画像追加。 聖史劇の《並列舞台》と《円形舞台》のイメージ。 André Degaine, Histoire du théâtre dessinée, Paris, Nizet, 1992より。
典礼劇と同様に、聖史劇でも天国と地獄という二つの宗教的かつ象徴的な軸の両端が強調される。多くの場合、聖史劇で手の込んだ舞台装置が用いられたのは天国と地獄の二箇所だけだった。金色にきらめく天国には、冠をかぶった神がいて、その頭上を木製の天使たちが飛び回り、力天使(ヴェルテュ)と大天使(アルカンジュ)たちが周囲にいる。この天国のすぐそばには《シレート》(聖史劇の幕間に演奏される楽器演奏)のための場所が設けられ、そこからは心地よい音楽が聞こえてくる。場の転換をつないだり、あるいは重要な場面で観客の注意をひきつけたいときに、この場所で音楽が演奏される。 天国の反対側には地獄がある。地獄の出入り口はときおり炎が吹き上がる。火事の危険を避けるため、地獄の舞台装置は煉瓦で作られている。うめき声と鳴き声がそこからは聞こえ、悪魔たちが出入りする。キリスト教徒たちを迫害する王の宮殿もこのすぐそばにある。拷問役
仕掛けによる趣向が重視されていた聖史劇は、役者たちの技量を味わう演劇ではなかったが、暴君、悪魔、道化(阿呆)などの喜劇的な人物を演じるには、それなりの技量が要求された。こうした喜劇的な役柄は、ファルス(笑劇)やソティ(阿呆劇)の世界に近い存在であり、地域にあるファルスやソティの上演団体(「陽気な信心会」といった名称で呼ばれていた)のメンバーがこうした喜劇的役柄を担当することが多かったようだ。しかし真面目な役柄の配役の選定では、演技力はそれほど重視されなかった。台詞の量が多い役柄は、聖職者、法律家といった人前での演説に慣れたプロが担当することがあったが、重要で威厳のある役を演じることが多かったのは、何よりも裕福な家の人間だった。演技力に長けていても貧しい人間には、こうした役柄を演じるチャンスは少なかったのだ。 聖史劇の俳優に求められる能力の筆頭は、自分の担当する台詞を覚え、それをはっきりと力
登場人物の類型化が進むと、心理的な深みは乏しくなっていく。われわれが聖史劇や道徳劇のテクストに今一つ面白みを感じない大きな理由のひとつは、これらのジャンルの登場人物がもっぱら類型として提示されているからだろう。この点について、中世末期の「長大な劇形式ジャンル」の美学は、精緻でリアルな人物造形に慣れたわれわれの感覚とは離れたところにあるのだ。類型的な人物を演じる聖史劇の俳優たちの演技は、そのテクストと同様に、やはりニュアンスの乏しい平板なものだっただろう。 人物描写の単調さに対して、聖史劇のテクストにはしばしば非常に凝った詩的技巧が用いられた。アンドレ・ド・ラ・ヴィーニュなど、聖史劇の作者のなかには《大押韻派》*に属する詩人もいて、複雑な韻の組み合わせを追求することで驚くべき文体的名人芸を示すことができた。もっともテクストの施されたこうした詩的妙技は、彼らにとってほんの気晴らし程度のものだっ
Boing Boing で知った Amazon.com: 100 Books To Read In A Lifetime だが、まさに「一生のうちに読むべき100冊」を選定している。 「このリストは人生のあらゆる段階を網羅するのを目指したもので(だから児童書も入れてある)、宿題みたいにとってほしくない」とのことで、人気度だけでないちょっと意外なチョイスがある。 Amazon といえば初期は人間によるレコメンドもあったが、徐々に機械(データ)に置き換えられていったと理解している。このリストは人間の編集者が選んだものなのだろうか。 ざっと邦訳リストを作ってみた。順不同。 ジョージ・オーウェル『一九八四年』(asin:4151200533、asin:B009DEMC8W) スティーヴン・W. ホーキング『ホーキング、宇宙を語る―ビッグバンからブラックホールまで』(asin:4150501904)
A Club Called Rhonda - Michael Mendoza and David Arellanes Drag - John H Runway Entrance at the Paradise Garage - Paul McKee Disco Sucks - Diane White Robert Williams, Frankie Knuckles, Queen - Tasya Menaker Males at the Warehouse - Robert Williams Drag balls - Darrell Berry Terre Thaemlitz - Hannah Briley Sallys - Sallys Hideaway Jennifer Cardini - Gaetan Tracqui Johannesburg - Niko Knigge
一部で流行している「月経血コントロール」の話です。「月経血コントロール」とは、月経血を溜めておいて、トイレに言った時に出す、というもの。初めて聞く方にはえっ?できるの?という感じでしょうけど、実際やっているという方のお話もtwitterで聞きましたし、Amazonのレビューなどでも、How to本(あるんです!)のとおりにやったらできた!という感想が複数書き込まれていますので、できる人がいるのは間違いないようです。 月経血コントロールについては、「昔の女性は、みんな普通にできていた」とする言説が多く見られます。その根拠となっていると思われるのが、三砂ちづる著の「昔の女性はできていた」という書籍です*1。以下、「本書」宝島社文庫版「昔の女性はできていた」2008年第一刷を指すものとします。出典を別に記載しないかぎり、本書のページ数を指します。 インタビューの内容 本書は7章から成り、内容は色
私は「男性」だが、就活をしていたとき、一度だけパンプスを履いて街に出たことがある。というのも、私はトランスジェンダーで、戸籍上の性別が「女性」だからだ。 書類の性別にあわせた格好はどうしたらいいのか迷っていた。そのパンプスは割と大きめの百貨店で選んだ、その店では最も中性的でヒールの低い「パンプスもどき」だった。それでも婦人用靴のコーナーにいることが苦痛で、ゆっくり選ぶ心理的余裕がなかったためか、家に帰ってから眺めると、その靴はどんどん女性用の残念なデザインに見えてくる。あぁ……もはや、ため息しか出ない。 いざやってきた「Xデー」ならぬ最初の面接の日、意を決してその靴をはき、駅の改札にSuicaを当てようとして、思わず手がとまった。「え、おれ、こんな格好で電車に乗るの無理なんですけど……!」けっきょくスゴスゴと自宅へと引き返した。 二足目の「よりマシ」な靴を入手して、ようやく就活を再スタート
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