2018年11月19日のブックマーク (8件)

  • 「netgeek」実態を関係者ら証言 誤報、炎上、マスコミ超える拡散力の舞台裏

    歪曲、誇張、裏付けなしの決めつけだらけで事実とかけ離れた「記事」が世界的に拡散している。いわゆるフェイクニュース問題。日も例外ではない。 国内でもそういった記事を掲載しているサイトが多数ある。その中でも記事が大量拡散しているのが「netgeek(ネットギーク)」だ。 2017年の衆議院選の際には、大手新聞社よりもnetgeekの記事の方がSNSで拡散していたことがBuzzFeed Japanの調査でわかった。 どうやって誤まった情報を拡散させているのか。netgeekは運営元などの情報を公開していないが、BuzzFeedは元スタッフら複数の関係者に取材し、内部資料を入手した。 連絡先も不明のメディアの選挙記事が大拡散netgeekのサイトには「2013年に開設された日初のバイラルメディア」とある。「バイラル」とはSNS上での情報拡散を意味する。 運営者は「netgeek編集部」とだけ書

    「netgeek」実態を関係者ら証言 誤報、炎上、マスコミ超える拡散力の舞台裏
    sampaguita
    sampaguita 2018/11/19
    "運営者情報を公開していないのは、スタッフの身の安全を守るとともに、自由な言論活動が萎縮されないようにするためだ" / しょっちゅう既存のメディアを攻撃している人が同じ口で言っていると思うと味わい深い。
  • Expired

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    Expired
    sampaguita
    sampaguita 2018/11/19
    "「身に覚えがない」と容疑を否認" "同署によると、現場近くの防犯カメラの映像や現場に残された遺留物から"
  • 1年前に消息絶った潜水艦を発見 アルゼンチン沖 | NHKニュース

    およそ1年前、44人を乗せて大西洋を航行中に消息を絶った南米アルゼンチン海軍の潜水艦が、アルゼンチンの沖合で発見されました。生存者はいないとみられ、政府は、今後、引き揚げられるかどうか検討することにしています。 その後、何も手がかりがないまま1年が過ぎましたが、17日、アルゼンチン海軍は、「サンフアン」が発見されたと発表しました。 それによりますと、捜索を依頼していたアメリカの海底探査企業が、アルゼンチンのバルデス半島の沖合、水深800メートルの海中で発見したということです。生存者はいないとみられます。 乗組員の家族らの間ではアルゼンチンの政府や海軍に対するいらだちの声が強まっていただけに、政府は、今後、「サンフアン」を引き揚げられるかどうか検討することにしています。

    1年前に消息絶った潜水艦を発見 アルゼンチン沖 | NHKニュース
    sampaguita
    sampaguita 2018/11/19
    "捜索を依頼していたアメリカの海底探査企業が、アルゼンチンのバルデス半島の沖合、水深800メートルの海中で発見"
  • 安土桃山時代 キリシタンが描いた絵か「受胎告知」など墨で | NHKニュース

    にキリスト教が伝わって間もない安土桃山時代に日人の信徒、キリシタンが描いたとみられる宗教画が見つかりました。聖書のさまざまな場面が和紙に墨で描かれているほか、ラテン語の祈りの言葉も添えられていて、専門家は最も初期の信仰の様子を知る重要な発見だとしています。 和紙をつなぎ合わせた幅22センチ、長さ3メートル余りの巻物で、「受胎告知」や「聖霊の降臨」など、キリストと聖母マリアの生涯の15の場面が墨絵で描かれています。 かな文字で書かれた文章もあり、分析した結果、「聖体秘蹟の連とう」と呼ばれるラテン語の祈りの言葉を耳で聞き取って書き起こしたものと分かりました。 巻末には安土桃山時代にあたる「千五百九十二年」と書かれていて、和紙の成分の分析からも16世紀後半から17世紀前半のものと分かり、この年に描かれた可能性が高いということです。 この年はキリスト教が伝わってから40年しかたっておらず、日

    安土桃山時代 キリシタンが描いた絵か「受胎告知」など墨で | NHKニュース
    sampaguita
    sampaguita 2018/11/19
    "聖書のさまざまな場面が和紙に墨で描かれているほか、ラテン語の祈りの言葉も添えられていて"
  • 「本能寺の変」後の柴田勝家直筆の書状見つかる | NHKニュース

    明智光秀が織田信長を討った「能寺の変」の8日後に、信長の重臣として知られる柴田勝家が織田方に宛てた直筆の書状が新潟県新発田市で見つかりました。光秀の討伐に出遅れた勝家が、当時、京都から大阪に展開していた光秀の居場所を正確に把握できていなかったことがうかがえる内容で、専門家は「能寺の変直後の勝家の情報収集の水準がわかる貴重な記録だ」と指摘しています。 郷土史に詳しい新潟大学の冨澤信明名誉教授が新発田市の溝口家に残る歴史資料の中から見つけました。 書状の冒頭には、「天下の形勢は致し方ないことで言語に絶するばかりだ」と、能寺の変について勝家の驚きのことばが記されています。そして明智光秀が、拠点としていた江州、今の滋賀県にいるとみて、当時の大坂にいた織田方の重臣、丹羽長秀と連携して光秀を討伐する計画を明らかにしています。 調査にあたった専門家によると、能寺の変のあと勝家が光秀の居場所に言及

    「本能寺の変」後の柴田勝家直筆の書状見つかる | NHKニュース
    sampaguita
    sampaguita 2018/11/19
    "柴田勝家が、織田方の武将、溝口半左衛門に宛てて書いたもの" "新発田市の溝口家に残る歴史資料の中から"
  • 信長の屋敷か 小牧山城で発見 歴史ロマンに600人が熱視線 | NHKニュース

    戦国時代に織田信長が築いた愛知県の小牧山城で、小牧市が発掘調査を行った結果、信長が住んでいたとみられる屋敷の一部が見つかり、18日の現地説明会には、全国から大勢の歴史ファンが集まりました。 18日に開かれた現地説明会には、全国から歴史ファンら約600人が参加しました。 市の発掘調査の結果、初めて発見された屋敷とみられる建物跡から高級な茶器などが見つかったことや、格式が高い建物にしか使われない小さな丸い石が周囲に敷かれていることが分かり、この建物が、城主・信長が生活のために構えた可能性があることが報告されました。 このあと参加者は発掘現場を見学し、土に埋まった茶器などの写真を撮ったり興味深そうにのぞき込んだりしていました。 愛知県北名古屋市から訪れた73歳男性は「ふだん散歩でよく来る場所に信長が住んでいたと思うとロマンがあります。ここでどんな生活をしていたのか、もっと知りたいです」と話してい

    信長の屋敷か 小牧山城で発見 歴史ロマンに600人が熱視線 | NHKニュース
    sampaguita
    sampaguita 2018/11/19
    "小牧山城は、尾張を平定した織田信長が1563年に築城し、岐阜城に移るまで4年間にわたって軍事拠点と"
  • 東京五輪:「都市の鉱脈」メダルに 携帯電話など再生進む | 毎日新聞

    メダルの製造に使う貴金属を回収するため、集められ山積みになった携帯電話=石川県内で2018年11月8日、手塚耕一郎撮影 2020年東京五輪・パラリンピックのメダルを、使用済みの携帯電話や小型家電に含まれる貴金属から製造するプロジェクトが急ピッチで進んでいる。五輪のメダルを全て再生金属で作るのは初めて。 石川県内にあるNTTドコモ関連会社の工場では、携帯電話やデジタルカメラ、家庭用ゲーム機などから貴金属を含む基板が手…

    東京五輪:「都市の鉱脈」メダルに 携帯電話など再生進む | 毎日新聞
    sampaguita
    sampaguita 2018/11/19
    "8月までに集まった携帯電話約459万台、小型家電3万8579トンから、銅は目標の2700キロを回収" / あとの分の処理も大変そうだなぁと思ってしまった。
  • 核兵器廃絶 張本勲さん姉、80歳が署名集め 広島で被爆

    被爆体験を聞いた子供たちから寄せられた感想文を手に笑顔を見せる小林愛子さん=兵庫県加古川市で2018年11月12日午後3時57分、幸長由子撮影 野球評論家の張勲さん(78)の姉で、広島で被爆した小林愛子さん(80)=兵庫県加古川市=が今年5月から9月にかけ、核兵器廃絶を訴える署名をひとりで908筆集めた。署名を兵庫県被団協に託したことを電話で聞き、張さんはこう伝えた。「お姉ちゃん、あっぱれや」。原爆の話題をきょうだいで話したのは、被爆後初めてだったという。 被爆当時5歳だった張さんと7歳の小林さんは、母親と広島市の自宅にいた。当時、兄ともう一人の姉は勤労奉仕で外出中。ピカッという光とともに外が真っ赤に見え、ドーンという音とともに家が崩れ落ちた。母親がとっさに張さんと小林さんに覆いかぶさった。母の体には窓のガラス片がささり、母親の血で張さんと小林さんのシャツは真っ赤に染まった。小林

    核兵器廃絶 張本勲さん姉、80歳が署名集め 広島で被爆
    sampaguita
    sampaguita 2018/11/19
    "被爆当時5歳だった張本さんと7歳の小林さんは、母親と広島市の自宅にいた" "「あまりにつらい思い出だったから」家族で被爆体験を話したことはなかった"