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ブックマーク / gendai.net (2)

  • プレイバック芸能スキャンダル史】(20)タモリの一言でブーム終焉となった「一杯のかけそば」 - ゲンダイネット

    <1988年12月> 昭和最後の年越しとなった88年末、ラジオが一の「実話童話」を放送した。この話が「涙なしでは聞けない」と評判を呼び、ついには社会現象になった。作者もマスコミの寵児(ちょうじ)となるが、過去を知る人に告発され、一転して疑惑の人に。 大晦日にFM東京は、「ゆく年くる年」の中で「一杯のかけそば」と題した童話を朗読で放送した。作者は民話の語り部活動を行っている栗良平(当時45)なる人物。 この作品は70年代初頭、2人の子供を連れた貧しい身なりの女性が、札幌のそば屋を訪ねるところから始まる。女性が頼んだのは150円の一杯のかけそば。店主は何も言わずに半玉をサービスし、親子3人はそのそばをおいしそうに分けてべた。こんな交流が毎年、大晦日に数年間続く。 ところが、ある年から3人はパタリと現れなくなった。店主はその後も、大晦日は彼らの席を予約席にして待ち続けたが……。そして

  • 暴力団というブラックホールに吸い込まれた紳助の運命 - ゲンダイネット

    島田紳助の引退騒動が暗示したのは暴力団は生産せず、消費する一方。ブラックホールのような存在だという一事である。 紳助は芸能界を引退したのだから、引退以降は芸能活動による収入がゼロになる。同時に過去の芸能活動とそれに伴う人気の相乗作用で蓄えた資産と、それを生かした何店もの飲店経営や、ビルなどの不動産投資も、同様に暴力団により消尽されていく——。 なぜこう断言できるかといえば、暴力団の内側は法治国家ではないからだ。内側に入った以上、法の保護を求めることはできない。紳助を守れるのは暴力だけだが、しかし彼は自前の暴力、つまり彼の命令に従う手兵、子分を持っていない。そのため紳助はライオンの群れに自ら身を投じたに等しい。 たとえば山口組3代目組長・田岡一雄の時代に小田秀臣という若頭補佐がいた。彼は大阪・鶴橋で金融業を営み、山口組の「金庫番」といわれていた。山口組が一和会を分派したとき、彼は心な

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