2023年2月9日のブックマーク (5件)

  • 第16章「二番目の質問」(14) - saleemのブログ

    二番目の質問 (14/終回) ( 意志の道は ちょうど自然療法のようなものだ −−− あなたは自分自身を 頼らなければならない。 手助けは ない ! 明け渡しの道は、それより もっと対症療法に近い −−− あなたは 薬を使うことができる ) それは こう考えればいい。 誰かが病気だったとする。 彼には 二つの要素がある −−− 内側での 前向きな健康の可能性と、偶発的 または 予期せぬ疾患や 病気だ。 自然療法は、直接 病気に関わりはない。 自然療法は、積極的な 健康の助長に関わる。 つまり、もっと健康になろう !  ということだ。 自然療法とは、積極的に 健康を増進させる という意味だ。 健康が増進されれば、病気は おのずから消え去る。 だから、あなたは直接 病気に関わる必要はない。 対症療法は、積極的な健康には まったく関わっていない。 対症療法は 病気に関わっている。 病気を破壊すれ

    第16章「二番目の質問」(14) - saleemのブログ
    saleem
    saleem 2023/02/09
    「明け渡しの道は 対症療法的であり 意志の道は 自然療法的だ だが、両方を 一緒にしては ならない さもないと、 あなたは もっと 病気になってしまうだろう」 OSHO
  • 第16章「二番目の質問」(13) - saleemのブログ

    二番目の質問 (13) ( だまされては いけない。 また、両方のやり方を結び付けて 実践すれば、自分にとって いいだろうと考えてはいけない −−− 駄目だ ) あらゆる システムとは、それ自体 パーフェクトだ。 だから、あなたが それを何か他のものと結び付けた瞬間、その有機的統一を 壊してしまう。 宗教の統合を ずっと語り続けている 大勢の者たちがいる −−− 無意味なことだ ! あらゆる宗教が 一つの完成品であり、有機的 統一体だ。 それは他のものと 結び付ける必要などない。 もし 結び付ければ、すべてを破壊することになる。 聖書、コーラン、ヴェーダは 類似しているかもしれない。 だが、それは表面的な類似だ。 深いところでは、それらが それぞれ 独自の有機的統一を 持っている。 だから、もし ある人が キリスト教徒だとしたら その人は 百パーセント キリスト教徒で あるべきだ。 もしあ

    第16章「二番目の質問」(13) - saleemのブログ
    saleem
    saleem 2023/02/09
    「 意志の道は ちょうど自然療法のようなものだ −−− あなたは自分自身を 頼らなければならない。 手助けは ない ! 明け渡しの道は、それより もっと対症療法に近い −−− あなたは 薬を使うことができる 」 OSHO
  • 第16章「二番目の質問」(12) - saleemのブログ

    二番目の質問 (12) ( マホメッドは、その理由のためだけに 音楽に 全面的に反対していた。 意志の道において、音楽は 邪魔になる ) あなたは 音楽の中に 我を忘れてしまう。 意志の道においては、どんな状況の中でも 自分を忘れてはならないし、自分を失ってはならない。 何かに 夢中になって自分を忘れる こととは逆に、意志の道においては、さらに さらに目覚めるために、さらにさらに注意力を増すために、さらにさらに意識的に なるために、さまざまな技法を 使う。 そして、 ひとつ覚えておくことは それらを 両方 同時にはできない ということだ。 もし あなたが 両方同時に やっているとすれば とてもひどい 混乱状態に 陥ることになる −−− そして、あなたの努力は 無駄になり、 また、あなたのエネルギーは 不必要に散逸してしまうだろう。 選ぶが いい。 そして 選んだら、それに固執して やってみ

    第16章「二番目の質問」(12) - saleemのブログ
    saleem
    saleem 2023/02/09
    「すべての近道は 詐欺だ。 だが、誰もが怠惰で、誰もが 何もしないで成果を 欲し、いろんな近道を 編み出している。 だが、 近道は 存在しない 」 OSHO
  • 第16章「二番目の質問」(11) - saleemのブログ

    二番目の質問 (11) ( 人は 選択しなければならない −−− そして、あらゆることは ただの方便だ ) 二、三日 前、何人か私の友人が やって来て こう言った、「人々は君のことを 神と言っているけど、なぜ それを受け入れるんだい ?」と。 私は 彼らに こう言った、 「そうすることは彼らの助けになる。 それは君たちの 知ったことではない」と。 彼らには私の言ったことが 理解できなかった。 彼らにとっては、あらゆることが 事実だからだ。 そうであるか、そうでないかの どちらかしか 彼らには 考えられない。 私にとっては、あらゆることが 一つの仕掛け、方便だ。 もし誰かが 私のところに 明け渡しにやってくるとしたら 彼には ある方便が必要だ。 もし誰かが 明け渡すために 私のところに来たのでなければ、その方便は 彼には無用だ。 彼には 意味がない。 だが、自分が 何で あるのか、自分が 何

    第16章「二番目の質問」(11) - saleemのブログ
    saleem
    saleem 2023/02/09
    意志か、 明け渡しか・・・意志の道においては、どんな状況の中でも 自分を忘れてはならないし、自分を失ってはならない。
  • 第16章「二番目の質問」(10) - saleemのブログ

    二番目の質問 (10) ( 疑う心が きっとその間に 湧いてくる −−− 自分は 気違いになってしまったのではないか とか、師が 自分のことを完全に忘れてしまっているのではないか とか。 おまけに、師は ほかの誰にも「待ちなさい !」とは 言っていなかった ) 十二年の間に、何千もの人々が やってきて、何か 師に質問し、それらの質問には 答えが与えられていた。 そういうことが、来る日も来る日も ずっと 絶え間なく 続いてきた。 男は 待った。 それは 全面的な 信頼だった。 そして ある日、 師は こう言った。 「 もう聞く必要は なかろう 」と。 すると ダン・ナンは「聞くことなど もうありません。 この十二年間、あなたは何という奇跡を 私になさったことでしょう ! 私を 見ることさえ しなかったのに。 何という奇跡か ! ヒントさえ 与えてくださらなかったのに !」と 言った。 明け渡

    第16章「二番目の質問」(10) - saleemのブログ
    saleem
    saleem 2023/02/09
    「明け渡し とは 全面的な信頼だ。 もし あなたが 全面的に信頼し、明け渡すことができれば、 何もする必要は ない。 もし そうできなければ、唯一残された道は 意志の道だ」 OSHO