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歴史と戦争に関するsatisのブックマーク (52)

  • 弱った相手は必ず叩く、中国から領土を大きく奪取 ロシアと中国(4)~ロシア帝国の攻勢 | JBpress (ジェイビープレス)

    しかし、60年に及ぶ乾隆帝の治世が終わる頃の1800年代初めには、その統治力には制度疲労が顕著に表れ始めていた。 領域内では、人口急増がもたらした大量の国内貧窮民が社会の不安定要因を醸し出し、あちらこちらで内乱が続発するようになる。 そして、1840年から2年間続いた英国とのアヘン戦争で、初めてヨーロッパの国家に腕力で敗北を喫する。戦闘に使われた武器(火器と艦船)の性能の差が決定的にものをいった。産業革命の威力である。 この敗北の結果、清はそれまでの原則だった海禁政策の撤廃を余儀なくされた。5つの港を対外交易のために新たに開き、香港の割譲も約束させられる(南京条約)。そして、同じような条約をフランスや米国とも締結させられた。 英国や他の国が清とこうした条約をものにするのを見て、ロシアも「この際、我々にも他の列強と同じように海上経由での通商権を寄こせ」と乗り出した。だが、これはあっさりと断ら

    弱った相手は必ず叩く、中国から領土を大きく奪取 ロシアと中国(4)~ロシア帝国の攻勢 | JBpress (ジェイビープレス)
  • 読書メモ 戦争と飢餓

    ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB そう言えば、昨日こんな事を書いてましたがもしかしたらドイツは何百万人もの屍をつくりながらありとあらゆる手段でドイツ国民だけは飢えさせないようにしていたので、それがドイツが最後まで踏みとどまった要因の一つかもしれませんね https://t.co/iIlZKrsc 2013-01-20 09:03:59

    読書メモ 戦争と飢餓
    satis
    satis 2013/01/25
    産業革命と科学技術の発展で幕を開けた近代も、食糧の枯渇という現実を前に農地を巡る戦争という、中世と同じ世界が繰り広げられる皮肉。
  • kousyoublog.jp – このドメインはお名前.comで取得されています。

    このドメインは お名前.com から取得されました。 お名前.com は GMOインターネットグループ(株) が運営する国内シェアNo.1のドメイン登録サービスです。 ※表示価格は、全て税込です。 ※サービス品質維持のため、一時的に対象となる料金へ一定割合の「サービス維持調整費」を加算させていただきます。 ※1 「国内シェア」は、ICANN(インターネットのドメイン名などの資源を管理する非営利団体)の公表数値をもとに集計。gTLDが集計の対象。 日のドメイン登録業者(レジストラ)(「ICANNがレジストラとして認定した企業」一覧(InterNIC提供)内に「Japan」の記載があるもの)を対象。 レジストラ「GMO Internet Group, Inc. d/b/a Onamae.com」のシェア値を集計。 2023年5月時点の調査。

    satis
    satis 2012/10/08
    教義が深く生活に根付くイスラム教について、その成立の過程から伺う『精神性の反映であるイスラーム法を実現させ、信仰生活を無事に送るための権力や武力、制度の存在を重視する。ゆえに文字通りの政教一致となる』
  • 「なぜ、貧困層、社会的弱者ほど国家の戦争に熱狂するか」から始まる会話。

    関連まとめ: お菓子っ子さん @sweets_street による「社会に必要とされない人々の自尊心の問題」 http://togetter.com/li/380845 関係するかもしれないまとめ: 旧陸軍の「社会民主主義」プロローグ 続きを読む

    「なぜ、貧困層、社会的弱者ほど国家の戦争に熱狂するか」から始まる会話。
    satis
    satis 2012/09/26
    戦争とナショナリズムに熱狂する弱者の話から、復員兵の自尊心、組合での待遇改善など、戦争と社会の変革についての広範な話題。非常に参考になる。
  • リアリズムと防衛を学ぶ » 「戦争なんか起こるわけがない」は思い込みだという歴史的実例

    は長らく平和を謳歌してきました。そんな中で防衛体制の整備には「戦争なんか起こるわけがないのに…」という懐疑論が常にともないました。どころか、「危機がもし起ったら」と考えること自体が危険思想である、戦争が好きな軍国主義者だ、という風に非難された時代もありました。 ところが歴史的に見て「戦争なんか起こるわけがない」という見通しが外れたことは多くあります。 「アルゼンチンが戦争なんかするわけない」 いまから30年前の1983年4月、「フォークランド紛争」という戦いが起こりました。アルゼンチンとイギリスとの紛争です。きっかけは、イギリス領フォークランドに対し、アルゼンチンが突然侵攻を開始したことでした。 ですが紛争勃発の直前まで、戦争なんか起こるわけがない、意見が強くありました。それはかなり論理的なものでした。例えば83年4月5日に発売された雑誌ビジネスウィークは、戦争にいたる可能性は低い、と

    satis
    satis 2012/09/19
    「戦争なんか起こるわけがない」と思って実際に起きてしまった3例。どれも知ってる戦争。歴史を紐解けばさらに多くの「戦争なんか起こるわけがない」があったんだろうなぁ。
  • 島をめぐる争い '82 - リアリズムと防衛を学ぶ

    両国が領有権を争っている島へ、一方の市民が不法に上陸しました。 これは、30年前のおはなし。 1982年、南太西洋の島々の領有権をめぐり、イギリスとアルゼンチンが戦争をしました。フォークランド紛争と呼ばれています。 始まりは民間市民の上陸でした。その背景はアルゼンチンの経済が不調で、政権が危うかったこと。そこで、歴史的な経緯から係争中だったフォークランド諸島がクローズアップされました。国民の目をそらすためです。 アルゼンチンの民衆は、政府がやらないなら自分たちが島を取り返すんだと盛り上がります。義勇軍のような気分で、島に不法上陸したり、運動が過熱していきました。 それが政府の選択肢をせばめ、やがて戦争になりました。 その島には名前が2つ 嵐の前の不景気 断たれた退路 あちら側、こちら側 正しさは手段に過ぎない 賽は投げられた 関連記事 その島には名前が2つ その島々には2つの名前があります

    島をめぐる争い '82 - リアリズムと防衛を学ぶ
    satis
    satis 2012/08/25
    加熱する領土問題が戦争へ発展していく様子を、フォークランド紛争前史から紐解く。不景気から来る政権の不調と、問題から目を逸らさせ政権への支持を高めたい指導者の存在。うむ、そっくりだ。
  • 近代以前以後の兵士の士気について

    akira@外国にルーツを持つ子どもを支援する人 @akira090802 100人の古代兵士の運命。50人は敵に出会う前に肺炎や下痢で死にます。40人は一人も殺さないうちに背を向けて逃げるところを後ろから斬られて死にます。9人は逃げる敵を背中から斬り殺します。1人だけが手向かう相手と戦い相手を殺します。これが戦争です。 2012-08-02 22:00:50 お菓子っ子 @sweets_street 【RT】近代以前の戦争では戦闘時以外での消耗というのが馬鹿にならなくて、行軍や野営生活で体を壊して病気になる兵もいれば、事故で負傷して動けなくなる兵、従軍するのが嫌になって逃亡する兵などが多くいたので、衛生管理や安全管理、兵のメンタル管理などを怠ると、戦わずして軍隊が崩壊しました 2012-08-02 22:10:09 お菓子っ子 @sweets_street 行軍するだけで病気や事故、脱走

    近代以前以後の兵士の士気について
    satis
    satis 2012/08/03
    兵士の戦闘以外での損耗について。戦う動機を持っていない兵士を脱走させずに連れて行く管理能力こそ武力!欧州のど田舎からエルサレムへ行ったり、オケアノス見たさにインドまで連れて行ったりとかすげぇ。
  • ドイツの奇跡の復興とEUのおいたち (1/4) : Market Hack

    まだ第二次世界大戦が終焉する前、1943年頃から連合国の巨頭たちは戦後のヨーロッパがどうあるべきかについての話し合いを始めていました。 写真は左からソ連のジョセフ・スターリン、米国のフランクリン・ルーズベルト、英国のウインストン・チャーチルです。ジョセフ・スターリンはヒトラーのロシア侵攻を喰いとめ、ドイツ軍を撃退したことから戦争が終わったあかつきにはポーランドなどの領土をソ連に入れることを主張しました。また英国と米国がDデイでノルマンディーから上陸し、ドイツを挟み撃ちにすることを約束しました。作戦は成功し、連合国は第二次世界大戦に勝つわけですが、このときのジョセフ・スターリンの東欧への領土的野心は後の冷戦へと発展し、次第に西側と東側、資主義と社会主義というイデオロギーの戦いへと発展します。でもその前に第二次大戦直後のヨーロッパのみじめな状況をみてみましょう。 この写真はドイツのドレスデン

    ドイツの奇跡の復興とEUのおいたち (1/4) : Market Hack
  • 数千年の歴史が雄弁に語る、内戦勃発必至のイラク あの戦争は何だったのか~一神教世界の研究(その4) | JBpress (ジェイビープレス)

    残念ながら、バグダッド・アラブ首脳会議の主催国イラクに関する報道は驚くほど少なかった。 ヌーリー・マーリキー首相にとっては戦後の治安改善やアラブ世界への復帰をアピールする絶好の機会だったが、「シリアが欠席し、国家元首出席も10人にとどまるなど盛り上がりに欠けた」との報道が最も実態に近いようだ。 マーリキー政権がこの首脳会議開催に投入したエネルギーは並大抵でなかったろう。現在もバグダッドの治安は最善でも「不安定」であり、運が悪ければ「最悪」となる。 こうした状況は大きく変わっていない。このような危険な首都でアラブ首脳会議を開くためには物的、人的に膨大な資源が費やされたはずだ。 主催国だったにもかかわらず、今回の首脳会議でイラクは主導権を握ることができなかったらしい。主要議題であるシリア問題について、イランに近いイラクは介入に消極的だと言われ、強硬派のチュニジアやリビアとの対立が深まったことも

    数千年の歴史が雄弁に語る、内戦勃発必至のイラク あの戦争は何だったのか~一神教世界の研究(その4) | JBpress (ジェイビープレス)
    satis
    satis 2012/04/04
    「戦闘終結」宣言以降のイラク。イラクの内戦状態とは「テロとの戦い」の10年など比ぶべくもない、数千年の侵略の歴史の帰結か。『2003年夏以降、イラクは急速にサッダーム以前のメソポタミアに回帰しつつある。』
  • 「中立国の戦い スイス、スウェーデン、スペインの苦難の道標」 - リアリズムと防衛を学ぶ

    中立国の戦い―スイス、スウェーデン、スペインの苦難の道標 (光人社NF文庫)posted with amazlet at 09.09.29飯山 幸伸 光人社 売り上げランキング: 38634 Amazon.co.jp で詳細を見る 「中立国の戦い」は3つの中立国の歴史に焦点をあてたです。3国とは、スペイン、スウェーデン、そして永世中立国として有名なスイスです。他にも中立国は多いのに、なぜこの3国なのでしょう? それはこれらの国が、あの第二次世界大戦のさなかすら中立政策を貫き、成功した国だからです。 そこにはいったいどんな秘密が、そして苦労があったのでしょうか。 中立政策の義務スイス国旗。色を反転させると赤十字の旗になる。 中立といっても色々ありますが、書で問題にしているのは戦時中立です。戦時中立とは戦争をしている両陣営のどちらにも味方せず、公平に接することです。中立国は以下の義務を果た

    「中立国の戦い スイス、スウェーデン、スペインの苦難の道標」 - リアリズムと防衛を学ぶ
    satis
    satis 2012/01/04
    平和主義者がついうっかり理想として口に出してしまいがちな、中立国の歴史的現実。『(中立政策とは)氷のように冷血で、利己的、かつ生存のための可能性の政策』むしろ軍オタがハードモードとして選ぶべき。
  • 「ヒトはなぜ戦争をするのか?」アインシュタインとフロイトの往復書簡 - リアリズムと防衛を学ぶ

    アインシュタインとフロイトが手紙で議論を交わしたと聞けば、その内容が気になる人は多いでしょう。ましてその内容が「戦争を無くすことはできるか?」だと聞けば、なおさらではないでしょうか。 ある時、”国連”がアインシュタインに提案したそうです。 「誰でも好きな一人を選んで、今の文明でもっとも大切な問いについて書簡を交換して下さい」 アインシュタインは書簡を送る相手にフロイトを指名しました。そしてアインシュタインは、彼が考える「今の文明でもっとも重要な問い」についてフロイトに手紙を書いています。 「人間を戦争というくびきから解き放つことはできるのか?」 ―これが私の選んだテーマです。 アルバート・アインシュタインより、ジグムント・フロイトへの手紙 アインシュタインは戦争を無くすための方法について自説を述べ、フロイトに見解を問うています。フロイトはそれに対し、主に心理学精神分析の見地から返信していま

    「ヒトはなぜ戦争をするのか?」アインシュタインとフロイトの往復書簡 - リアリズムと防衛を学ぶ
  • ソビエト連邦の「大祖国戦争」を壮麗な戦争美術で描く

    「大祖国戦争」とは第二次世界大戦におけるソビエト社会主義共和国連邦とドイツ第三帝国との戦い、いわゆる「東部戦線」をソ連側から見た呼び方です。第二次世界大戦は、ソ連にとって文字通り民族の絶滅をかけた戦いであり、その死者の数は両軍合わせて2000万人以上とまさに「史上最悪の戦争」と呼ぶべきものです。 その戦争の様子を描いたいわゆる「戦争画」は戦中・戦後にかけて多く制作され、ソ連政府の宣伝工作のため盛んに用いられてきたわけですが、現在を生きる私たちの目から見ると得も知れぬ空しさを醸し出すものばかり。英雄的な表現の中にも、一個人としての兵士の心情と残された家族の悲哀が描かれており印象に残るものが数多くあり、今なお争いが絶えない世界に対し何かを訴えかけているかのようです。 詳細は以下。 Soviet War Paintings 1941年6月22日、独ソ不可侵条約を破りドイツはソビエト連邦に進出しま

    ソビエト連邦の「大祖国戦争」を壮麗な戦争美術で描く