン』はこの10年ほど、新ポケモンの魅力と映画ならではのスペクタクル・シーンを軸に映画を構成してきた。アニメ『ポケモン』のコアな視聴者は(ゲームよりも低く)未就学児から小学校3年生ぐらいまでなので、こうした内容は観客のニーズに十分応えるものだった。2007年の『ディアルガVSパルキアVSダークライ』の興行収入50.2億円を筆頭に、2003年から2011年まで毎年興行収入40億円以上をキープしていた大ヒットシリーズである。 ところが近年
昨年公開された『劇場版ポケットモンスター キミにきめた!』はTVシリーズの序盤をベースに、サトシとピカチュウの絆ができるまでを描いた。それによって『ポケモン』の原点を見つめ直す作品だった。 そして、現在公開中の『劇場版ポケットモンスター みんなの物語』は、そこを踏まえた上で、老若男女がポケモンとともにそれぞれの課題を乗り越えていく姿を描いた。そこではサトシとピカチュウは、理想的な関係を築いている一種の“象徴”であり、ドラマはサブタイトルの通り「みんなの物語」として出来上がっている。 舞台は、人々が風と共に暮らす街・フウラシティ。フウラシティでは年に1回の風祭りが始まろうとしていた。昔から、祭りの最終日にはルギアが現れ、人々はルギアから恵みの風をもらうという“約束”が続いていた。 このようにポケモンと人間の共存を体現したような街・フラウシティだが、そこには公に語られることのない暗部もあった。
平成は短かったようで結構長い。 国産アニメの歴史は1917年に始まり、現在までにおよそ100年が経過している。そして、国産初のカラー長編アニメーション『白蛇伝』の公開が1958年(昭和33年)。同作は、アニメがメジャー流通(TV・映画等)にのって大量生産されるようになる原点というべき作品で、その公開から平成の終わりまでが61年。 つまり平成は、国産アニメの歴史の3割を占める時期であり、戦後のアニメ史に限るならその半分を占めるほどの存在感を持っているのである。 この連載は、平成のアニメ作品を取り上げ、遠くから探ったり(望遠鏡)、細部に拘ったり(虫眼鏡)しながら、平成という時代を振り返っていく予定だ。連載初回となる今回は、平成の間にアニメを取り巻く状況がどれほど大きく変わったかについて簡単におさらいをしておこうと思う。 ▼TV、映画、レンタルショップが複雑に入り乱れる平成初期 平成の30年間は
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