思想と文学に関するsatoshiqueのブックマーク (10)

  • 横尾忠則 87歳 絵は“飽きた”けれど・・・描くワケ|NHK

    「もう飽きちゃってるんですよ。もう、ずーっと子供の頃から、絵しか描いてませんからね」 かくしゃくとして語るのは、日を代表する美術家、横尾忠則さん。10月、文化功労者に選ばれた。大胆な色使いに奇抜な構図。横尾さんの作品は日にとどまらず、世界を魅了し続けている。御年、87歳。いまも東京・世田谷のアトリエに自転車で通い、制作に取り組んでいる。 それでも描くことに「飽きた」という、その真意は。

    横尾忠則 87歳 絵は“飽きた”けれど・・・描くワケ|NHK
    satoshique
    satoshique 2023/11/16
    実存ってこういうことなんだろう。横尾は自分と哲学者や文学者を対比させているが、「描く」ことと「書く」ことは同じだと思う。
  • 没後100年 いま伊藤野枝を考える | NHK

    時は大正。 「良賢母」の女性像が“常識”とされた時代に、女性を縛る社会の習わしや公権力に、真っ向から抵抗した1人の女性がいた。 福岡・今宿出身の女性解放運動家、伊藤野枝。 1923年9月、関東大震災後の混乱のさなか、憲兵隊に殺害され、28歳の若さで亡くなった。 「100年早かった女」とも称される野枝のことばが、現代の私たちに問うものとは。 (福岡放送局記者 西牟田慧) いま、伊藤野枝がアツい 伊藤野枝(画像提供:矢野寛治氏) 伊藤野枝は、日清戦争の講和条約が結ばれた1895年(明治28年)、旧糸島郡今宿村、いまの福岡市西区今宿に生まれた。 ずばぬけた行動力と文才の持ち主で、17歳のとき、「元始、女性は実に太陽であった」の一節で有名な雑誌『青鞜』に参画。のちに2代目編集長を務めた。 婚姻制度や中絶など現代にも通じる問題を鋭く切り、当時の社会に論争を巻き起こした人物だが、初代編集長の平塚らい

    没後100年 いま伊藤野枝を考える | NHK
  • 『すずめの戸締まり』新海誠監督が影響受けた、オススメしている作品 - 社会の独房から

    今もっとも勢いのあるアニメ映画監督といえば『君の名は。』『天気の子』そして『すずめの戸締まり』と大ヒットを続けている新海誠で異論はないと思う。 今回はそんな新海誠監督に影響を与えてきたり、オススメしている作品をまとめたので紹介していく。SF小説と、ダメな大人が出てくる作品が多め。 ダ・ヴィンチ 2022年12月号 より ダ・ヴィンチ 2022年12月号 [雑誌] 『三体』 劉慈欣著 三体 作者:劉 慈欣 早川書房 Amazon 中国SF作家劉慈欣による長編小説。現代でSF小説といえば作といっても過言ではない程有名なので、読んだことない人でもタイトルぐらい聞いたことある人は多いだろう。全5巻と長いのでAudibleで聞くのもアリ。映像化も予定されている。 の雑誌であるダ・ヴィンチらしい質問としてオススメのの質問に対して新海誠監督は『三体』と答えている。スペースでも同じようにオススメし

    『すずめの戸締まり』新海誠監督が影響受けた、オススメしている作品 - 社会の独房から
    satoshique
    satoshique 2022/11/24
    はてなではさげすまれがちな、めっちゃ文系やんって思った。でも文系とか理系とかいう二元論に収れんさせようとする言説こそ頭悪いとも思う。左右とか男女とか。
  • コラムニスト・小田嶋隆が残した功績【追悼企画】──Vol.01:内田樹

    「鋭い批評性と親切心が同居する不思議な味わいがあった」小田嶋隆さんの訃報が届いたのは、禊祓いの行をしている途中だった。メールを読んでから道場に戻って行を続けた。小田嶋さんは、こういうのが大嫌いな人だったと思いながら、身勝手ながら供養のつもりで祝詞を上げた。 僕が最初に小田嶋さんの文章を読んだのは70年代終わりか80年代初めの、東京の情報誌『シティーロード』のコラムでだった。一読してファンになった。「若い世代からすごい人が出てきたな」とか「端倪すべからざる才能である」とか思って驚いたわけではない。ただ、「この人のものをもっと読みたい」とだけ思った。それだけ中毒性のある文章だった。それから彼の書くものを探して、むさぼるように読むようになった。 実際に拝顔の機会を得たのはそれから20年以上経ってからである。当時毎日新聞社にいた中野葉子さんが憲法9条をテーマにしたアンソロジーを編みたいというので僕

    コラムニスト・小田嶋隆が残した功績【追悼企画】──Vol.01:内田樹
    satoshique
    satoshique 2022/06/28
    良い文章。橋本治が亡くなっていたことを今さら思い出した。でもなんだか、少数派とか多数派とかって、すごくバカバカしいな。死ぬときはひとりだよ。
  • 「解像度」の低さがナゾ 若手記者から見たメディアの「若者像」:朝日新聞デジタル

    ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><style>\n.include{max-width:660px;font-family:\"YuGothic M\",\"游ゴシック体\",\"游ゴシック\",\"Yu Gothic\", YuGothic, \"ヒラギノ角ゴ Pro\", \"Hiragino Kaku Gothic Pro\",'helvetica','arial', \"メイリオ\", \"Meiryo\", sans-serif;font-weight: 500;}.include .ShuMod{ margin:0 10px;}\n.include h1{text-align:left;font-size:1rem;paddi

    「解像度」の低さがナゾ 若手記者から見たメディアの「若者像」:朝日新聞デジタル
    satoshique
    satoshique 2022/06/20
    若者とか老人とか男とか女とか日本人とか団塊とか氷河期とか、あるいは都会とか田舎とか地方とかいうのも解像度低い。っつーか、言葉というもの自体、解像度が低いよ。
  • 「昔の話をするのが怖いんです。」価値観が急速にアップデートされる時代で漏らした本音に共感の声が寄せられる

    小川さやか @machingirl2011 昨日東京で乗った年配のタクシーの運転手さんが若い頃に京都にいたそうで「その店まだありますよ〜」などと楽しく思い出話を聞いた。その後に運転手さんが「昔の話をするのは怖いんです。時代とともに価値観が大きく変わり、すごく気をつけていても若い人には不快な話をしてしまいますからね」と→ 2022-02-18 13:08:07 小川さやか @machingirl2011 過去の話を現在の価値基準で非難する客がそんなに多いのだろうかと考えてしまった。私も歳をとって「若い頃ペットボトル飲料を箱買いしていた」とぽろっと話したら、環境配慮がないと眉をひそめられたりしてと想像した。過去の文脈を割り引いて、思い出くらい緊張しないで語れる未来であってほしい。 2022-02-18 13:08:08 小川さやか @machingirl2011 著書『都市を生きぬくための狡知

    「昔の話をするのが怖いんです。」価値観が急速にアップデートされる時代で漏らした本音に共感の声が寄せられる
    satoshique
    satoshique 2022/02/20
    将来的に、価値観のアップデートのスピードが1年→1か月→1週間→1日とどんどん速くなっていって誰も付いていけなくなり、最終的には価値そのものが溶けてなくなるのも面白いなと思った。
  • 没後50年 三島由紀夫と自衛隊 | NHKニュース

    作家の三島由紀夫が、自衛隊駐屯地の一角を占拠してクーデターを呼びかけ、その後、自ら命を絶った事件から、25日で50年です。 自衛隊を治安出動させ、政府に憲法改正を認めさせようとした三島。事件の3年前、三島と接触を重ねていた、ある自衛官がいました。 のちに陸上自衛隊のトップ・陸上幕僚長を務めた冨澤暉さんです。 三島とどんなやり取りがあったのか、話を聞きました。 (聞き手:政経・国際番組部 宮川徹志 社会部 南井遼太郎) (記者) 三島由紀夫と出会ったのは、何がきっかけだったのでしょうか。 (冨澤さん) その前に、きょう、ちょうどここに持ってきたものがあります。僕が三島に会った証拠品っていうのはないんだけれども、三島の書簡集というのがあるんですよ。 ここにね、昭和42年5月11日の封書が義理の父の藤原岩市のところに来ているんですよ。 ここに何が書いてあるかというと「前略その後御無沙汰してをりま

    没後50年 三島由紀夫と自衛隊 | NHKニュース
    satoshique
    satoshique 2020/11/26
    インテリうんぬんのくだりは、橋下徹がよく揶揄して言う「自称インテリ」を思い出す。ルサンチマンなのよね。
  • 【三島由紀夫事件】三島由紀夫の檄文 「敢てこの挙に出たのは自衛隊を愛するが故」(1/2ページ)

    檄 楯の会隊長 三島由紀夫 われわれ楯の会は、自衛隊によつて育てられ、いはば自衛隊はわれわれの父でもあり、兄でもある。その恩義に報いるに、このやうな忘恩的行為に出たのは何故であるか。かへりみれば、私は四年、学生は三年、隊内で準自衛官としての待遇を受け、一片の打算もない教育を受け、又われわれも心から自衛隊を愛し、もはや隊の柵外の日にはない「真の日」をここに夢み、ここでこそ終戦後つひに知らなかつた男の涙を知つた。ここで流したわれわれの汗は純一であり、憂国の精神を相共にする同志として共に富士の原野を馳駆した。このことには一点の疑ひもない。われわれにとつて自衛隊は故郷であり、生ぬるい現代日で凛烈の気を呼吸できる唯一の場所であつた。教官、助教諸氏から受けた愛情は測り知れない。しかもなほ、敢てこの挙に出たのは何故であるか。たとへ強弁と云はれようとも、自衛隊を愛するが故であると私は断言する。 われ

    【三島由紀夫事件】三島由紀夫の檄文 「敢てこの挙に出たのは自衛隊を愛するが故」(1/2ページ)
    satoshique
    satoshique 2019/10/11
    「本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た」
  • 村上龍と坂本龍一と見城徹の対談 - レベルデ

    Abema TVの「徹の部屋」という番組。 ゲストを招いて見城徹氏の進行をもとにトークを行うものだが。 昨夜は、僕の好きな村上龍と、これまた好きな坂龍一がゲストとして登場した。 何か一つのテーマを決めて話すというようなものではなく、台も観たところ無いようで行き当たりばったりのトークを生放送で展開していた。 主に見城徹氏と村上龍氏との出会いや、2人で飲んでいたころの話、そしてやはり 見城徹氏と坂龍一氏との若かりし頃の付き合いや飲み明かした話をあてもなく続けていたのだが、単純に面白かった。 彼らの年齢は殆ど同じで、(村上龍氏64歳、坂龍一氏64歳、見城徹氏65歳)日がまだまだイケイケで元気があった面白い時代に世に出てきた点が共通している。 見城徹氏が坂龍一氏に、「俺は坂が何で"絶対、東京オリンピックでなんか演奏をしない!"って言ってるか分かった。福島も含めてまだまだ苦しんでいる人

    村上龍と坂本龍一と見城徹の対談 - レベルデ
    satoshique
    satoshique 2018/12/30
    この3人の仲がいいのが未だによくわかんない。まーポリシーとは違う部分で響きあうところがあるのだろう。
  • 【三島由紀夫没後45年(下)】三島に斬られ瀕死の元自衛官「潮吹くように血が噴き出した」(1/3ページ)

    11月中旬のある日、清冽な青空のなか、東京・市谷の防衛省内の急坂を上る元自衛官の姿があった。寺尾克美(86)。 「あの日も秋晴れだったなあ」。短躯だが、がっちりとした厚い胸を張り、青空を見上げた。 45年前のあの日、陸上自衛隊市ケ谷駐屯地の東部方面総監室で益田兼利総監の身柄を拘束した三島由紀夫=当時(45)=ら5人と自衛官との間で格闘になり9人が負傷、うち6人が入院した。寺尾もその一人だ。三島に銘刀「関の孫六」で腕を一太刀、背中を三太刀斬られ、瀕死の重傷を負った。 事件現場となった総監室は今、「市ケ谷記念館」として残されている。 その総監室のドアに今も残る刀傷を指さしながら、「最初に踏み込んだ自衛官が斬られたときのものだ。総監の机がこのあたりにあった。窓の外のバルコニーで三島さんが演説した」。寺尾は当時の凄惨な記憶が蘇ってくるように話した。 ■  ■ 寺尾は当時、会計課予算班長の3佐で41

    【三島由紀夫没後45年(下)】三島に斬られ瀕死の元自衛官「潮吹くように血が噴き出した」(1/3ページ)
    satoshique
    satoshique 2015/11/25
    本文読んでないけど。三島も今日の少子高齢化とか、孤独死や介護心中が頻発するような状況は予想できていないだろう。もはや彼の自決という行動すらも「古典文学」として消費される時代なんや。
  • 1