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歴史に関するsamuraidaishouのブックマーク (69)

  • 昭和農業恐慌 | 大正・昭和10000日の追憶

    小作制度と貧農 明治時代となり江戸時代の封建的な制度が次々と改廃されていった。 そんな中、農村においては江戸時代以前から続く小作制度が継続し、半封建的な支配関係が続いていた。 小作制度とは、農民が土地の所有者である地主から農地を借りて耕作する代わりに、年貢として小作料を収めたり、小作料の代わりに農奴のように働いたりする制度である。 小作制度が継続されただけでなく、明治政府は地租改正によって農民の負担を重くした。 その為、土地を手放して小作人に零落する農民が続出し、全耕地の約4割が小作地となり、地主制が確立された。 小作制度の問題点はその小作人の地主への従属関係を築いたところにある。 小作農はあくまで地主と小作人の契約であり、法律上は両者は対等な関係にある。 しかし、労働者であれば条件が合わなければ職場も住む場所すら変えられるが、小作人はその労働が土地に縛られる為に、どうしても特定の地主との

  • 真珠湾攻撃で戦死、「2階級特進」から漏れた6人の真実 史実追求の先にあったもの

    1941(昭和16)年12月8日のハワイ・真珠湾攻撃で戦死認定された航空兵55人には、冷徹なまでの「死後の選別」があった--。79年前のきょう、太平洋戦争の戦端を開いた戦果を受け、攻撃に加わって亡くなった彼らに対し、軍部は異例の「2階級特進」を適用した。だが、この処遇から6人だけが除かれ、1階級の進級にとどまっていたことが分かった。敵前逃亡など、あからさまな咎(とが)があったわけではない。同じ作戦に基づいて、同じ戦闘に、同じ航空部隊から参加して命を落とした兵士に、なぜ明確な格差が生じたのか。(小川 晶) 神戸新聞社の神戸社11階、文化部フロアの片隅に、年季の入った1台のコンピューターがある。1990年代のデスクトップパソコンのような、厚みのある外観。社内では「マイクロフィルム」の名で通る。過去の新聞記事が焼き付けられたフィルムを、コマ送りで見ることができる装置だ。 航空機事故を取材する新

  • ノモンハン 大戦の起点と終止符 - プレミアムA:朝日新聞デジタル

    東アジア、モンゴル東部に広がる草原。かつてそこで日軍が旧ソ連の機械化部隊と衝突し、壊滅的な被害を受けた。その紛争は、日では地名から〝ノモンハン事件〟と呼ばれている。 線引きが不明瞭だった国境をめぐるこの戦いが、ユーラシア大陸の東西両端を図らずも連動させ、1939年9月1日の第2次世界大戦の勃発へとつながった──。欧米の歴史家が近年こう評する事件を、いま一度ひもとく。

    ノモンハン 大戦の起点と終止符 - プレミアムA:朝日新聞デジタル
  • ドキッ! 死体だらけの平安京! ポロリもあるよ! ―命の重さの日本史― - バッタもん日記

    はじめに 私はノーテンキな進歩主義者です。人類は少しずつ、一進一退を繰り返しながらも精神面で進歩し続けていると固く信じています。その根拠の一つは、街中で歩きたばこや立小便や痰吐きなどの下品な行為を見かけることが減った、というような日常の些細な感覚です。そして最大の根拠は、「命が大事にされるようになったこと」です。具体的に数値で見ると、日における殺人事件は減り続けています。 参考:平成12年版 警察白書 平成29年版 犯罪白書 日人は長い年月を経て、命を大事にするようになりました。言い換えれば、昔の日人は命を大事にしない蛮族であったということです。平然と殺し合いをしていました。歴史家の言葉を引用します。 光源氏が王朝時代の貴公子の理想像であることについて、これまでのところ、その優れた容姿や豊かな才能などが取り沙汰されるのが普通であった。だが、実のところは、理不尽な暴力事件を起こさないと

    ドキッ! 死体だらけの平安京! ポロリもあるよ! ―命の重さの日本史― - バッタもん日記
  • 【保存版】世界史に影響を及ぼした人物ランキングベスト100【世界史入門】~歴史が苦手な人にこそ読んで欲しい~ - 俺の世界史ブログ!~世界の歴史とハードボイルドワンダーランド~

    俺は世界史の面白さをもっと世に広めたいと思っている。 そう思って始めた「俺の世界史ブログ」だが、このブログのあらゆる方面からのトップ10記事に世界史の記事が並んだことはほとんどない。 上位に並ぶのはこのブログの看板と言ってもよい「ベスト100シリーズ」の記事であったり、日の現状に物申す系の記事だったりする。 www.myworldhistoryblog.com www.myworldhistoryblog.com www.myworldhistoryblog.com これはこれでありがたいことなのであるが、やはり世界史ブログたるもの世界史記事をメインにしたいという思いがある。 そしてこのブログのキャッチコピーが「世界史を面白く」なので、できるだけ面白く読めるようにしたい。 そんな想いもあり、今回は当ブログ初の世界史をテーマにベスト100シリーズを作成することにした。 実際に作ってみるとあ

    【保存版】世界史に影響を及ぼした人物ランキングベスト100【世界史入門】~歴史が苦手な人にこそ読んで欲しい~ - 俺の世界史ブログ!~世界の歴史とハードボイルドワンダーランド~
    samuraidaishou
    samuraidaishou 2019/07/21
    レオナルド・ダ・ビンチはいないのか
  • 朝鮮人虐殺:「これを悔いざる国民は禍(わざわい)である」 - 読む・考える・書く

    東大震災時の朝鮮人虐殺を否定するトンデモ『朝鮮人虐殺はなかった』(加藤康男著)は、流言蜚語をそのまま紙面に載せてしまった当時のデタラメな新聞記事などを根拠に、朝鮮人が暴動を起こしたのは事実であり、自警団などが殺したのはテロリストだったのだと決めつけている。[1] 自警団の「覚悟」 ここまでさまざまな経緯を見てきたことで、朝鮮人の襲撃事件が決して「流言蜚語」などという絵空事ではなく、実際に襲撃があったからこそ住民と自警団が自衛的に彼らを排除したのだということが理解されると思う。 今日、流通している関東大震災関係の専門書の大部分は「流言蜚語のために自警団等が朝鮮人を虐殺した」という前提に立って書かれている。 何もしない朝鮮人と見られる男が歩いて来たとしよう。 町内壊滅の騒乱状態にあったとしても、町内会、自警団、青年団員がその朝鮮人をいきなり殺すなどという行為ができるものだろうか。何もしない

    朝鮮人虐殺:「これを悔いざる国民は禍(わざわい)である」 - 読む・考える・書く
  • 「愚将」牟田口廉也中将の遊興逸話の真偽(dragoner) - 個人 - Yahoo!ニュース

    歴史上の人物の評価というものは難しい。新たな史料の発見や再解釈、研究の進展によって、従来の見方が大きく変わることもある。かつて「革命児」「破壊者」と呼ばれた織田信長が、実は保守的な人物であったという近年の再評価は、その最たるものだろう。 星海社から7月に刊行された広中一成『牟田口廉也 「愚将」はいかにして生み出されたか』(星海社新書)もそうした再評価の試みの一つかもしれない。盧溝橋事件で日中の戦端を開き、太平洋戦争で日陸軍史上最悪の作戦とも言われたインパール作戦を主導した牟田口は、「愚将」といった評価がつきまとう人物だ。書で著者の広中氏は、牟田口個人への攻撃に帰せられがちなインパール作戦について、牟田口個人の軍歴や日陸軍の置かれた環境を辿り、牟田口個人でなく「愚将」を生んだ日陸軍という組織の問題を、牟田口個人の評伝という形で明らかにしようとしている。 『牟田口廉也「愚将」はいかにし

    「愚将」牟田口廉也中将の遊興逸話の真偽(dragoner) - 個人 - Yahoo!ニュース
    samuraidaishou
    samuraidaishou 2018/11/11
    さすがのdragoner氏
  • 日本軍政下でのインドネシア独立準備の過程 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    決断と行動が遅い日、急ぐインドネシア インドネシアは太平洋戦争の日敗戦のわずか2日後、1945年8月17日に独立宣言を発表しました。 その後植民地再獲得を目論むオランダとの戦争、地方勢力や共産ゲリラとの内戦を経て、連邦共和国として独立を果たしたのは1948年のことです。 スカルノやハッタといった独立運動家を中心に組織的に独立戦争を戦い抜けたのは、日軍政下で独立に向けた準備をおおよそ終えていたからなのですが、日がこれに積極的に協力したからということではなさそうです。 インドネシア側の粘り強い交渉と努力により、腰の重い日を動かし、時には無視する形で独立準備を進めていったのでした。 1. インドネシアの帝国編入論 日軍のプロパガンダ 日軍はオランダ領東インド(後のインドネシア)に侵攻するにあたって、 「日はインドネシアをオランダの圧政から解放するためにやってきた」 という内容の宣

    日本軍政下でのインドネシア独立準備の過程 - 歴ログ -世界史専門ブログ-
  • 朝ドラ「まんぷく」の拷問シーンに「憲兵が気の毒」などと噴き上がるウヨさんたちの脳内ファンタジー - 読む・考える・書く

    この10月から始まったNHKの連続テレビ小説「まんぷく」で、主人公福子の恋人立花萬平が憲兵隊に拷問されるシーンが酷すぎるとウヨさんたちが噴き上がっている。 だが、立花萬平のモデルである日清品の創業者安藤百福が憲兵隊に拷問されたのは、自伝にも書かれている実話である。[1] 国から支給された物資を横流ししている人間がいるというので警察に相談したら、私が憲兵に取り調べを受ける羽目になってしまった。憲兵のK伍長と、横流しした者とが裏でつながっていたらしい。そのことに、後になるまで気が付かなかった。 「よく考えておけ」と放り込まれた留置場には6、7人の男たちが肩を寄せ合っていた。おたがい体を伸ばして寝られないほどの狭さだった。我が家との差は身にこたえた。私に対する暴行も、いつ果てるともなく続いた。 いつの間にか、私を犯人にした自白調書が作られ、判を押せと強要された。罪を認めれば、この責め苦からは解

    朝ドラ「まんぷく」の拷問シーンに「憲兵が気の毒」などと噴き上がるウヨさんたちの脳内ファンタジー - 読む・考える・書く
  • 広中一成氏の「牟田口廉也の宴会エピソード」否定論について: 読書放浪記録

    星海社新書から『牟田口廉也 「愚将」はいかにして生み出されたのか』を刊行された広中一成氏が、ジセダイ総研というサイトで、「牟田口廉也「愚将」逸話の検証 伝単と前線将兵」という記事を発表されている(以下、「広中記事」と呼ぶ)。その中で広中氏は、「牟田口中将がインパール作戦中に連日宴会を開いていた」とのエピソードに関して、「宴会逸話の初出は高木俊朗の著作か」などとして、その信憑性に疑問を呈されている。 この広中氏の見解が妥当なものかどうか、検証してみたい。 なお、「軍人が宴会に興じていた」などという事実は、公文書に記録されるような性質の話ではないし、当事者が日記などに記録したがる事柄でもない。公的史料や当事者の記録だけに頼って立論しようとすれば、「そのような事実は発見できなかった」という結論に至ることは極めて当然であり、事実関係を明らかにするためには、当事者の周囲にいた人々の証言に当たることが

  • 10万人死亡「東京大空襲」の翌朝、政府が何と言ったかご存じですか(大前 治) @gendai_biz

    頻発する空襲を経てもなお「空襲は怖くない。逃げずに火を消せ」と言い続けた日政府(前回記事を参照)。この方針は、一挙に大規模となった東京大空襲の被害を目の当たりにしても、変更されなかった。 一度始まった政府方針は、簡単には修正されない。それでも、当時の政府方針に立ち向かおうとした議員がいた。その渾身の言葉に耳を傾けて、いま私たちはどう生きるべきか考える糧にしたい。 10万人が死亡しても「空襲を恐れるな」 1945年(昭和20年)3月10日の深夜0時08分、約300機のB29爆撃機が東京上空に飛来し、約2時間で33万発以上の焼夷弾を投下した。「東京大空襲」である。 現在の江東区・墨田区・台東区を中心に、千代田区や江戸川区も含む広範囲が焼け野原となった。一夜で10万人が死亡し、罹災家屋は27万戸にのぼった。 この大惨事を受けて、さすがの日政府も「逃げずに火を消せ」の方針を変更するかと思いきや

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  • あの夏、僕は母と妹を殺した。70年間、語ることのできなかった戦争の記憶

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  • あの戦争に「負けたけど勝ったんだ論」の罪深さ(古谷経衡) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    ・「負けたけど勝ったんだ論」とは何か 8月15日。72年目の敗戦の日である。戦後の右派、保守派を「支える」あの戦争に対する戦争観の主流に「負けたけど勝ったんだ論」というのがある。これは私が勝手に名付けたものだが、要するにこの「論」とは次のようなものだ。 「太平洋戦争(右派は大東亜戦争と呼ぶ)は、軍事的にはアメリカに敗北した。が、アジア解放という戦争大義は正しいものであり、実際に戦後、欧米の植民地であったアジア各国の独立の切っ掛けを作ったのは日だったのである。よって日戦争には敗れたが、結果的には戦争目的を達成したのだから、これは戦争に勝利したと同じなのである」 というものである。繰り返すように私はこれを「負けたけど勝ったんだ論」と呼ぶ。この理屈は、90年代後半に大ベストセラーになった小林よしのり氏の『戦争論』にも通底して色濃く反映され、その後のネット右翼の世界観にも大きな影響を与えてい

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  • シンガポール人は本当に親日なのか?〜シンガポール人の立場から - Minako Amamiya

    台湾やシンガポールって、親日だよね」 「それに比べて中国韓国は日を嫌いすぎだよね」 こんなセリフを、ちょこちょこと聞くことがあります。 確かにテレビのニュースで目にすることのある、中国韓国での反日デモ。個人レベルでは仲良くなれるけれど、やっぱり政治のレベルでは壁のあるように感じることがある印象です。 では、台湾やシンガポールは当に親日なのでしょうか? 初めてこのブログを読む方のために説明しておくと、私はシンガポール出身の日とのダブル(ハーフ)です。父は日人、母は中華系シンガポール人。 平成2年、1990年生まれの20代後半の若者(そろそろ厳しいかな……)です。 シンガポール、日のどちらにも住んだ経験を持ち、なおかつどちらの国の人間としても振舞って来ました。2国で教育を受けた経験があり、それぞれに多くの友人がいます。 さて、シンガポール生まれの私がその上で、答えます。 「シン

    シンガポール人は本当に親日なのか?〜シンガポール人の立場から - Minako Amamiya
  • カラー化された『この世界の片隅に』の世界

    渡邉英徳 wtnv @hwtnv Hidenori Watanave / Visualization & Information Design / Digital Archives / OSINT / 「記憶の解凍」/ Professor at University of Tokyo / 東京大学 大学院情報学環 教授 labo.wtnv.jp

    カラー化された『この世界の片隅に』の世界
  • 小野田さん帰国 42年後の真実|NHK NEWS WEB

    太平洋戦争の終結を知らないまま、30年近くフィリピンのジャングルに潜伏を続けた旧日陸軍の元少尉、小野田寛郎さん。1974年、小野田さんが日に帰国したときは、日中が沸き立ちました。 小野田さんの帰国を巡って、日とフィリピン政府との間で極秘の交渉が行われていたことが、外交文書から新たに分かりました。さらに、この交渉を経てフィリピン側に支払われた3億円の資金を巡って知られざる事実が浮かび上がってきました。(国際放送局 照井隆文記者、広島放送局 関根尚哉記者) 残留日兵 小野田寛郎さん 7月23日、日とフィリピンは、国交正常化から60年を迎えました。太平洋戦争末期、最も過酷な戦場の1つとなったフィリピン。日人50万人余りが死亡、100万人を超すフィリピン人が犠牲になったと言われています。 当時22歳だった小野田寛郎少尉は戦争が終わったことを信じず、3人の仲間とともに、フィリピンのジ

    小野田さん帰国 42年後の真実|NHK NEWS WEB
  • すべての時代の道が残る「宇津ノ谷峠」が凄い

    静岡県静岡市と藤枝市の境に「宇津ノ谷(うつのや)峠」が存在する。 かつての主要街道である旧東海道にあたり、現在は国道一号線が通るその山塊には、古代から中世、近世、明治、戦前、戦後、平成に築かれた各時代の道がすべて残っているのである。 古い道というのはその後の時代に上書きされてしまいがちだ。各時代の道が今もなお全部現存するって、ちょっと、いやかなり凄いことなんですよ。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:思い出の狭隘トンネルを探しに伊勢志摩へ > 個人サイト 閑古鳥旅行Twitter とにもかくにも、まずは下の

    すべての時代の道が残る「宇津ノ谷峠」が凄い
    samuraidaishou
    samuraidaishou 2016/07/06
    いいね
  • 真田丸で描かれた「名胡桃城事件」と実際の顛末

    丸島和洋 @kazumaru_cf 録丸視聴終えました。僕は半沢直樹もリーガルハイも見たことが無いので、「古畑源次郎 『喋りすぎた男』」という感じで台を読んでいました(苦笑) 2016-06-05 21:45:54 丸島和洋 @kazumaru_cf 今回出てきた「手柄次第」という言葉は、秀吉が北条に沼田領裁定をやるから詳しい人物を上洛させよと命じ、板場岡江雪斎が上洛。豊臣政権が証文類を吟味した結果、同盟約条には「手柄次第」とあったという秀吉朱印状に基づくものです。 2016-06-05 21:49:27

    真田丸で描かれた「名胡桃城事件」と実際の顛末
    samuraidaishou
    samuraidaishou 2016/06/06
    名胡桃城は単純に奪い取ったものではなかったのね。
  • Text of President Obama’s Speech in Hiroshima, Japan (Published 2016)

    President Obama spoke after a wreath-laying ceremony with Prime Minister Shinzo Abe of Japan at the Hiroshima Peace Memorial on Friday.Credit...Doug Mills/The New York Times The following is a transcript of President Obama’s speech in Hiroshima, Japan, as recorded by The New York Times. Seventy-one years ago, on a bright cloudless morning, death fell from the sky and the world was changed. A flash

    Text of President Obama’s Speech in Hiroshima, Japan (Published 2016)
  • 井上和彦氏「日本が戦ってくれて感謝しています」をシンガポールで検証する - 今日もシンガポールまみれ

    ファクトチェックです。 産経などで時折取り上げられている軍事ジャーナリストに井上和彦氏という方がいます。「日が戦ってくれて感謝しています」という太平洋戦争に関する彼のネットや書籍での主張が妥当か、私が居住するシンガポールに関する記述を検証します。検証基準は下記です。 記述の事象は正確か (ファクトチェック) 記述の全体の位置づけが妥当か (例外や少数事象には注釈をつけるなど、一般的であるような誤解を避けているか) 記述の事象が正確かどうかや全体の位置づけの評価は、シンガポール教科書を含むシンガポール政府の記述を根拠とします。シンガポール政府の史実認識や解釈に異議があるかもしれませんが、今回の記事の視点は「シンガポール"が"、日が戦ったことに感謝しているか」だからです。 井上和彦氏による、以下の3つの記事のシンガポールの記述を評価対象にします。 zakzak by 夕刊フジ: 【戦後70

    井上和彦氏「日本が戦ってくれて感謝しています」をシンガポールで検証する - 今日もシンガポールまみれ