ブックマーク / reki.hatenablog.com (50)

  • 世界史の中の北海道史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    「世界史の中での北海道」という視点 北海道はご存知の通り、アイヌ民族の居住地でありましたが、近代以降幕府や政府が経済開発を進める中でアイヌ民族は日人の支配下に組み込まれ政治的にも経済的にも抑圧されてきた歴史があります。 そのアイヌ民族はアイヌ民族という枠組みで自分達を認識するようになるのは日北海道進出の影響が大きく、来はいくつもの集団に別れ文化や言語も種類がありました。 また樺太や千島列島にも同族がいたり、大陸の狩猟採集民とも文化的な類似性を持つなど、独自の北東アジアのネットワークを有していました。 ※記事の末尾にCodocの「投げ銭」機能を入れています。この記事が面白いと思ったら投げ銭いただけると嬉しいです。 1.北東アジアの民族集団ネットワーク 日土では縄文時代は紀元前10世紀くらいまで続き、大陸からの渡来民とともに稲作が入ってきて、西日から徐々に定着し弥生時代に突入して

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    sateso350 2023/10/16
  • 馬から落ちて死んだ世界史の国王15人 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    多くの人の命を奪った落馬事故 現代の交通事故に類する事故が、昔では落馬事故にあたったのかもしれません。 不注意や追突、飲酒運転などもあったでしょうし、今の自動車にはない「馬の機嫌」というものもあったので、自動車よりもよっぽど危険です。 落馬で死んでる人は歴史上数限りなくいますが、今回は国王を15人リストアップします。事前に申し上げますが、この15人だけというわけではなく、もっともっとたくさんいます。独断と偏見で15人に絞らせていただいています。 1. ルイ3世(865-882) 女の子を追いかけて落馬 ルイ3世はカロリング家出身の西フランク王国の王で、弟のカルロマン2世と共同統治を行いました。彼の治世は879年から882年とわずか3年しかないのですが、881年8月に北のヴァイキングを倒すなど、軍事的な成功があります。 ルイ3世は882年、17歳のときに、領地のサン=ドニで馬に乗って少女を追

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    sateso350 2022/08/04
  • 「反穀物の人類史」書評 - やっぱ国家ってロクなもんじゃねえな - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    世界史を見る視点が大きく変わる壮大な文明論 「反穀物の人類史――国家誕生のディープヒストリー」ジェームズ・C・スコット著(みすず書房)を読みました。 紀元前4000年から紀元前2000年の時期に、我々の祖先が作り上げた「国家」という仕組みがどのように成立したか、その中で穀物がどのような役割を果たしたかを、考古学・人類学のファクトを元にし壮大で大胆な仮説が提示されています。 その中で国家が民を支配していく中で、税が課され、兵役や労役が課され、疫病が流行り、ロクなもんはえず、人間が自分たちをどんどん不幸な方向に追い込んでいく様が描かれます。 賛否はあると思いますが、「何だ、やっぱ国家ってロクなもんじゃねえな」という感想を持つ人もいるかもしれません。 1. なぜ国家は生まれたのか 書の筆者ジェームズ・C・スコットはイェール大学の人類学者・政治学者。東南アジアをフィールドとし、地主や国家の権力

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    sateso350 2020/05/05
  • 古代の人々が夢中になった7つのボードゲーム - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    古代から人々の暇を潰してきたボードゲーム ボードゲームの人気がずっと続いてますね。 ちょっと前までは、ボードゲームといえば、伝統的な将棋や碁、麻雀、チェス以外には、オセロ、ドンジャラ、人生ゲーム、モノポリーくらしかありませんでした。 今や、海外製のユニークなボードゲームがたくさん入ってきて、子ども向けの分かりやすいものから、大人が眉間にしわ寄せて考える戦略的なものまで様々あります。 ボードゲームは古代から様々な種類があり、碁やチェス、バッグギャモンのように古代に生まれて現代まで遊ばれ続けているものもあります。 今回はあまり日では知られていない古代のボードゲームを紹介しようと思います。 1. セネト(古代エジプト) 世界最古のボードゲーム セネトは古代エジプトで人気のあったボードゲームで、その歴史は紀元前3100年ごろとも言われるエジプト第一王朝にまで遡ります。エジプトではかなり普及してい

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    sateso350 2020/04/28
  • なぜアップルパイはアメリカを象徴するお菓子になったのか - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    アメリカ人の愛国心を熱くする甘いリンゴのお菓子 1902年、ニューヨーク・タイムズ紙に以下のような文章が掲載されました。 (アップル)パイは我が国の強さと優れた産業創設、我が国の繁栄の秘訣である。英雄のべ物である。わないヤツは永久に負け犬である。 Pie is...the secret of our strength as a nation and the foundation of our industrial supremacy. Pie is the American synonym of prosperity. Pie is the food of the heroic. No pie-eating people can be permanently vanquished. かなり強烈な文章ですが、アメリカ人の愛国心と素朴な感情をよく言い表しています。 アップルパイを上手に焼け

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    sateso350 2019/10/08
  • 近現代ラテン・アメリカの国家間戦争(前編) - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    アメリカ大陸でこれまで起こってきた戦争をまとめてみます 歴史の授業ではあまり習いませんが、ラテン・アメリカ諸国は結構国家間でドンパチやってます。 スペインとポルトガルから独立した直後もそうですが、南米諸国同士の領土争いもずっと激しかったし、20世紀は後半に入ってからも戦争がありました。特に南米を自分の裏庭とするアメリカ合衆国の軍事介入や、植民地時代の残滓の回復しようという動きから戦争が起きたりしています。 今回は前後編で、19世紀〜20世紀のラテン・アメリカの国家間戦争をまとめてみます。 内戦を含めるともっと多いのですが、あくまで「国家間」の戦争のみに絞っています。 1. スペインのヌエバ・グラナダ再征服 英雄シモン・ボリバル失意の敗戦 ヌエバ・グレナダは現在のコロンビア、パナマ、エクアドル、ベネズエラを含む地域で、カリブ海で活動するイギリスからの防衛を目的にペルー副王領から切り離され、

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    sateso350 2019/08/27
  • 【太平洋戦争】ポツダム宣言受諾後も降伏しなかった日本兵 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    太平洋戦争が終結した後もジャングルに残った残留日兵 残留日兵と聞いて、パッと思い浮かべるのはおそらく、28年間グアムに居残った横井庄一さんと、29年間フィリピン・ルバング島に居残った小野田寛郎さんではないでしょうか。 敗戦の報を聞いて、大部分の人は悔しく思うと同時に「やっと国に帰れるぞ」と思ったはずなのですが、横井庄一さんの「恥ずかしながら帰ってまいりました」という印象深い言葉が示すように、当時の軍人には敗けてノコノコ帰るくらいなら死んだ方がマシというメンタリティを持っていた人が少なくありませんでした。横井さんや小野田さん以外にも大勢、居残って戦う道を選んだ日軍人がいました。 ほんの一部ではありますが、あまり名の知られていない残留日軍人をピックアップしていきます。 1. 大場栄 「あまり知られてない」と言っておいて、のっけから有名な方を紹介してしまいます。すいません。 大場栄さんの

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    sateso350 2019/08/13
  • 16世紀ラテンアメリカの反乱と武装蜂起 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Photo by Adamt 新たな秩序を求めて抗争が続いた16世紀のラテンアメリカ 16世紀前半にラテンアメリカに侵入したスペイン人征服者(コンキスタドール)は、火砲や馬といった優勢な武器、原住民同士の反目を利用して征服を実行し、1522年にはコルテスがアステカ帝国を、1533年にはピサロがインカ帝国を滅ぼしました。またスペイン人が持ち込んだ病原菌は免疫のない原住民の命を容易に奪い、原住民人口の大幅な減少をもたらしました。 ただし、原住民もただスペイン人にやられっぱなしだったわけではなく、帝国の王族の末裔を担いだり、宗教指導者の下に集まったりしてスペイン人支配に抵抗しました。 また征服した側のスペイン人も、スペイン国に富を収奪されることを嫌い、独自の支配を求めてたびたび国に歯向かっています。 16世紀のラテンアメリカは、スペインの植民地としての体制がまだ整わず半ば混乱状態にあり、その

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    sateso350 2019/05/01
  • 18〜19世紀のヨーロッパ高級娼婦のゴシップ伝説(前編) - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    贅沢な暮らしと絶対的な権力を得た女たち フランス語では「クルチザン(Courtesan)」と言うのですが、昔の宮廷や貴族の社会には上流階級の男性の「お遊び」の相手をする女性がいました。お酒や事の相手をしたり、会話やデートをしたり、夜の相手をしたりします。日語では「高級娼婦」などと呼びます。 必ずしも出自が高い人物とは限らず貧しい生まれの女性もいて、豪華で贅沢な生活や権力の座を夢見て美貌と才覚でのし上がり、王族や貴族の愛人の座を射止めるケースもありました。 また当時の高級娼婦は一流の文化人・芸能人でもありました。今でいうところの、歌手・ダンサー・モデル・女優・アイドル・文筆家・インフルエンサーのような存在であったわけです。現在でも単に美人なだけでは芸能界で生き残れませんが、当時はもっと熾烈な女同士の戦いがありました。 18世紀~19世紀の代表的な高級娼婦の逸話を紹介していきます。今回は1

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    sateso350 2019/04/17
  • この世のどこかにあると考えられたユートピア伝説 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    冒険者たちが夢見たどこかにある理想郷 かつて、この世のどこかには「金銀宝石がザクザクあるお宝の町」や「辺境にあるキリスト者や仏教徒の理想郷」があると信じられていました。 冒険野郎たちはそのような夢のようなお話を信じて船に乗って世界中に繰り出し、大航海時代へ繋がっていきました。 こういった冒険野郎たちのおかげで世界は繋がって今や意志さえあればどこでも行けるようになったのですが、こういう夢のような土地がないことを彼ら自身が証明してしまったのは皮肉なことです。 今回はかつて存在が信じられていた伝説の都市をピックアップします。 1. エル・ドラド(南米のどこか) 南米のどこかにあるとされた黄金郷 16世紀、南米大陸にたどり着いたスペインのコンキスタドール(征服者)たちは、あるインディオの部族が「黄金や宝石を身につけ、黄金の粉をかぶって聖なる湖に浸かる儀式」を行うという噂を耳にします。 スペイン人た

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    sateso350 2019/04/02
  • 無能な指揮官列伝 - 無能さが起こした悲劇的な戦い(前編) - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    無能な指揮官が率いる絶望的な戦い 日史の「無能な指揮官」 と言えば真っ先に名前が上がるのは牟田口廉也ではないでしょうか。インド攻略を目指した無謀なインパール作戦を主導し多くの将兵を死なせた人物として悪名高いです。 各国史にはそれぞれ「無能な指揮官」とされる人物がいて、何をもって「無能」とするかによっても異なるので万人が納得するのは不可能なのですが、 「注意深さ、プロ意識、軍事知識の決定的な欠如によって歴史的な大惨事・大敗北をもたらした」 という観点で、前後編で「世界史の無能な指揮官」をピックアップしてみます。 「この人がいない!やり直し!」事案が多数発生しそうな気がしますが、あらかじめご了承ください。 ※2019/2/19 22:30 「7. カルロ・ペルサーノ」の項目の情報に大きな誤りがありましたので、修正しました。 1. 大カエピオ ?-?(共和制ローマ) ハンニバル以来のローマの大

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    sateso350 2019/02/19
  • めちゃくちゃ小さいのに領土争いがある地区・島 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Photo by Toubletap なんでこんな小さな土地を巡って争うのか? 韓国が実効支配し、日が領有を主張している竹島(韓国名:独島 トクト)は、総面積約0.2平方キロメートルのめちゃくちゃ小さい島です。 第三者からすると、なぜ韓国がこんなちっぽけな島に愛国心をたぎらせ、警備兵を常駐させ、何もないのに観光客が押し寄せているのか全く理解できないんじゃないんでしょうか。 同じように、我々から見ると争うのが馬鹿馬鹿しいほど小さいのに、国家間で領有権争いが続く地域は数多くあります。 1. ポイント20シルバー(シンガポール vs マレーシア) シンガポールの土地埋め立てにより発生した論争 マレー半島の先端にある島国シンガポールは、隣国マレーシアと狭い海峡を挟んで隣り合っています。 両国の国境はシンガポール側にある東のテコン島から西のトゥアス地区まで海域を2分して、陸路である2つの橋と、海上

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    sateso350 2019/01/08
  • 無法者より恐ろしいウエスタンの「悪徳保安官」 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    無法者より無法者らしい荒くれ保安官 昔のB級ウエスタン映画は、北斗の拳みたいなヒャッハーな無法者が娘をさらったり農民をドヤしつけたりして暴れまわっているところを、正義の保安官が駆けつけて無法者を一掃! どうもありがとうございます、あの、お礼を… いや当然のことをしたまで。では私はこれにて。 みたいなコテコテの描写が多い気がします。 そういう正義の保安官もいたにはいたでしょうが、実際のところ保安官も無法者も素材は同じく乱暴者のゴロツキ。今回は名の知れた「悪徳保安官」を紹介します。 1. ビル・ティルマン(1854-1924) 多数の無法者を逮捕する一方で不正蓄財に手を染めた人物 ビル・ティルマンは名をウィリアム・マシューと言い、若い頃はカンザス州とオクラホマ州のガンマンとして名を馳せました。銃を片手に荒野を暴れまわり、5年で12,000頭のバイソンを仕留めたり、シャイアン族の勇者7人を殺し

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    sateso350 2019/01/04
  • イエス・キリストの「空白の18年間」の謎 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    イエスは若い頃世界各地を放浪していた? 「ルカによる福音書」によると、イエスは12歳の時に両親に連れられてエルサレムの神殿に赴いて教師たちの教えを乞うた出来事の後、賢くたくましく成長し、洗礼者ヨハネによる洗礼を受け30歳の時から宣教を始めたそうです。 この間の18年についての記述は第2章52節の一行だけで、その間にイエスが何をやっていたのか一切不明です。イエスが死亡したのは33歳なので、彼の生涯の大半がよく分からないということになります。 わずか3年で世界を変えた活躍をした人なので、10代後半から20代の活発で多感な時代に何か特別な経験をしたに違いないと考える人は大勢いて、中にはこの空白の18年間の間にイエスは世界を放浪し見聞を深めていたに違いない、と主張する人もいます。 1.  12歳から30歳までの空白の約18年 ルカによる福音書第2章42節から51節は、イエスがエルサレムの神殿で両親

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    sateso350 2018/11/22
  • 日本軍政下でのインドネシア独立準備の過程 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    決断と行動が遅い日、急ぐインドネシア インドネシアは太平洋戦争の日敗戦のわずか2日後、1945年8月17日に独立宣言を発表しました。 その後植民地再獲得を目論むオランダとの戦争、地方勢力や共産ゲリラとの内戦を経て、連邦共和国として独立を果たしたのは1948年のことです。 スカルノやハッタといった独立運動家を中心に組織的に独立戦争を戦い抜けたのは、日軍政下で独立に向けた準備をおおよそ終えていたからなのですが、日がこれに積極的に協力したからということではなさそうです。 インドネシア側の粘り強い交渉と努力により、腰の重い日を動かし、時には無視する形で独立準備を進めていったのでした。 1. インドネシアの帝国編入論 日軍のプロパガンダ 日軍はオランダ領東インド(後のインドネシア)に侵攻するにあたって、 「日はインドネシアをオランダの圧政から解放するためにやってきた」 という内容の宣

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    sateso350 2018/11/06
  • ウクライナのコサック軍事国家「ヘーチマン国家」の興亡 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    17世紀〜18世紀に存在したウクライナの独立国家 ぼくのロシア人の友人でスミノフという男がいるんですが、彼はなぜウクライナロシアから離れたがっているか理解できないと言っています。 「だって俺たちは兄弟みたいな国なんだぜ?兄弟だったら一緒にやっていくのが当然だろ?」 これはロシア人の素朴で正直な音だなと思うのですが、ウクライナ人からすると「兄弟かもしれないが一緒にやっていく義理はない」という感想が出てきそうです。 ロシア人とウクライナ人が現代において「兄弟喧嘩」をするに至った大元の理由、そしてそもそもウクライナ人という民族が作られたのも、今回取り上げる「ヘーチマン国家」にあるようです。 1. コサックの登場 武装自治集団コサック 15世紀ごろ、現在のウクライナロシア南部の地は荒れ果てていました。 13世紀にキエフ・ルーシが解体し、14世紀末にキプチャク汗国も衰退しクリミア汗国などいくつ

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    sateso350 2018/09/11
  • 世界の民族の「創世神話」(アジア・太平洋・アメリカ篇) - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    はじめ世界は混沌のみがあった… 日の「国生み」の神話は古事記に記述があります。 高天原(たかまのはら)に住む神々は下界に国を作ることにして、イザナギノミコトとイザナミノミコトを派遣した。当時は大地はまだ水に浮いた油のように海水に漂っていた。二人は矛をさして海水をかき回し、矛を持ち上げて落ちた水滴が積もり重なり於能凝呂島(おのごろじま)という島ができあがった。 二人は島に降りたって、はじめに淡路島、つぎに四国、隠岐島、九州、壱岐島、対島、佐渡島をつぎつぎと生み、最後に州を生んだ。 このような「創世記神話」「国づくり神話」は世界中の民族に存在します。 どのように違うのかそのあらましを比較していこう、というのが今回の記事の趣旨です。 1. アイヌの「天地開闢」 この物語は江戸時代の探検家・松浦武四郎が、1858年にタツコプ・コタン(現:夕張郡栗山町字円山)に住む83歳の老人から聞き取ったもの

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    sateso350 2018/08/21
  • 【太平洋戦争】日本軍が起こした忘れられがちな虐殺事件 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    事実として認めたほうがいい過去 日軍が起こした虐殺事件で最も有名なのは南京大虐殺です。 これはいまだに議論が盛んで、どういうわけかこの話になると普段は論理的な人も冷静さを失うほどです。 中国政府が発表する犠牲者の数が年々増えたり、多分に政治利用されているフシはありますが、火のないところに煙は立たないというか、数はともかく事実として事件はあったはず。 この、事実として受け入れるということが大事で、外からみたら日の右派的な言説があれこれイチャモンをつけてなかったことにしようとしているように見えるので、かなり心象が良くないです。 今回は日でも忘れられがちな「日軍の虐殺事件」を見ていきたいです。 1. ラハ飛行場虐殺事件(1942年2月) 掃海艇破壊の報復で300名以上のオーストラリア兵とオランダ兵を虐殺 蘭印攻略を進める日軍は1942年1月からアンボン島を空襲し、2月からオーストラリア

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    sateso350 2018/08/16
  • アイルランド独立闘争 - 南北分断と内戦への道 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    対英武装闘争・内戦に突き進むアイルランド アイルランド独立闘争のまとめの続きです。 前編をお読みでない方はこちらよりどうぞ。 イギリス政府とアイルランドのナショナリストの間で自治法案の策定が進んでいましたが、 第一次世界大戦への関わり方でアイルランドのナショナリストの対応は割れ、内部対立が深まります。 そんな中で共和主義派が起こしたイースター蜂起をきっかけに、自治主義は崩壊し世論は急速に共和主義へ傾いていき、イギリスと協調して独立を成し遂げるのではなく、武力で獲得するという武装闘争路線が強まっていきました。 反英感情の高まりは抑えきれず、とうとうゲリラ闘争が始まります。 6. IRA(アイルランド共和軍)の成立と武装闘争の開始 ------------------------------------------ 1918年11月11日、連合国とドイツの休戦が実現。第一次世界大戦終結。 --

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    sateso350 2018/08/14
  • 【太平洋戦争】日本の無条件降伏反対派による蜂起事件 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    徹底抗戦派によるクーデター・蜂起・騒乱事件 1945年8月15日に日はポツダム宣言を受け入れて無条件降伏し、天皇陛下による玉音放送によってその事実は戦闘中の軍人及び民間人に広く伝達されました。 大部分の人はそれを受け入れたようですが、中には「降伏はありえない」としてあくまで徹底抗戦を主張する人もいました。 「日男児たるもの最後の一兵になるまで戦うべし」などと教え続けてきたから、気でそう考えるやつが出てきても無理はありません。 8月15日近辺で起きた、降伏反対派による事件をピックアップします。 1. 西部軍による九州独立構想 九州を独立させ徹底抗戦をする構想 西部軍は連合軍の日土侵攻に備え、中国・四国・九州を統括するために設置された陸軍の組織で、昭和20年九州全域の地上作戦を任務とする「第16方面軍」、警備や補給、地方機関との連携を任務とする「西部軍管区」に分けられました。 8月1

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    sateso350 2018/08/13