吾輩は猫ではある 「吾輩は猫である」という日本人なら誰もが知る有名な作品タイトルがあります。 もしこの作品が「吾輩は猫だ」というタイトルだったとしたら、ここまで国民的知名度を得ることが、果たしてできていたでしょうか。 「吾輩は猫だ」という文は名詞述語文であり、「吾輩は猫である」という文は動詞述語文になります。 「吾輩は猫だ」なんていう強く断定した言い方ではなく、「吾輩は猫ではある」と、「ある」という動詞を用いることで、ぼやかすような表現を用いり、「吾輩」のことなのに主観的にではなく、あえて客観的なニュアンスを醸し出す。 猫を擬人化させるというタイトル表現を、あくまでも自然に成功させている感じがするんですね。 「猫(ではある)」「猫(ではない)」に使われている(ではある)(ではない)というこのふたつの言い方は、日本語で判断を下すときに、肯定否定の典型的な表現方法となっているんです。 なぜなら
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