1945年8月6日。アメリカは広島市内に原子爆弾を投下した。強烈な熱線と爆風が襲い、爆心地近くの広島県産業奨励館(原爆ドーム)の外壁も吹き飛んだ。前を流れる元安川からは、今でも破片を見つけることができる。 いまだに遺骨がたくさん出る その引き上げ作業をしている学生団体「広島大学原爆瓦発送之会」の会長、嘉陽礼文さん(40=大学院生)が活動を始めたきっかけは、中学時代、被爆者のひとり、山岡ミチコさん(享年83)の話を聞いたことだった。 「東京から修学旅行に来たとき、山岡さんから被爆体験を聞きました。淡々とした話でしたが、原爆で亡くなった人たちの思いを一身に背負っているように感じ、逆に心にしみました」 沖縄県出身の嘉陽さんは、祖父母から沖縄戦の体験を聞いて育った。いまだ遺骨が見つからない親族もいる。山岡さんにそのことを告げると、「元安川には被爆瓦があります。遺骨もたくさん出ます」と教えてくれた。