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okinawaに関するs_gotterのブックマーク (9)

  • 南の島の爺婆の話

    子供は親のすねをかじる。 だらしのない子供は、大きくなってもかじりつづける。 気合の入った子供は、皮膚をい破り、筋を喰い、骨を割って骨髄まですする。 南の島は不景気で仕事がないから、働き盛りの子供達はみんな、土に渡って仕事を探す。 残念ながら島の人達はおおらかで、大阪あたりの殺伐とした空気の中では、やっぱり競争に勝てなくて。 南の島では、戦争で子供を亡くした親御さんには、毎年終戦記念日になると見舞金が配られる。 戦争で亡くした子供の人数あたり、大体100万円前後。数人いるとちょっとした金額。 終戦記念日。土に渡った子供達は、金銭的に切羽詰って、親のもとに送られてくるお金のことを思い出す。 見舞金は生活費。爺婆は、送られたお金を一生懸命家の中に隠す。 夏の夜中。土から「取り立て」にやってきた子供達は、爺婆を路上に放り出して、 家を荒らして通帳を探す。 放り出された爺婆は、泣きながら路

    南の島の爺婆の話
    s_gotter
    s_gotter 2007/05/22
    沖縄じゃないかもしれないけど。
  • 「沖縄は日本ではない」という差別について - Backlash to 1984

    戦前の沖縄で、土地の言葉を使うと責められた、という話をよく聞く。沖縄の人々は「日人である、日国民である」という意識が低い…という中央政府の認識の下での、皇民化教育の強化があったと聞く。しかしそのことを問うなら、偏見や差別意識が強かったことのほうが、主因ではないか、そのようにも思えてならない。逆にいうと、当時の土の人士にとって「沖縄」がどう見えていたのか、ということにもなろうかと思う。ウチナンチュでありつつヤマトンチュとともに日人であるという意識が、そんなに低かったのだろうか。ならばなぜ、沖縄県民はあれほど米軍に奮戦し、戦後の沖縄は日に復帰しようとしたのか。 沖縄の人間は日人としての認識が弱い…と土の人間が思うとする。しかしそのようにその人が思うとき、その人にとっての「日」とは何か。あらかじめ引かれた線に沿って「日」を囲い込み、少しでも異質と思われたならば「日ではない」と

    「沖縄は日本ではない」という差別について - Backlash to 1984
  • 沖縄戦の風景 - 非行型愚夫の雑記

    地元民「スパイ」を殺せ このように沖縄戦では、作戦を練り上げ、戦闘を指揮する肝心要の守備軍首脳の間で、基的戦術をめぐって終始意見が対立した。あまつさえ戦況判断の面でも上級司令部と現地軍とが極端ない違いをみせたことは、たんに”困りもの”という以上に、一般の兵士にとっても、また戦禍に巻き込まれた住民にとっても深刻な影響を与えずにはおかなかった。とりわけ、作戦のい違いによってもたらされた戦況の悪化は、将兵の間に疑心暗鬼を生んだ上、やがてそれが、「地元住民の中に敵に内通するものがいる」としてスケープ・ゴート探しをするおぞましい事態を生んだからである。つまり、軍は住民のスパイ活動によって戦況が悪化したとして苛酷な「スパイ狩り」を始めたのだ。 そんな折、地元の一女性がスパイ容疑で逮捕された。彼女は、首里郊外で懐中電灯を振って敵に合図をしたという容疑であった。だが、その事実を裏付ける証拠は何も示さ

    沖縄戦の風景 - 非行型愚夫の雑記
  • 朝日社説 沖縄の明日 自治州は見果てぬ夢か - finalventの日記

    沖縄の自治州化はその気になればできる。実際私が沖縄にいたときでもその微妙な気運はあった。台湾側からの攻勢だった。現在では中共側かもしれないと考えてみてやはり依然台湾との関係だろう。この問題に取り組めるほどの自治力が沖縄にあるかだけが問われる。 執筆者の高のくくりかたはナイチャーっぽい、と私のようなナイチャーがいうまでもないのだが、経済面ではもっと複雑な問題がある。 総じていえるのは右も左も沖縄をダシに使わないほうがいいと思うというか、沖縄は沖縄の生き方があるとしか言えない。そこで問われているのは日なのだが。

    朝日社説 沖縄の明日 自治州は見果てぬ夢か - finalventの日記
    s_gotter
    s_gotter 2007/01/14
    「台湾側からの攻勢だった。」
  • 痛いニュース(ノ∀`):【朝日新聞社説】 沖縄の声が日米両政府に届かないとなれば、独立に近づこうという自治州への動きはいっそう高まっていくだろう

    【朝日新聞社説】 沖縄の声が日米両政府に届かないとなれば、独立に近づこうという自治州への動きはいっそう高まっていくだろう 1 名前:春デブリφ ★ 投稿日:2007/01/14(日) 09:50:36 ID:???0 「復帰措置に関する建議書」。土復帰前年の71年11月、当時の住民側の自治機構である琉球政府は、沖縄の望ましい未来像を描いた建議書をまとめた。 450年に及ぶ琉球王国は、明治政府によってつぶされ、日に組み込まれた。戦後の 沖縄は米国の統治下に置かれた。そんな歴史を踏まえ、自治の確立を強く求めた。 もう一つ、願ったのは「基地のない平和な島」である。 だが、琉球政府の屋良朝苗主席が建議書を携えて上京した日、基地を固定化する沖縄 返還協定が、国会で自民党によって強行採決された。 建議書は政府の施策に反映されなかった。とはいえ、その思いは沖縄で脈々と息づくことになる。

    s_gotter
    s_gotter 2007/01/14
    沖縄は良く分からない。語るべき枠組みとしては朝日もコメントもずれてる気がする。追記:http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20070114#c1168744988
  •  沖縄戦「集団自決」の軍命令はあったのか? - Dr.マッコイの非論理的な世界

    これまた手抜きついでに、というかメモがわりにとりあえず引用だけ。沖縄戦の集団自決「軍命令」に関する産経新聞の記事から二つほど。いずれも、沖縄戦における集団自決の「軍命令」が事実ではないのに出版物や教科書などで一人歩きしており、それと関連して、岩波書店と大江健三郎が、要するにデマを流したというような理由で訴えられたという記事。後日これをもとに何か書く予定。産経新聞 平成17(2005)年7月24日[日]沖縄戦集団自決「軍命令」…出版物・教科書で独り歩き 集団自決が軍の命令だったとされてきた“歴史”が法廷で争われることになった。沖縄戦が住民を巻き込んだ悲惨な地上戦だったことは事実だが、軍の残虐性を示す“証拠”の発端は、島の長老と生存者による遺族のための悲しい口裏合わせだったという。最初に書かれた沖縄タイムス社の『鉄の暴風』の記述は大江健三郎氏の代表作『沖縄ノート』だけでなく、故家永三郎氏の『太

  • 2006-11-19

    ま、言うまでもなくだけど。 アルファーブロガーの疑似性引き籠もりさんが、自らの引きこもり体験を振り返りながら語っている。「ブログは社会に適応する訓練の場ではなく、自分で考え、成長できるところであってほしい」。尾骶骨にコツンと響く言葉だ。▼三十代まで、疑似引きさんは自宅の部屋に閉じこもって片っ端からゲームをやりまくり、感動して涙を流していた。それは「自分で考えるための充電」であり、1年後にブログを中断すると実生活に戻って大活躍。そのごIT業界で壮大なフカシをぶちあげるまでになった。人と違っていることを認め、自信を与えてくれたブログがあり、いかれたブロガーたちがいた。▼相通じる意見を古参弁当さんからうかがったことがある。「みんな美人に、という『仲間由紀恵イデオロギー』が曲者なんや。いじめ問題なんかここから出てくる」。妬みの文化だけでまとまるのは二十世紀までの発想なのに、相変わらず社会はW3C的

    2006-11-19
    s_gotter
    s_gotter 2006/11/23
    「糸数支持勢力が、早くも沖縄県民は馬鹿だの魂を売っただの言い始めました。日頃は沖縄の味方顔しながら、自分の都合が通らなくなると、苦渋の決断を迫られ紙一重での決断を余儀なくされた県民を貶め始める」
  • 日本一オンナが安い沖縄で「基地問題」はどうでもよい : 反米嫌日戦線「狼」(反共有理)

    The Timers - FM Tokyo by 桴瑰㨯⽷睷⹶慬牡猭灬慧攮湥琯扲楣欭浵獣汥(12/07) 『実録・連合赤軍』 若松監督が岡公三にDVDを見せていた! by 投資一族のブログ(10/20) 【衆議院議員・保坂展人】「愛国心」と「自己責任」の歯車が噛み合うときが怖い by 【2chまとめ】ニュース速報嫌儲版(01/09) マスゴミは連赤事件をどう伝えたか by 【2ch】ニュース速報嫌儲版(10/15) 「さようなら原発5万人集会」と相変わらず「歌声運動」の化石左翼「緑の党」 by 逝きし世の面影(11/09) 「さようなら原発5万人集会」と相変わらず「歌声運動」の化石左翼「緑の党」 by 逝きし世の面影(10/13) 「さようなら原発5万人集会」と相変わらず「歌声運動」の化石左翼「緑の党」 by JCJ機関紙部ブログ(10/05) 「さようなら原発5万人集会」と相変わらず「

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