私の論文などに興味がある人はごく少数でしょうから、ブログマターに戻って先日の話を続けましょう。 デモクラシーについての私の理論的立場は既にお話したので、今回は東的デモクラシー論が持つ可能的意味にグッと焦点を絞りたいと思います。東さんは「朝生」終了後から、ご自身のツイッターで自らが構想する新たなデモクラシー像について断続的に説明していらっしゃいます。その中で、「データベース民主主義」こそ自分が意図するところだと語っておられる。ほとんど鈴木謙介さんの言う「数学的民主主義」の言い換えですが*1、私の考えでは、これは同時に「データベース全体主義」とも言い換えられます。 早とちりしないで下さい。全体主義だから悪いと言いたいのではありません。現代社会では「良い全体主義」が可能になっているのではないか(それに抵抗すべきか否か)、といった議論は、社会思想分野におけるトレンドになりつつあります*2。全体主義
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