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ブックマーク / pikarrr.hatenadiary.org (5)

  • なぜ資本主義社会は未婚にむかうのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    恋のマジック 「恋愛は錯覚である」というとき、無数の人の中からなぜある一人に「感染」したのかということの理由がどこにも見いだせないことによる。恋をした理由は、「顔がタイプだから」、「スタイルがいいから」、「お金をもっていたから」などなど、語ることはできる。しかしこれらはいつも事後的であって、感染そのものを説明することはできない。 そしてまたこの説明できないということが、恋をすることの条件でもある。理想の条件を並べて、それを適合する相手を見つけだしても、恋をするとは限らない。むしろ恋をしないだろう。人々は談取られた出会いではなく、偶然的な出会いにこそ、感染するのだ。それこそが「恋のマジック」である。 貨幣と「彼女」の神秘 柄谷は「探求Ⅰ」で、コミュニケーションの神秘性を、ヴィトゲンシュタインの「教える−学ぶ」の関係、マルクスの「売る−買う」の関係を例に示したが、もっともわかりやすい例は、恋愛

    なぜ資本主義社会は未婚にむかうのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    sakstyle
    sakstyle 2007/01/24
    恋愛、命がけの飛躍、コミュニケーション(とその不可能性)
  • なぜネットはこれほど短期間で増殖しえたのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    現実界の二通りの意味 エディソンのフォノグラフ(蓄音機)がその溝に刻んでいたのはこの振動数以外のものではなかった。それにたいして音階や和音は、比率、つまり整数にたいする分数のことをいう。・・・十九世紀になってはじめて登場してきた周波数という概念は、・・・長さの比率のかわりに時間が独立変数となっている。それは音楽のメトロノームやリズムとなんの関係もない純粋に物理的な時間であり、人間の眼ではとうていとらえられない速度の動き、すなわち一秒あたり二十から一万六千という振動を数量化した時間なのである。つまりサンボリックなもの(象徴界)にかわってリアルなもの(現実界)がそこでは登場してきているのだ。 「グラモフォン・フィルム・タイプライター」 フリードリッヒ・キットラー P67 (ASIN:4480090347) 現実界のとらえ方には二通りあって、一つはカントの「ものそのもの」で、人の認識の外という意

    なぜネットはこれほど短期間で増殖しえたのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    sakstyle
    sakstyle 2006/12/09
    数量化とその残余/キットラーとジジェクの差異/科学技術という症候(サントーム)
  • なぜ世界は数学で記述できるのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    数量化の限界 「アキレスと亀パラドクス」*1が示すのは距離を分割することの限界です。たとえば椅子に座る私がベッドに向かうときに、その空間を無限に分割可能ならば、同様に私はベッドへ到着できません。距離が量的に分割可能なら、無限回分割することも可能であり、いつまでもその中に空間に閉じ込められてしまいます。 簡単には質を量に還元することの矛盾がここに表れていると言えます。分割とは同一性の反復であり、数量化というあくまで一つの不完全な認識方法であるということです。 では数量化は単なる人間の作りだした認識方法であり、「ものそのもの」とは対応していないのか。このようなパラドクスに反して、「なぜ世界は数学で記述できるのか」、という疑問があります。 反復可能性という力 ボクは数量化による客観化の力を、情報を縮減する力といいました。それによって高速伝達され、共有され、反復され、体系化され、客観化される。 数

    なぜ世界は数学で記述できるのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    sakstyle
    sakstyle 2006/12/09
    数量化は「物自体」と近似的なコミュニケイトが可能
  • なぜWeb2.0にとって信頼が重要なのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    数式→言語→シミュレーション 近代化におけるテクノロジーの方法論では、古典物理学で特徴的なように、現象を単純な法則に還元し、近似的な数式化することに基礎がある。 しかし数式への還元が困難な曖昧なものは、言語によって表現することになる。言語においても、論理実証主義などのように、還元主義化は進んだが、質的に言葉における表現は、曖昧故に有用な記述方法であるともいえる。 次にコンピューターの発展による繰り返し計算の高速化、低コスト化によって、より複雑な現象を、計算によってシミュレートできるようになった。たとえば気象や進化などの言語でしか記述できなかった複雑な現象も、ある簡易的なモデルにおいては、計算することが可能になっている。 ハードの発達と並行して、数式→言語→シミュレーションへの流れがあり、社会に様々な影響を与えている。 功利主義→構造主義(記号消費)→功利主義的統計学(マーケティング) た

    なぜWeb2.0にとって信頼が重要なのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    sakstyle
    sakstyle 2006/11/02
    記号消費→ナビゲート(マクドナルド、Amazon)→コミュニケーションと場の生成(SNS)/場の生成と場への信頼、というのは安富『複雑さを生きる』を想起させた
  • なぜ「デリダ的脱構築」は不可能なのか? - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    神話的暴力と神的暴力 「正義の門前:法のオートポイエーシスと脱構築」馬場靖雄 (http://www.thought.ne.jp/luhmann/baba/gj/gj00.html)を参照に、ベンヤミンの「暴力批判論」、デリダの「法の力」による暴力論を考える。 ベンヤミン「暴力批判論」では法の暴力を、「神話的暴力」と「神的暴力」に分けている。 ・神話的暴力・・・何らかの目的のために行使される暴力 法維持的暴力・・・現存の法秩序を再生産する 法措定的暴力・・・空白状態のなかから新たな秩序を立ち上げる ・神的暴力・・・何ものをも目的としない暴力 いっさいの領域で神話が神に対立するように、神話的な暴力には神的な暴力が対立する。しかもあらゆる点で対立する。神話的暴力が法を措定すれば、神的暴力は法を破壊する。前者が境界を設定すれば、後者は限界を認めない 「暴力批判論」 ベンヤミン 前者(神話的暴力)

    なぜ「デリダ的脱構築」は不可能なのか? - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
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