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socialとinsightに関するsaitokoichiのブックマーク (3)

  • 「たとえ敵であろうと、1つの命が失われたことを祝おうとは思わない」とキング牧師は言った……のか?:シロクマ日報:オルタナティブ・ブログ

    "I mourn the loss of thousands of precious lives, but I will not rejoice in the death of one, not even an enemy." - Martin Luther King 「何千もの尊い命が失われたことを嘆くが、1つの命が失われたことを祝おうとは思わない。たとえそれが敵の命であろうとも。」― マーティン・ルーサー・キング さすがキング牧師。良い言葉を遺してくれましたね。この言葉がウサマ・ビン・ラディンの死に歓喜する米国民を諫めるものとして、いま盛んにTwitter上でツイート/リツイートされています。たとえば以下のスクリーンショットは、先ほどGoogleリアルタイム検索でこの言葉を検索してみた結果です: 素晴らしい!ぜひ僕らも参加して、世界中に広めていかないと……という結論を下すのはちょっと待

    「たとえ敵であろうと、1つの命が失われたことを祝おうとは思わない」とキング牧師は言った……のか?:シロクマ日報:オルタナティブ・ブログ
  • フェースブックとたまごっちの区別がつかない落差ジャンキー - アンカテ

    ツイッターやフェースブックのマスメディアでの扱い方は、昔のたまごっちのようだ。つまり、単なる一過性のブームとして取りあげているように見える。 今日は「ちやほやの法則」について学びます。持ちあげといて落とされる。持ちあげられるほど....落差が大きい。 マスメディアは落差が無いと生きていけない、「落差ジャンキー」だと思う。 確かにネットでは、いろいろなブームが起こっては去っていく。だが、たまごっちと違い、ブームが去っていった後に世の中は少しだけ変わっている。つまり、こんなふうにブームが起きている。 しかし、「落差ジャンキー」は、落差、つまり短期的変動だけに注目するので、それがこんなふうに見えてしまう。 一方、ギークは短期的変動を無視して、長期的なトレンドに注目する。つまりギークたちには世の中はこんなふうに見えている。 これはネットを観察する上での基中の基だと思う。問題は、この縦軸が何かと

    フェースブックとたまごっちの区別がつかない落差ジャンキー - アンカテ
  • [徳力] 日本は、まだまだソーシャルメディアの影響力で米国と比較するには、ほど遠いのではなかろうか

    先週の15日にソーシャルメディアサミットを無事開催させて頂くことができました。 当日は大雪直後にも関わらず500名を超える方々にご参加頂き、当にありがとうございました。 主催者なのに、今頃感想記事を書くというぐうたらさ加減はお許し頂ければと思いますが、いろいろと当日の感想などをまとめていきたいと思います。 まず、今日書いておきたいのは、そもそもサミットを企画した背景と、一つ目のソーシャルメディア事業者セッションの感想。 以前に「ソーシャルメディアサミットでは、そもそもソーシャルメディアって何が今までと違うんだっけ?という根的な議論がしたいと思ってます。」という記事を書いたように、今回のソーシャルメディアで議論したかったのは、何故ソーシャルメディアが話題になるんだっけ?という話。 当日のスライドでも使ったように、実はソーシャルメディアという言葉は私も2006年に「最初に、CGMと呼ばずに

    [徳力] 日本は、まだまだソーシャルメディアの影響力で米国と比較するには、ほど遠いのではなかろうか
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