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2009年3月14日のブックマーク (2件)

  • 壊れる前に…: ゼノフォビアの罠に嵌まった国

    ローマの Caffarella 公園で先月の14日、14歳の少女がレイプされた。間もなく2人の若いルーマニア人が検挙された。人々の間にはルーマニア人を犯罪者視する風潮が高まり、新聞は「ルーマニアの獣どもが捕まった」と書き立てた。 しかし、先週になって、DNAテストの結果、彼らが無実であることが分かった。国中が外国人排斥に沸き立っていたイタリアは、自分たちがいとも簡単に民族的偏見の罠に陥っていたことを思い知らされ、愕然としている。と、ロイター電 "Rape inquiry sheds light on racism in Italy" が報じている。 イタリアを日に、ルーマニアを中国韓国に置き換えれば、何年か後のブログ記事がもう書けたようなものだ。そう思って読み返せば、決してすべての人が民族差別に堕していたわけでもなく、また逆に、すべての人が今、反省しているわけでもないことが察せられる。

    sadamasato
    sadamasato 2009/03/14
    自分が偏見をもっていたことに気づけばいいのですが……。なんか、「○○人が犯罪者扱いされるのは当然」とか、「××の連中の日ごろの行いが悪いせいだ」とか、開き直られそうな気も……
  • なんのための構築主義か(少数派のアイデンティティについて)。 - hituziのブログじゃがー

    「われわれ」を想像する権利 - Danas je lep dan. うえの記事の、最初の部分に違和感がありました。全文は うえのリンク先を よんでください。一部分だけ引用します。 前に書いた 真に他民族を尊重するということ - Danas je lep dan. の補足のようなもの。 ぼくは前々から構築主義※1を支持しながらアイヌなど少数民族の民族復興運動をも同時に支持している事について矛盾があるのではないかと感じていて,その二つの立場の整合性を取ろうとしたのが前掲エントリなんだけれど,図書館で雑誌をパラパラとめくっていたらしっくりくる表現を見つけた。 ※1:構築主義と源主義の違いについては,質主義と構築主義 - Danas je lep dan.を参照。 「構築主義を支持」するなら、「アイヌなど少数民族の民族復興運動をも同時に支持」するのは「矛盾」でしょうか。そんなことはありません。

    なんのための構築主義か(少数派のアイデンティティについて)。 - hituziのブログじゃがー
    sadamasato
    sadamasato 2009/03/14
    固定化され制度化されたものが生きた共同体ではない。個々の具体的な結びつきを通してその都度構築されるものが本当の生きた共同体ではないでしょうか。